テント裁判と国家の品格
- 2015年 9月 20日
- 評論・紹介・意見
- 岩田昌征
私は、経産省前テント広場裁判を地裁で2回、高裁で3回傍聴することが出来た。3回目が9月18日結審であった。くじ運が良かったらしい。
私の率直な印象は、「日本国家から品格が消えた。」である。もともと国家に品格があろうか、と問うことも出来よう。しかし、国家は品格があるかのようにふるまう。品格なき権力は単なる暴力であるからだ。
平成23年(2011年)3月11日の、原発爆発の原因となった大地震・大津波に匹敵する大震災が1100年余り昔、清和天皇貞観11年に陸奥国地を襲った。清和天皇の詔に曰く。「百姓何辜、罹斯禍毒、憮然媿懼、責深在予、・・・・・・、俾若朕親覿焉。」「一般民衆には何の落度もないのに、こんなひどい禍毒に苦しんでいる。私は暗然として恐懼する。責は深く私に在る。」と自省して、清和天皇は、ただちに検陸奥国地震使を派遣し、国司と共に諸々の救済対策をとらしめ、そして「私自身が民衆と会っているようにふるまえ。」と彼等に指示している。私は、ここに国家の品格を見い出す。
私は、裁判傍聴の最中、無感動なエリート官僚諸氏の姿を見て、ふと次のような光景を想像した。陸奥国人が京都官衙かたわらの無使用地に請願天幕を張ったとしたら、朝廷は陸奥国人に1日当り土地使用料を払えと要求したであろうか、と。清和朝廷が天幕の国人に対してなしたであろう最初の対応は、「責深在予」の詔を示すことであったろう。
最後に一言。清和天皇の詔に「禍害」のような表現でなく、「禍毒」の如き異様の表現が使われている。1100年後の放射能汚染を予感しているようだ。
平成27年9月20日
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔opinion5684:150920〕
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