チャイナタウンの賭場-はみ出し駐在記(67)
- 2015年 12月 14日
- 評論・紹介・意見
- 藤澤豊
マスターから何度か話を聞いて、一度は行ってみたいと思っていた。話にはでるのだが、「じゃあ、行こうか」にはならない。何か行けない理由があるのか、行くための準備が整わないのか分からないが、何かありそうな気がして、こっちから「行きましょうよ」とは言えなかった。
チャイナタウンの合利飯店には、いつも朝の三時過ぎに、ほとんど閉まりかけているところに入っていった。顔見知りとはいえ、迷惑な客だったろう。たった二人のために店を閉められない。マスターがいるからできることで、自分一人ではとてもできない。
二人とも面倒くさがってメニューも見ない。海老やハマグリをスチームしたもの、タニシの甘辛味噌煮や野菜と何かをいためたものを適当にという注文で、メインの素材を言えば、細かなことなしで美味いお任せ料理がでてきた。米も麺も食べない。そんなものを食べたら腹が膨れて、食べたい物が食べられなくなる。口直しは7upかなにかのソーダ、荒っぽい食べ方だった。
ある朝、いつものようにチャイニーズポーカも終わって、「行こうか」でチャイナタウンに向かった。合利飯店に着いて、マスターが店に一歩入ったところで止まってしまった。「こんなところで立っててもしょうがないじゃないの。何してんの、さっさと入って、いつもの席に座ったらいいのに。。。」と思っていた。
時間にして五分くらいだったと思う。顔なじみのウェイターが私服でささっという感じで出てきた。出てきたのはいいが、様子がおかしい。「なんで私服なの?なんなのその忍者のような足の運び方は?」店を一歩出て、まるで人目をはばかるよう左右を見た。
ウェイターが先に立って歩き出した。もうフツーの歩き方になっていた。数ブロック行って路地に入った。狭い路地をちょっと行って曲がって、どこにでもある重そうなドアを叩いた。ドアが開いて、ひょいという感じで無愛想な顔が出てきた。ウェイターの顔を見て、出てきた顔がこころもち緩んだ。顔なじみだ。ドアが開いて、ウェイターについてマスターと一緒に中に入った。そこは薄暗い廊下だった。無愛想な顔について廊下を歩いて行ったら、また重いだけのドアがあった。無愛想な顔がドアを叩いて、うちからドアが開けられた。中はまるでミッキー・ロークとジョン・ローンが共演した映画『イヤー・オブ・ザ・ドラゴン』の一シーンのようだった。映画は映画として脚色されているが、そこにそのモデルがあった。男だけが三十人くらい、人種は分からない。見たところ東洋系しかいない。二人を除いて、多分全員が中華系だったろう。
たいした広さはない。賭場とカウンターだけのバーがあった。狭くてルーレットを置くスペースがない。ルーレットが立っていた。ボールではなく、時計で言えば十二時の位置に矢印が付いている。ルーレットの円盤がごろごろ回って、止まったときに矢印のところにある数字なり色が勝ちというルーレットだった。たいしたゲームはない。ポーカーにブラックジャック、おはじきの数当てだけだった。
ゲームはたいしたことはないが、そこにいた人たちというのか雰囲気が経験したことのないものだった。ヤクザ映画の賭場のシーンに描かれている、咳をするのもためらう緊張感があった。何をするにも周囲に雑音で迷惑をかけないように、出来る限り自分の存在を消さなければならない。賭けの席に座って、「ついてない」程度の独り言はいいだろうが、それ以上の話はできるような雰囲気じゃない。話をしたければバーに行ってになるが、そこでも小声でしか話せない。
マスターと二人で立ったルーレットとブラックジャックで遊んでから、おはじきの数当てという地味なゲームをやっては、お休みでバーで飲んで、またゲームに戻って、また飲んで。。。で終わった。
飲みながらマスターと小声で話していて、何気なく周りを見て、なんと説明していいのか分からない異様な感じがした。勝ち負けで熱くなっている人もいるはずなのに、見る限りではそんな素振りのはいない。たまに小声の話し声は聞こえてくるが、誰もが無表情でほとんど止まっているか、緩慢な最小限の動きしかしない。その人たちのどこまでが客なのか、誰が店のガードなのか分からない。感情のないスローモーションのような、何度行っても慣れようのない薄気味悪さだった。
おはじき数当てゲームと勝ってに呼んでいるが、名前は知らない。親が一握りのおはじきをテーブルの真ん中に置く。賭けるところは「ゼロ」「一」「二」「三」の四箇所ある。先が斜めに曲がったアイスホッケーのスティックのような、長さ三十センチくらいの細い棒で、親がおはじきの山から、おはじきを四個ずつ取り分けてゆく。最後に山に残ったのが三個なら、「三」にかけた金額が倍になって戻ってくる。小学生でも分かる分の悪さがある。勝てる確立は四分の一で、勝ったときのリターンは二倍。やればやるほど負けが込む。それでも真剣に賭けている中国人をみると、本当に生まれながらにして賭け事が好きなんだろうなと、妙に納得してしまう。社会が不安定で、フツーに生きようとしたところで、人生そのものが賭けのような社会なのか。それが彼らの賭け事好きの本質かもしれない。
Private homepage “My commonsense” (http://mycommonsense.ninja-web.net/)にアップした拙稿に加筆、編集
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔opinion5806:151214〕
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