《認知症は防げるのに防がない社会的理由とは?》
- 2016年 2月 20日
- 交流の広場
- 武田明
これは、素人目であっても誰でもわかる理屈ではないかと考えている。
資本主義的商品性が先行する社会の犠牲者として情報弱者、最貧困としての「認知症問題」があると言う認識である。
まず、この問題は、「介護離職ゼロ」切り崩し問題として、医学医療独占タブー状況として何よりも解決を優先される問題ではないかと繰り返し訴えてきた。
《健康な者には、身障者に落とされる非人間的な場がある事は、想像できないに違いない。》
2月18日、「認知症と施設問題を考える」友愛党の会合を持ったわけであるが、
健康な者が、財産ばかりではなく健康と言う根本財産さえ害する在り方を事前に警告的に理解してもらえる様にするには、
運転免許取得時、保険に入らず事故を起こしたり、無謀運転をする警告として、事故の悲惨さを見せる映像教育があるが、それと同じ事を広げる必要があるのではないだろうかその様な意見が出ていた。
しかし、これを行うには、医学タブーを取り除き、「解放する」必要があるのだ。
人は、産まれ、老いて死ぬ。
それは、根本的な繰り返されたる情報の一部であり、知識の一部である。
サルトルが、晩年「恍惚の人」としてあり、ニーチェが、10年を狂人として過ごした。
有吉佐和子の『恍惚の人』が、その警告の書であるのかまだ、読んでいないので知らないのであるが、この老いを扱った社会問題作としては、『楢山節考』の域を全く出てはいない状況ではないかと愕然とさせられるものを感じている。
交通事故によって不遇者になるまた賠償が求められ資本主義的金銭被授受の対象者になる事と情報弱者として「認知症」となる事は、同じことの様に思えるし、交通事故以上に、たちの悪い状況ではないだろうかとその事を幾らでも説明できる様に思う。
図らずも、一昨年の川崎の連続老人ホーム転落死が、ようやく事件として、連日の様に、取りざたされていたが、警察の動きが鈍い上に、今だ、刑事事件、更に、報道ステーションにおいて、その背景としての「人手不足」としての労働環境の劣悪性を取り扱っていたが、
「不足しているのは、人手ではなく知識ではないか」その話を繰り返し述べてきているところである。
素人目にも認知症は、防げるのであり、また、広報されている様に、早期発見によって、食い止められることも伝えられている通りであるだろう。
しかし、五人に一人とされる現状は、何故、起こっているのであろうか?
それは、まず、村や町の「共同体」が壊されている事に起因しているのであり、核家族化されている中で、「孤独」としての独房が、構成されているからである事が伺える。
それについては、笑恵館の試みがある。
http://revolutio.exblog.jp/22888369/
更に、問題は、資本主義による「共同体」の破壊、商品化に対して、その孤立、情報弱者たる貧困に置くことこそが、利潤としての原動力であり、搾取の源、植民地化としてある事だと言う事が理解されねばならない。
ここから救済の手を広げなくては何も始まらないのである。
安倍政治への抵抗は、繰り返し伝えられていても、芸能ニュースや清原逮捕などにかき消され政治が目立たないのと同じく、
貧困の根源の分析が進んでいない状況に問題があり、
NHKにおいて、アリバイ工作の様に「認知症キャンペーン」など流されていても、実際、健康な者は、観ないのであり、
深刻な段階にまで、その病理に気が付かない故に社会問題化していると言う構造である。
更に、「施設」における
「脳の病理であるこの病気」についての知識不足が、明確になって来ていると言えるが、この事を流石の報道ステーションでさえ、川崎老人ホーム転落死事件から過酷な労働環境による人手不足まででとどまっている対応の遅さとなっている事を確認していた友愛党の会合であった。
本来、医学医療解放としての《真・法ー医学解放》の前進基地的施設として「誇り」と「知識」を持ちつつ、働くべき場所であるなら、ただ、下の世話をさせられる三K仕事から脱する「人間の尊厳」に携わる誇りある職場として生まれ変われるのだ。
ただ、独房である資本主義を脱し、共同体としての理解に立つだけ、その知性を身に着けるだけで変わるのである。
それをさせない事が、医学医療独占タブーと資本主義商品化社会であると言う事を明確にしていかねばならない。
この問題は、更に、繰り返し、明確な実践、具体的変革に辿り着くまで、追及を緩めてはならない問題意識であると感じている。
志位委員長も投稿して下さる「ちきゅう座」の医学革命部門に大いに期待しているところである。
「戦争法(安保法制)廃止の国民連合政府」の実現をよびかけます
http://chikyuza.net/archives/56483
これをまず、第一報告として入れる。
友人は、「毎日、同じ家族からの苦情を寄せられているとしたなら良心が痛まないのだろうか?
認知症は、素人目からも防げるし、進行を食い止められるのだが、見舞いに来た全ての人が、施設実態として寝たきりにさせられると証言している」その様に告げたが、沈黙していたと述べていた。
これこそが、施設の真実であり、《日本革命の導火線》であるのである。
見極めよ!
付録:様々な話題の本の紹介
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