テント日誌10月19日(月) 経産省前テントひろば1500日
- 2015年 10月 21日
- 交流の広場
- 経産省前テントひろば
テントの1500日は通過しつつある日々の中で
テント前ではいつもよりも写真を撮る人が多い。何故だろうと思ったら、テントの掲示版に「テント設立1500日」とあったからだ。そばの女性はもっと目立つところに掲示すればよかったね、といったが、気になるものだった。プロ野球で安打を2000本打った選手は通過点ですと語る。幾分かは照れくささがあるのだろうが、内心ではここに来る過程の苦闘に、あるいは自分自身に褒め言葉を与えているのだろう。同じように、1500日、僕自身も含めてテントを支えてきた皆さんに、これは直接、間接を問わず関わった多くの人々になるのだが、「よくやった」とほめ言葉を呈したい。2000本安打を打つ選手は選手生活の晩年と闘いを余儀なくされるが、テントは長期間の闘いが風化を余儀なくされるという困難性と闘っている。外から見ればさして変哲の見えないテントでも、その内側で支えている人たちの間ではドラマがある。それは様々の葛藤であり、自己問答として演じられている。「続けるべきか、もう限界か」「この闘いの意味は何だ」「この厚い権力(官僚)の壁はどのように破られるのか、その可能性はあるのか」など、ドラマや自己問答は様々であるが、人々の内心の葛藤とそこからにじみ出る行動がテントをささえ、存続させている。このドラマに誰かが、いつの日か言葉を与えてくれるかもしれないが、今はまだ言葉ならざる言葉としてそれはある。
テントの立てられた経緯や過程については多くのところで語られているのでここでは繰り返さない。ただ、一点だけ上げれば、テントを構想し、設立して人たちの誰もがこんなに長く存続するとは思っていなかったということだ。予想超えてテントが存続してきたことには多くの条件があるのだろうが、このことはテントが生み出すものが予想以上のものであったことを物語る。テントは僕らの意志によって出来上がり、存続しているのであるが、テントにはまたテントが生み出すものが存在している。テントは何の変哲もないテントだが経産省前テントひろばのテントとして独自のものだ。それは政治的力となったテントであり、人々の共同の存在になったテントである。そして、テントは僕らの意思をこえた意思の表現になっている。無意識が表現されているのかもしてない。僕らの考えや意識を超えてものが実現している。
僕らはデモや集会という権力に異議申し立てをするこれまでの運動の形態とは違うものを生み出したかった。脱原発運動がその繰り返しの中にある限界を少しでも超えたかった。それは未踏の領域にある運動の形態を生み出すことだった。歴史的にはこうしたものは自然発生的にしかうまれないのだろうが、そこに道を付けたかった。あるいは石をおきたかったのだ。多分、それが道になるか、石として発展するかは今後のことだろうが、その役割は果たし得たと思われる。テントが現実に存在し、機能したことは僕らの想像を超えたところがあり、それは今後の影響の中にでてくることだろう。
僕らが意図したことのひとつはこのテントを運営し存続させる主体をこれまでの伝統的な政治的・社会的集団ではなく諸個人の集合としたことがある。いわば運動に不可欠の集団の構成を伝統的な集団のあり方から、個々人の集まり、個々人の意思の結集ということに意図的に変えたことである。このことは反体制的。反権力的運動が閉鎖的になり、内部対立で自滅してきた歴史を超えたいということでもあった。運動は現実的なものであり、生き物であり、そこで様々のトラブルが発生するのは必然である。善悪の問題ではない。それは矛盾といえば矛盾であるが、生き物としての矛盾の発生である。問題はこのトラブルを解決する仕方であり、伝統的な組織優先の解決方法は自滅しかもたらさないことを経験してきた。これとどう違う対処ができるか、ということの一つとして個々人の集まりということを意識的に考えてきたのだが、これは現在のところはそれなりに機能していると思う。運動に伴う組織の形態(パターン)をどう変えていくかということは今後の課題だろうが、その先行的試みは功を奏していると思う。
テントは原発の再稼働阻止を目的に設立された面は強い。現在。政府や業界は川内1号機・2号機の再稼働に踏み切り、この後も再稼働が続くことが予想される。僕らは民意など考えることのない、国家(官僚)独善の国家主義的政治の厚い壁に直面している。これは辺野古新基地建設にみられる政府の態度にも明らかだ。彼らは口を開けば法治によってという。しかし、現代の法治は国民主権と表裏一体であり、民意を無視した法治はない。彼らの法治はアジア的、中国的な法治思想である。儒教からみれば異端であった法家の思想(アジア的、中国的名法治の思想)は江戸時代に荻生徂徠に取り入れられ、官僚政治(支配)の隠れた背景となってきた。この法家の思想は一見合理的であり、近代の法思想と似ているが、それが皇帝や官僚の法であること近代の法とは決定的に違う。国家のために、官僚のためにあるほうであり、国民主権は存在していない。安倍らの政府与党の政治家や官僚たちが法治を口にしながら、憲法(国民主権)を無視しているはそのためである。この官僚や支配権力の背骨にある法家に思想は儒教とともに歴史的な基盤を持つものであり、この厚い壁と僕らはぶっかっている。沖縄の自己決定という考えが象徴するように、伝統的な権力の思想との闘いはあちらこちらで登場している。国会周辺にやってくる人たちが憲法を守れといい、安倍政治を許さないというのも同じである。この壁を意識しつつテントを存続させる、その闘いを持続するしかない。これも。また1500日という日が僕らに刻んでいるものの一つである。(三上治)
10月24日(土)6時からテント1500日を祝し今後のための交流会
10月24日(土)18時からテントにて設立1500日を祝す会をやります。皆さん、参加して明日に向かうエネルギーを充電しましょう。18時第二テントにて。500円+一品持ち寄りで。参加自由です。
10月26日(月)テント裁判判決日 当日の予定
● 13時30分 テントひろば前集合
● 14時 東京高裁前集会
● 15時 判決(102号法廷)
● 15時30分 記者会見
16時 報告集会 衆院第二議員会館 多目的会議室
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