金時鐘『朝鮮と日本に生きる』とチェジュ島 & IS問題と聖ゲオルギウス
- 2016年 1月 3日
- 評論・紹介・意見
- 宇波彰
金時鐘『朝鮮と日本に生きる』とチェジュ島
2015年の大佛次郎賞は、金時鐘の『朝鮮と日本に生きる』(岩波新書)に決まった。大いに慶祝したい。この本は,岩波書店の雑誌「図書」に連載されていたものをもとにしている。私は「図書」連載中、毎号欠かさずに読んだ。
本書は、韓国チェジュ島(済州島)において、1948年に始まった,いわゆる「4・3事件」を重要なテーマにしている。チェジュ島に「皇国少年」として育てられた金時鐘の体験と、政治的事件とが重なって記述される。個人の記憶と集団の記憶が交錯し、極度の緊張感が伝わってくる。
4・3事件は、チェジュ島の民衆の反権力の闘争である。本書を読むと、権力の力と民衆の力の衝突がわかってくる。ソレルは,その『暴力論』で、「力が上から下へと働くときは権力であり,下から上へと働くときは暴力である」と述べたという。(寺山修司は,このソレルのことばを繰り返して引用している。)4・3事件は、まさに権力と暴力の激突した事件であった。最近刊行されたムン・ギョンス『新・韓国現代史』(岩波新書)でも論じられている。
しかし、「4・3事件」がどういう事件であったかを知っているひとは多くないであろう。数年前、チェジュ島を訪れたとき、タクシーで「4・3記念公園」に行ったが、運転手に「どうして日本人のあなたがこの事件のことを知っているのか」と、何度も聞かれた。私が金石範の長編小説『火山島』を読んで知ったと答えると,それは韓国でも訳されていると教えてくれた。
4・3記念公園は、公園という名称であるが,実は博物館でもある。日本語のパンフレットも置いてある。庭には、ベルリンの壁の一部分が置かれてある。南北朝鮮の統一を願うという意味かもしれない。この公園は,進歩派であったノ・ムヒョンが大統領の時代に作られたものである。
チェジュ島に行く機会があるひとには、金時鐘の本書を読んでおくことをおすすめしたい。また、4・3記念公園をぜひ訪れてほしいと思う。(2015年12月30日)
IS問題と聖ゲオルギウス
ヨーロッパに行くと、いたるところに「聖ゲオルギウスとドラゴン」の像がある。1980年代に,私はギリシアのテッサロニキの土産物屋で、小さなイコンを買ったが、あとで見るとそれも「聖ゲオルギウスとドラゴン」の図像であった。2015年10月に私はプラハに行ったが、王宮の広場に「聖ゲオルギウスとドラゴン」の銅像があり、またその近くにある「聖イジー聖堂」の「イジー」が、ゲオルギウスのことであるのを知った。
多くのばあい、ゲオルギウスは馬にまたがり、長い槍でドラゴンを殺そうとしている。この構図は,ルネサンス以降の多くの作品でも踏襲されている。またそのドラゴン退治の場面には,一人の若い女性の姿があるのが普通である。
ゲオルギウスは、紀元3世紀の人で、キリスト教の伝道に努めたが、ローマ軍に捕らえられ、鋸で切られて処刑されたと伝えれている。ゲオルギウスについては、さまざまな伝承があるが、そのなかで最も有名なものは、彼によるドラゴン退治である。若い女性を毎年食べに来るドラゴンを退治した話は,スサノオの八岐大蛇退治の物語と似ている。その伝承に従って、「聖ゲオルギウスとドラゴン」の図像では、若い女性が、ゲオルギウスのかたわらに立っているということになる。
フランスの美術史家ジョルジュ・ディデイ-ユベルマンによると、現代まで続く「聖ゲオルギウスとドラゴン」という構図は,12世紀になって作られたものであり、十字軍と関係があるという。初期のゲオルギウス像は、すべて「受難」の姿を描いたものであり、ドラゴンも槍も若い女性もなかったとディディ・ユベルマンは書いている。12世紀になって、ゲオルギウスはキリスト教を,ドラゴンはイスラムを示す記号として用いられた。この構図はイスラムに対するキリスト教の勝利を祈念するものであると彼は主張している。(George Didi-Huberman,Saint George et le dragon,Adam Brio,1994)
もっとも、ゲオルギウスが本当に偉い殉教者であったかは確定できない。エドワード・ギボンは、『ローマ帝国衰亡史』の第28章でゲオルギウスに言及しているが、それによると,彼は強欲のひとで、獄舎につながれていたが、激怒した民衆が彼を獄舎から連れ出して殺害し、死体を駱駝に乗せて市街をひきまわし、最後は海に捨てたという。ギボンは、この「悪名高い」(infamous)な「殉教者」が、どうしてイギリスの守護神になったのかといぶかって、次のように書いている。「この厭うべき異邦人(ゲオルギウス)は、時間と場所のあらゆる状況を隠して、殉教者・聖人、そしてキリスト教の英雄という仮面をかぶった。この悪名高いカッパドキアのゲオルギウスは、武勇と騎士道とガーターの保護者である有名なイギリスの聖ジョージへと変貌した。」(ギボン『ローマ帝国衰亡史 第三巻』村山勇三訳、岩波文庫、1952,p.363、訳文は少し変えてある。原文はネットで読める。)
もとのゲオルギウスが、そういう人物であったかは、ここでは問題ではない。重要なことは、「ゲオルギウスとドラゴン」という図像が、ヨーロッパのいたるところに存在していて、ヨーロッパ人の意識にこびりついているということである。
いま、ロシア、アメリカ、イギリス、フランスなどがISに対して爆撃を行っている。私にはそれが,地下の穴から這い上がってきたドラゴンを,馬上から槍で刺しているゲオルギウスの姿と重なって見える。
ところで、毎日新聞(11月11日)に、フランスの経済学者・思想家のジャック・アタリの意見(記者が取材したもの)が載っている。アタリによると、「いま世界で起きているのは、文明間の衝突ではなく、文明と野蛮の衝突」だという。「民主主義を体現し、高い生活水準を誇るフランスは世界で最も優れた国」であり、過激派の行動には、それに対する嫉妬もあるかもしれないという。アルジェリアを始めとして,軍事力で世界各地を植民地化したフランスがどうして「世界で最も優れた国」なのか。シリアにしても,第一次大戦のあと、「委任統治」の地域になったシリアも,フランスが軍事力で植民地にしたのである。そういう歴史を無視したアタリの発言にはいかなる説得力もない。(2015年12月14日)
初出:「宇波彰現代哲学研究所」より許可を得て転載
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