二匹目のドジョウ―はみ出し駐在記(45)
- 2015年 9月 4日
- 評論・紹介・意見
- 藤澤豊
上司に釣りに行こうと誘われた。同じコンドミニアムに住んでいる知り合い(歯医者)と行くのだが、三人乗りのボートなので二人ではもったいない。週末暇だろうし、たまには釣りもいいじゃないかと言うお誘いだった。知り合いが釣りを趣味とした人で、釣竿も餌も用意してくれるから、お前は空手でくればいい。ロングアイランドを事務所からちょっと行ったところで直ぐそこだ。
釣りは、子供の頃にオヤジに連れられて、ちょっと大きくなってからは遊び仲間と行ったが、中学をでたあたりから行かなくなってしまった。もっぱら沼か川にフナを釣りに行って、日がな一日かけてクチボソ数匹で終わりのことが多かった。
精神的に貧しいのだろう、釣りに行けば、釣れても釣れなくてもかまわない、のんびりできればいいと割り切りきれない。行くからにはそれなりの成果も欲しい。その思いがあると、何もしようのないところで、釣り糸たれて、ゆったりとした一日を過ごせない。歳もいって、やらなければならいことも、やりたいこともあれこれでてくれば、日がな一日という気になれない。
上司と行って十匹も釣れればいいのだが、もしあぶれでもしたら、狭いボートの上で気晴らしどころか一日中いやな思いをすることになる。それでなくても仕事では毎日のように叱られていたから、折角の週末に一緒にという気にはなれない。気が乗らない。できれば上手く断ってしまいたい。
断ってしまいたいのだが、海釣りは前々から一度はしてみたいと思っていたこともあって、ちょっと考えた。沼や川での釣りではとんでもないのが掛かることはない。魚は魚らしい格好と色をしている。たまに間違ってザリガニとか金魚が掛かることがあるが、ご愛嬌でしかない。ところが海になると沼や川とは違って、生き物の種類も豊富で、何が上がってくるのか分からないハプニングもある。一人で海釣りに行くなど考えられないが、全てお任せで経験できるのなら乗らない手はない。
淡水魚では鮎とかヤマメなどの渓流魚以外、一般的には釣るだけの楽しみで食べることは考えていない。子供の頃、釣った魚は、なんとか生かしたまま持ち帰って、庭の池に放して飼っていた。上司は現実的な人で、食せない釣りはしないと言っていた。釣った魚を自分でさばいて食べてまでが釣りのプロセスで、食べなければ釣りが終わらない。海釣りには釣った魚を食べる楽しみがある。狙いはレッドスナッパー、見たところ鯛に似ている。上司の話を聞いて、釣る前から今晩は鯛の刺身に塩焼きに。。。、捕らぬ狸の皮算用までしてしまった。話している上司の方は、さばくところから始まって大狸の皮算用だったろう。
エンジン付きの小さなボートで釣り場に向かった。岸は直ぐそこに見える。小さなボートで十分というより小さなボートでなければ底を擦る浅瀬だった。どこがいいのか?考えることも探す必要もない。既に何艘もの小さなボートで釣っている人たちがいた。良く釣れているボートの邪魔にならないところまで近寄って釣りを始めた。
何が違うのか分からないが、隣のボートは釣れるのに、こっちの三人にはあたりも来ない。もたもたやっていたら強いあたりが来て、なんなんだとリールを巻き上げていって驚いた。赤と黒の棘だらけの魚(カサゴ?)が上がってきた。もしや棘に毒でもあったらと思うと掴めない。針を外せない。怖くて、糸を切ってしまった。
上司の話では、裕福な白人は一般的に釣りはしない。釣りをするのはどちらかというと社会の下流の人たちが多い。「あそこで山のように釣っている黒人、趣味で釣ってるわけじゃない。フィッシュマーケットで売って生計の足しにしている。」そう言われて、周りを見ると、確かに白人白人した感じの人たちは見当たらなかった。
歯医者先生、釣り好きというだけあってよく知っていた。仕掛けをちょっと変えたら釣れ出した。丁度いい頻度で釣れる。隣ほど頻繁に釣れたら忙しくてしょうがない。東京近郊では考えられない。
三人でまた来た、また来たと言いながら面白いように釣っていって、気が付いた。これ以上釣っても入れるバケツがない。あまり多く持って帰っても、処理が大変だということで、早々に引き上げた。戦果を歯医者と上司の二人で山分けして、上司に連れられてお宅にお邪魔した。かなりの量で奥さんだけでは処理しきれない。器用な人で奥さん以上に手際よくさばいていった。夕食はレッドスナッパーづくしのご馳走だった。
レッドスナッパーで味をしめて、今度はクリスマスにタラを釣りに行こうという話しになった。多くのアメリカ人にとって、クリスマスは家族で穏やかに過ごす祭日。店はどこも閉まっている。開いているのはチャイニーズやユダヤ系の店に日本メシ屋ぐらいだろう。キリスト教徒でもない者にとって、クリスマスはバーゲンセールぐらいの意味しかない。
コネチカット州の沖合いまで、大きな乗合釣り船で出かけることになった。当日、ほとんど嵐のような天気で釣りどころではなかった。にもかかわらず釣りキチはどこにもいるようで、満員ではないにしてもかなりの釣り人が乗っていた。
タラなら大きいから一匹二匹でもいい。今晩は上司のところでタラづくしと目論んでいたが、風は強いは、みぞれまじりの雨も降って、頭からびしょ濡れ、眼鏡についた水滴がうっとうしい。竿を持つ手がかじかんでしょうがない。はーはー息をかけながら、それでも釣り糸を下げていたら、急に我慢できなくなった。船酔いで戻した。一度戻したらそれで終わりかと思ったら、甘かった。何度も戻すというのか戻すようなことというのかオェとゲーゲーを繰り返した。戻そうにも、もう胃の中には何もない。何もないのに戻そうとする。その度に胃が雑巾を捻って絞られるようで苦しい。ずぶ濡れで寒いは涙はでるは、涙と鼻水でぐしゃぐしゃになりながら、たまにかかるのは五十センチくらいのスナザメ(上司の言)。もしやタラかもしれないと思って、揚げてみればスナザメを何回かで終わった。
乗合い釣り船は芦ノ湖あたりの遊覧船より大きいし、船内もゆったりしていた。寒さに船酔いで船内に引き上げたが、船酔いは治まらない。戻しそうな感じがして、慌てて外にでて手すりから上半身をだしてオェ。寒いから船内に戻るが、また戻しそうな感じがして外にを繰り返した。外にでるなら、何としてもタラをと思って、オェをしながら釣り糸を垂れていた。
上司の車でお宅に戻ったが、船酔いの後遺症とでもいうのか、陸に上がって何時間も経っているのに、揺れている感じが消えなかった。
奥さんの力では固いスナザメの皮を剥けない。釣った魚は何が何でも食すのが釣りと思っている上司、軽い船酔いはしていたはずなのにピンピンしていた。固い皮を力任せにズルッと剥いて手際よくさばいて、なれた手つきでスナザメの刺身と揚げ物が出来上がった。スナザメ、見てくれは悪いが、季節のおかげか脂ものっていて、ちょっと質の落ちるマグロのような味で食感もまあまあいける。
アメリカ人の同僚が言っていたのを思い出した。「安いダイナーのホタテはサメの肉を型抜きしたものが多い。」料理の仕方ではマグロやホタテに化ける(スナ)ザメ、悪くない。タラがスナザメに化けて、それをマグロのつもりで食べた。
レッドスナッパーで味を占めてタラをだったが、キリスト教徒の国で聖なるクリスマスに釣りにいったバチが当たったような気がした。
Private homepage “My commonsense” (http://mycommonsense.ninja-web.net/)にアップした拙稿に加筆、編集
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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