メルケル訪日のドイツでの報道/メディアから匙を投げられた安倍政権とNHK/言論の自由の深化はどうすべきか
- 2015年 3月 16日
- 評論・紹介・意見
- 梶村太一郎
少し遅くなりましたが、今月の9日、10日のメルケル首相の訪日に関する、ドイツの報道について以下簡単にお報せします。
まずは、以下に観られるようにドイツの主要プリントメディアでは、なんと安倍首相との首脳会談後の記者会見の写真が、まったく使われませんでした。代わりに天皇を訪問した時と、朝日新聞社と日独センター共催の基調講演で中学生に歓迎されるメルケル首相の写真だけです。
このこと自体が、いかにドイツメディアが安倍政権に失望して、匙を投げてしまっていることの現れであるといえます。すなわち首脳会談としての報道価値がないとの判断の現れです。
日本へ出発前に彼女が脱原発について率直なメッセージを出したことは→前回ここでベルリンでの脱原発デモと同時に速報でお報せしたとおりです。
以下、主要紙の見出しとリードのみ翻訳し、論調の共通している南ドイツ新聞の論説はネットでは読めませんので、翻訳を終わりに付けておきます。いずれも3月10日付けのものです。これに加えて秘密保護法などで、言論の自由が危機にある日本で、それを深化するについての、コメントも付け加えておきます。
また電子版とは同内容でも編集者が違うので見出しや、リードが異なることがあります。
→フランクフルター・アルゲマイネ紙:
日本の平常への困難な道(電子版では:安倍晋三への「ドイツ授業」)
メルケル首相は日本で、ドイツの過去とのかかわりを学生たちに報告した。安倍首相とは軍隊の将来について会談した。
→ディ・ヴェルト紙:
妊娠したら謝らなければならない
日本は老齢化しており中期的に労働力が不足する。 にもかかわらず仕事を持っている五分の一の母親はいじめられている。アンゲラ・メルッケル首相は女性の雇用促進ではまだ初期段階の国を訪問した。
→ 南ドイツ新聞:
選び抜かれた礼儀(電子版見出し:メルケル慇懃に批判を試みる)
アンゲラ・メルケルは日本訪問で、脱原発の長所と第二次世界大戦での自ら犯罪の承認について、ただ非常に慎重に説得しようと望んだ。
南ドイツ新聞論説の全文翻訳:
日本:和解の教訓
クリストフ・ナイトハルト
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日本は批判に慣れていない。政府は、その第二次世界大戦での歴史観に疑問が呈され、それによって孤立し、それが国際間ではコンセンサスとなっていても、拒否反応を示すのである。批判が善意でありえても、東京には伝わらない。歴史を歪めることは長期的には無理である。
アンゲラ・メルケル首相は東京への旅の前に、領土と歴史問題での対処に関して、東京を批判したり教訓を与えることなく、どのように表現すべきかを自問しなければならなかった。彼女はこの微妙な課題を巧みに解決した。彼女は忠告を与えず、ただドイツの和解の経験を指摘しただけであった。彼女は、例えば東アジア諸国のかたくなな姿勢への選択肢として、「1500年、1600年、1700年当時の国境がどこであったか」などは、問題とすべきではないと述べた。メルケルの含意ある示唆は、すでに政府が非難攻撃しているリベラルな朝日新聞社で基調講演を行う決断にみられた。その場の聴衆の質問に答えて、彼女は言論の自由に何の問題もないと述べた。
民主的な政府には異なる意見が必要である。 日本の公共テレビのNHKはこのことからまったく学ぼうとはしない。そのニュースでは、首相がどこに登場したかを、ある新聞社でとしか伝えなかった。日本の学習能力はこの程度である。
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(以上論説翻訳)
この短い論説に良く示されているように、メルケル首相は、非常に慎重慎重に、脱原発の選択肢や、特に歴史認識に関して、その意義を伝えたいとしたのに、アレルギー的に拒否反応するだけで、聞く耳を持たない出来の悪い反抗期の子供のような安倍政権と、「朝日新聞社で」と具体的に伝えないNHK(*注釈)は、ドイツメディアから落第点を付けられ、ついに匙を投げられてしまいました。これが7年ぶりのドイツ首相の日本訪問の結果の現実でした。日本の報道だけでは、このような国際世論は伝わらないでしょう。
ただひとつ、メルケル首相は天皇だけとは、予定時間を越えて20分も大変気持ちの良い対話ができて非常に喜んでいるとの、政府報道官からの情報がありました。上記の記事の写真も、その天皇に対する表敬の意であると解釈することもできます。
(*注釈 )NHKはここで、『日本のメディアでは、他社の報道を引用しないという慣習があることを知らないところからくる誤解だ」と言い逃れをするかもしれません。
しかしこの慣習は非常に日本的なおかしげなものです。おそらくは記者クラブ制度からくるなれ合いの悪習であるのではないかと思われます。
ドイツでもそうですが、少なくとも欧米のメディアでは、日常的に「〇〇新聞はXXと報道した」と引用するのは当たり前のことです。その上で、自らのコメントを付けます。このようにして、報道媒体間での議論が切磋琢磨され、しのぎを削ることができ、豊かな議論と報道ができるのです。
たとえば、「慰安婦問題」に関する朝日新聞叩きの根拠になっている「吉田清次偽証言」にしても、当時、この偽証言を報道したのは朝日新聞だけではありません。読売新聞も、NHKも、彼の証言を同じように報道しています。あたかもそれが無かったごとく、自己検証抜きで、平気で朝日を新聞を批判する厚顔無恥で二枚舌のインチキがまかり通るようなことは、欧米のメディアではあり得ないことです。
このようなおかしな引きこもりのようなもたれあいの悪習から抜け出し、日本の大手新聞もどんどん他社の報道を引用して、論議を深めることが望まれます。
ドイツのシュピーゲル誌は、世界中の報道を引用して、それに辛口のコメントを付けます。だから面白く、また人気があるのです。言論の自由とはこのことでもあるのです。
また、国際的な大きな問題では、プリントと電波メディアが縦横無尽に協力体制を採ることもままあります。最近では言論の自由の危機に面して、スノーデンの暴露に関して大手メディアが国際的に協力しました。
言論の自由の文化は、四方八方からの良質の批判を呼び起こすことにより深化し定着するのです。日本のメディアのひ弱さの原因のひとつがここにあります。
今回のメルケル首相の訪日報道にしても、基調講演をした朝日新聞の舞い上がったような報道ぶり、逸れに憮然としてできるだけ無視する他社の沈黙ぶりは、まるで小学校の運動会のようなものです。
初出:梶村太一郎さんの「明日うらしま」2015.03.16より許可を得て転載
http://tkajimura.blogspot.jp/2015/03/nhk.html
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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