シリア人等難民問題――生命から生活へ――
- 2015年 9月 25日
- 評論・紹介・意見
- 岩田昌征
「ちきゅう座」で現在進行中のシリア人等難民大量移動事件について何人かが書いている。いずれもスペイン在住、ハンガリー在住、ドイツ旅行中の人だ。日本国内の新聞やテレビ報道だけでは、何かを述べる材料としては不十分なのかも知れない。
私は、難民達がギリシャ、マケドニア、セルビアを通り、EUのハンガリーとクロアチアに入国し、ドイツを目指す生の姿をセルビアとクロアチアのテレビ画面上で見ている。インターネットのおかげである。シリア人やイラク人が主のようであるが、アフガニスタン人もいる。更に、カシミール人もいる。インドへ出て、パキスタンを経て、1ヶ月かかって、ここハンガリー国境近くのセルビアの町にたどりついた、と語っていた。また、あるシリア人一団のリーダーとおぼしき青年は、「1人当り2000ドルかけている。ドイツ在住の伯父さんから一々国際電話で指示を受けて動いている。」と語っていた。
難民達の中で海路を選んでギリシャ海岸にたどりつくまでは「命からがら」の思いをした人達はいた。しかしながら、その後はきつい旅ではあってもGPSの助けでほとんどまよわず、とぼとぼかすたすたか前進している。電子画面にうつる難民達は、口々に「ゲルマニア、ドイツ!」と言う。若者達は、「ドイツだ。スウェーデンだ。そこで勉強を続け、就職したい。」と希望を叫ぶ。誰もセルビアやクロアチアやハンガリーに保護を求めない。要するに、何年か前にイラク戦争から、シリア内戦から脱出して隣国に保護を求め収容されていた段階までは、「生命」の問題であった。しかるに、その後の現在おきている難民大移動は、「生活」の問題、「良き生活」を希求する、絶対的というより相対的に高次の人道問題だ。
シリア難民が口々に「ドイツ、ゲルマニア!」と語るのを見て、私は、独仏競争に勝負がついたな、と実感した。シリアは、長い間フランスの委任統治領であった。フランスの文化的影響力が強いと思われていた。植民地主義が崩壊しても、宗主国の吸引力は強く残り、インテリの若者は旧本国へあこがれる。ロンドンへ、パリへ。ところが、今やシリアの若者は、難民となってベルリンへあこがれる。
私は、2011年3月以降の福島原発避難民と現在のシリア難民とを対比せざるを得ない。福島避難民達は、茨城県、栃木県、埼玉県を通過するだけで、「ここは目的地ではない。東京だ!。あそこで仕事をしたい。あそこで勉強したい。」などと口走ったことは絶対なかった。
こう書いたからと言って、私は、難民排斥論者ではない。2011年3月に福島原発の第4原子炉の使用済み核燃料貯蔵施設が爆発しなかった。しかし、9月18日のテント裁判結審で河合弁護団長が指摘した如く、その爆発がおきなかった事は単に僥倖であって、その可能性は高かった。そうなれば首都圏全体もまた強制避難地域となって、3千万人から4千万人が逃げ出さざるを得なかった。日本国内へ向う避難民だけでなく、太平洋岸から、日本海岸から大量の日本人がボートピープルとなって出て行く。映画『日本沈没』の光景が実現することだって、あり得たわけだ。そう考えると、「生命からがら」の難民に対しては、日本はもっとオープンになった方がよかろう。
さて、EUは、ドイツ志望難民を加盟諸国に分配すると言う。中東欧の国々は猛反発している。クロアチアのテレビで、ポルトガルからもどってきたばかりの識者が解説していた。
ポルトガルは、千名余の難民受け容れを割り当てられたが、反発するどころか、あと1500人の受け容れを希望していると言う。理由は、EUの経済先進国へ何十万の優秀なポルトガル人が移住してしまって、人口減に悩んでいる。そこで一時滞在でなく、永住する難民を迎え入れたい、という事だ。
平成27年9月25日
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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