「1965年の日韓請求権協定で決着済み」は誤り~「従軍慰安婦」問題をめぐる日韓政治「決着」を考える(3)~
- 2016年 1月 11日
- 時代をみる
- 醍醐聡
2016年1月10日
「従軍慰安婦」問題は決着したのか?
今回の日韓外相会談に臨むにあたって、日本政府の最大の関心事は、慰安婦問題で合意にこぎつけ、それを受けてこの問題を「蒸し返さない」という確約を韓国側から取り付けることだった(NHK、2015年12月28日、おはよう日本、ニュース11:52)
それだけに、両国外相会談後に行われた共同発表の中に、双方が「表明した措置が着実に実施されることを前提として慰安婦問題が「最終的かつ不可逆的に解決されることを確認する」という表現が盛り込まれたことをさして、日本にとっては「満額回答」とみる向きがある。これまで何度か、最終決着を謳いながら、その都度、韓国がゴール・ポストをずらりして慰安婦問題を再燃させてきたという不信感が根強かった日本政府にとっては成功裏に決着を図ったという思いがあっても不思議ではない。
しかし、それでも、慰安婦問題に関わった当事者や保守層の間では、これで本当に決着するのか、疑心暗鬼もくすぶっている。例えば、1993年の河野官房長官談話の作成に携わった石原信雄・元官房副長官は「慰安婦問題をめぐる最大の懸念は、戦後補償の請求権の問題を韓国政府が再び蒸し返さないかどうかだ」と発言している。(2015年12月29日、朝日新聞)
実際、今回の外相会談に先立ち韓国のユン外相は、慰安婦問題について「財産・請求権の問題は完全かつ最終的に解決」と明記した1965年の日韓請求権協定の対象外とするこれまでの韓国政府の見解を強調していた(NHK、おはよう日本、2015年12月28日)。
これに対し、岸田外相は、財産・請求権の問題は日韓請求権協定完全かつ最終的に解決済み、という日本政府の立場を堅持する考えで会談に臨んだ(NHK、同上)。
しかし、会談後の共同発表を読んでも、見解が分かれていた請求権問題が会談でどのように決着されたのか、あるいは棚上げされたのかは明らかでない。
それ以前に、何についての「最終決着」なのかを特定せずに、「この問題が最終的かつ不可逆的に解決されることを確認する」と言っても「手打ち」という以上に検討に耐える中身ではない。
「従軍慰安婦問題」に含まれる3つの責任
~賠償責任・道義的責任・伝承責任~
問題の経緯を踏まえていうと、「慰安婦問題」には次のような複数の懸案事項が含まれている。
➀ 法的道義的責任 「従軍慰安婦」とされた女性を狩り出し、彼女らに日本軍兵士相手の売春を強要するという犯罪に日本が国家として組織的に関与し、しばしばそれを主導したという戦争責任を認識すること。こうした歴史認識を加害国である日本の政府が共有し、継承すること。それがあって初めて、何に対する、何ゆえの「お詫び」であるかが明確になる。
②賠償責任 ①の法的、道義的責任を前提にして、自らの人格、人間としての尊厳を蹂躙された元「従軍慰安婦」に対する賠償責任が問われる。法的にいえば、物心両面の被害をどのように賠償するのかという請求権問題である。この問題は国家賠償の問題であると同時に、「慰安婦」として狩り出され、日本軍兵士相手の売春を強要された元慰安婦個々人の日本政府に対する請求権(個人補償)の問題でもある。
③ 未来への責任 戦時性暴力=女性に対する売春の強要、は過去にも幾度となく繰り返されてきた人間の尊厳に対する深刻な犯罪行為であり、もっとも重い人道に対する罪である。こうした戦争にまつわる犯罪行為、引いてはその土壌ともいえる侵略戦争を繰り返させないためには、歴史の事実を教育の場で未来の世代に伝承することがひときわ重要である。戦時性暴力にかかわらなかった戦後世代も教育を通じて、歴史の事実を記憶にとどめ、伝承する戦後責任(第二次的な責任)を引き受けなければならない。
以下、この記事では、②番目の賠償責任について考えたい。
元「慰安婦」の対日請求権が消滅したわけでない
~外務省も国会答弁で明言~
上で指摘したように、日本政府は今回の日韓外相会談前も後も、元「従軍慰安婦」に対する賠償も含め、日韓両国間の賠償問題はすべて、1965年の「日韓請求権協定」で決着済みという立場を貫いている。他方、韓国政府は、公にされたかぎりでは、日韓外相会談の直前まで、元「慰安婦」に対する賠償は「日韓請求権協定」の対象に含まれておらず、未解決の問題という立場を取ってきた(注)。韓国側のこの立場が今回の日韓外相会談を通じてどう処理されたのか、共同声明を見ても明らかでない。
(注)1992(平成4)年2月3日の衆議院予算委員会で、次のような質疑が
交わされている。柳井氏は当時、外務省事務次官。
「山花(貞夫)委員 請求権というのはどんな中身があったんです
か。
その中身には例えば慰安婦の皆さんの補償問題等は入っておったん
ですか、入ってなかったんですか。」
「柳井(俊二)政府委員 この交渉の過程で出されました具体的な請
求につきましては、例えば対日八項目の請求というようなものもあ
ったわけでございます。ただ、いわゆる慰安婦の問題について当時
具体的にそのような請求がなされたというふうには私は承知してお
りません。
ただ結論といたしまして、あらゆる請求権の問題が完全かつ最終的
に解決されたということでこの条約上の合意をしたということでご
ざいます。」
しかし、韓国政府の認識は別として、1965年の日韓請求権協定で解決されたと日本政府が認識しているのは国家間の賠償問題であって、個人補償、例えば、元「慰安婦」個々人の対日請求権について言えば、請求権協定は国家の保護権を消滅させたという意味であり、これによって個人補償そのものが消滅したわけではないことは外務省も国会答弁で明言している。
例えば、1992(平成4)年2月19日の衆議院予算委員会で伊東秀子議員と柳井俊二・外務省事務次官(当時)の間で質疑のようなやりとりが交わされている。
「伊東(秀)委員 ・・・・平成三年の三月二十六日の参議院の内閣委員会で政府は、日ソ共同宣言における請求権放棄の問題に関して、放棄したのは国家自身の請求権及び国家が自動的に持っていると考えられる外交保護権であって、国民個人からソ連またはその国民に対する請求権までは放棄していないという御答弁をしておられます。
これを裏返しますと、つまり今従軍慰安婦の方々が日本国政府を相手として損害賠償請求をしているわけでございますが、彼女らが個人として日本国政府に対する請求権、損害賠償請求、それは何ら消滅していないというふうに受けとめていいわけでございますね。」
「柳井政府委員 お答え申し上げます。いわゆる請求権放棄の条約上の意味につきましては、これが国家の持っている外交保護権の放棄であるということは、従来からいろいろな機会に政府が答弁申し上げているとおりでございます。そして日韓の請求権の処理でございますが、いわゆる日韓請求権・経済協力協定におきましては、ほかの場合よりも若干詳しい規定を置いておりますことは、先生も御承知のとおりでございます。
・・・・・いわゆる外交保護権の放棄でございますから、そのような個人がこのようなクレームを提起するということまでも妨げるものではない。したがいまして、我が国の裁判所に訴えを提起するというようなことは、そこまでは妨げておらないということでございます。」
さらに、1992年2月26日の衆議院外務委員会で、土井たか子議員と柳井俊二との間で、次のように、より突っ込んだ質疑が交わされている。
「柳井委員 ・・・・しからばその個人のいわゆる請求権というものをどう処理したかということになりますが、この協定におきましてはいわゆる外交保護権を放棄したということでございまして、韓国の方々について申し上げれば、韓国の方々が我が国に対して個人としてそのような請求を提起するということまでは妨げていない。しかし、日韓両国間で外交的にこれを取り上げるということは、外交保護権を放棄しておりますからそれはできない、こういうことでございます。」
「土井委員 るるわかりにくい御説明をなさるのが得意なんですが、・・・・今ここで請求権として放棄しているのは、政府自身が持つ請求権、政府が国民の持つ請求権に取ってかわって外交保護権を発動するというその権利、これでしょう。だから、個々の個人が持つ請求権というのは生きている。個々の個人の持つ請求権というのはこの放棄の限りにあらず、これははっきり認められると思いますが、いかがですか。」
「柳井政府委員 ただいま土井先生が言われましたこと、基本的に私、正確であると思います。この条約上は、国の請求権、国自身が持っている請求権を放棄した。そして個人については、その国民については国の権利として持っている外交保護権を放棄した。したがって、この条約上は個人の請求権を直接消滅させたものではないということでございます。」
国民をミス・リードする日本政府の説明
ところが、最近の政府・外務省の日韓請求権協定に関する説明を見ると、「従軍慰安婦」問題が国会で取り上げられるようになった1991~1992年当時の外務省見解を薄め、元「慰安婦」の対日請求権は消滅していない点に触れない解説を繰り返している。
例えば、2015年9月付で公開されている外務省北東アジア課作成の文書(8ページ)では次のように記載されている。
「最近の日韓関係」(8ページ)
http://www.mofa.go.jp/mofaj/files/000033344.pdf
「慰安婦問題 1 我が国の立場
日韓間の財産・請求権の問題は、1965年の請求権協定により完全かつ
最終的に解決済み。」
日韓の国家間の財産・請求権問題が1965年の請求権協定で「完全かつ最終的に解決済み」と言えるかどうかも実のところ、疑問があるが、それは改めて検討するとして、個人補償の問題(元「慰安婦」の対日請求権)は協定によっても消滅していないことに触れない、こうした説明は事情に疎い国民をミスリードすることになり、「韓国はいつまで蒸し返すのか」という誤った感情を国民の間で醸成する温床となっていると言って過言でない。
このような状況のまま、今回の日韓「合意」で、元「慰安婦」の対日請求権まで「不可逆的最終的に解決した」と両国首脳が「宣言」したのだとしても(文言上、そう読み取れるわけではないが)、道義的責任はもとより、法的にもなんら効力がないことは明らかである。
初出:醍醐聡のブログから許可を得て転載
記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔eye3216:160111〕
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