「尖閣は中国領」の鉄証の値段、1億7000万円! -管見中国(34)-
- 2010年 12月 29日
- 評論・紹介・意見
- 中国尖閣問題田畑光永
今年の日中関係は9月、尖閣諸島海域で不法操業していた中国漁船が逃走する際にわが国の海上保安庁の巡視船に故意に衝突した事件ですっかり暗転してしまった。尖閣諸島がニュースの焦点になったのは、03年に7人の中国人が魚釣島に強行上陸して以来だが、いつかはこういう「衝突」が起こるのではないかと危惧されながら、両国政府ともそれぞれ自国の立場を繰り返すのみで、「衝突回避」のための方策さえも考えずに放置してきた結果であった。
こんな火種をそのままにしておくのははなはだよくないのだが、領土問題に手を染めるほどにはどうやら現在の両国政府は自国民の信頼を得ていないようだから、一速即発の状態は来年も続くことになる。
そんな折、中国におけるこの問題の関心の度合いを量るのに参考になりそうな出来事があった。「釣魚島(尖閣諸島の中国側の呼称)が中国領であることを示す鉄の証拠」という触れ込みの古文書が20日、北京で競売にかけられ、なんと1325万元、日本円にして約1億7000万円という高値で落札されたのである。
問題の書籍は清代の文学者、沈復の自伝的作品『浮生六記』の逸失していた2冊のうちの巻五『中山記暦』で、山西省の彭令という書店主が2005年秋に南京の骨董市場で偶然発見したものという。
それがなぜ尖閣諸島と関係があるかといえば、その中の「冊封琉球国記略」という部分に以下の記述があるからだ。
「…十三日辰刻、見釣魚台、形如筆架。遥祭黒水溝、遂叩祈於天后。忽見白燕大如鴎、繞檣而飛、是日即転風。十四日早、隠隠見姑米山、入琉球界矣」
簡単に意訳すると、「…十三日早暁、釣魚台を見る。形は筆立てのようである。はるかに黒潮の流れを祭り、天后に祈る。ふと鴎ほどの白燕が現れ、帆柱を廻って飛び去る。この日、風が変わる。十四日早朝、姑米山(久米島)をはるかに見る。琉球に入ったのだ」
当時、清国と琉球の境界は黒潮の流れとされており、この記述によって釣魚台(魚釣島)が中国の領域に属することが確認されたというわけである。
しかし、このニュースは私には解せない。中国が釣魚島は自国領だと主張する根拠として、このように古文書に登場することを挙げるのは昔からで、清代の前の明代における琉球冊封使の記録(たとえば陳侃の『使琉球録』1534年)にもこうした記述があることはすでに指摘されている。今さらこれが見つかったといっても、取り立てて喜ぶほどのこととも思えない。
おそらく、これまでにも文書はあったが、今回新たにこの資料が見つかったことで、中国領という証拠が増え、主張がより磐石のものとなったということなのであろう。それにしても1億7000万円とは法外だし、落札者が何を目的にこんな値段をつけたのかも今のところ不明である。
それだけなら、別にたいしたことではないのだが、じつはここに尖閣問題で日中間に共通認識ができない理由がある。そのことを考えてみたい。
中国では自国の記録にその存在が登場していることをもって領有の根拠となるという考え方が一般的のようである。確かに分かりやすい考え方であり、日本で「尖閣は中国領」論を唱えた故井上清氏も、著書『尖閣列島』でたとえば江戸時代に林子平が作った『琉球三省并三十六島之図』に尖閣が描かれていないことを中国領であることの根拠として挙げている。
しかし、記録に登場する、つまり存在を認知していたからといって、それがそのまま領有にはつながらないのが近代以降の国際法の考え方である。そこに自国民が住んでいるか、自国民が実効支配した証拠があれば領有の根拠となるが、無人島であって人が住んでいた痕跡のない魚釣島のような場合、存在を知り、名前をつけたからと言って領有したことにはならない。
どうもそこを一般中国人は誤解しているようで、こういう「証拠」を探し出しては、「どうだ!文句はあるまい」という論陣をはる。実情を分かっているはずの政府(外交部)もその誤解を正そうとせず、そういう証拠で国民があの島々を自国領と思い込むのを政府に対する応援とでも思っている節がある。
ここでは詳しくは書けないが、明治28(1895)年1月14日、日本政府は閣議決定であの島々を日本領に組み入れたという日本の主張には確かに問題がある。しかし、領土問題というのは今に近い時期の政治的動きが現状を規定するのであって、第二次大戦後、当時の中華民国政府があの島々について領土主張をしなかったこと、そして1972年の日中復交交渉で周恩来首相がこの問題の討議を避けたことが中国の立場を決定的に不利にしているのだ。
そこを無視して、いくら「古証文」を持ち出しても実際には無意味である。無意味だけならいいが、それによって中国国民がますますあの島々を中国領と思い込み、日本の「不法占拠」を自分たちの実力で排除しようと考えるとなると、事態は深刻になる。9月の中国漁船の船長なども心の底にはそういうものがあって、乱暴をしても自国の政府がなんとかしてくれると思ったのではないか(そして現実にもそうなった)。
こういう状態を放置するのは両国政府の怠慢である。現実を両国民に知らせなければならない。それをすれば、中国側は自分たちの政府の無能、失策を国民に知られるからこれまで「釣魚島は古来、争う余地のない中国領」と言うだけできた。日本政府はまた「東シナ海に領土問題はない」と言えばことはすむと、現状確認の労を惜しんできた。
9月の事件も一応落着けば、あらためて話し合うことをせずに、あいまい状態に戻して「解決」と思っているようである。これは時限爆弾を放置するに等しいのだ。両国政府とも国民に毅然とした態度をとれない状態であることは仕方がないが、時限爆弾はいつかは爆発することを忘れてはならない。
「ちきゅう座」に掲載された記事を転載される場合は、「ちきゅう座」からの転載であること、および著者名を必ず明記して下さい。