気持ちの為替差損-はみ出し駐在記(86)
- 2016年 3月 19日
- 評論・紹介・意見
- 藤澤豊
赴任した七十七年の春には、為替は変動相場制に移行していた。高度成長は終わったが、それでも痛んだアメリカ経済よりは良かったのだろう、駐在しているうちに円高が進んでいった。それにともなって、ドルでもらっている給料が、円換算では目減りしていっているような気がした。
米国支社では、日本の給料に何らかの換算式を適用してドルの基本給を求めて、それに高率税負担控除の手当てを加算してドル払いの給料としていた。どのような算出方法なのか説明は受けたと思うが、横着で知ろうともしなかった。もらえるものがもらえるものでしかないという金銭感覚だった。
出社早々、経理総務担当者と駐在にあたって必要な事務処理をした。社内や社外の煩雑な書類が多かったが、厚生年金の支払い関係以外は何も覚えていない。日本の厚生年金を継続するために、アメリカでの総支給額から定額を会社が差し引く。それを円に変えて日本の本社に送って厚生年金を支払う。差引き額と手取りの給料を決めなければならない。そのため、まずドルで支給される総支給額を時価の為替レートで円に換算して、そこから厚生年金の支払額を求める。求めたものをドルに換算して、多少の余裕をもった額を差し引き額とする。それを総支給額から差し引いてアメリカでの手取りとする。
日常生活の感覚では、ドルで頂戴した給料の換算レートは一ドル百円ちょっとだった。バーゲン品や特売品を買いに走るような賢い消費者にはなれないことを勘定にいれても、赴任したことによって日常感覚での所得が二倍近くになった。農業国のアメリカでは食料品も日用品もなんでも安かった。決して豊な生活とはいえないものの、独身の気ままな生活には十分だった。
翌年だったと思うが、ドルが安くなって、厚生年金支払い用に差し引いていた額が足りなくなった。経理総務の担当者から、もうちょっと差し引かないと相談された。日本の黒字にアメリカの赤字、そして円高にドル安。その背景には、まるで戦場にでもいるかのように、息を切らせて働いている日本人とゆったり生活しているように見えるアメリカ人がいた。ドルが安くなってアメリカが貧しくなった?どこにもそんな実感がない。駐在員としては、ドル安で割を食っているような気がした。
当時日本では毎年のベースアップが常識だった。インフレで、年末には上がった分のほとんどがきちんと相殺されていたが、給料の額面は少しずつ上がって行った。日本での昇給にドル安の為替差益で、ドルでの給料が上がったはずなのだが、上がったと記憶に残るようなもはなかった。
病気で慌てて帰国したとき、為替レートは一ドル二百十円くらいだった。赴任したときは、一ドル二百八十円だったのが、給料としてもらったドルが、持ち帰ったドルは一ドル二百十円にしかならなかった。日本円の給料を時価の為替レートで計算してドルでの給料にしてもらっていた(はず)から、円からドルに換算して、それを円に換算しなおすだけで、多少の誤差や売り買いの手数料があったとしても、大した損はない(はず)。ロジックで考えれば損も得もないはずなのに、二百八十円で持って出て、帰ってきたら二百十円、なんか損した気になった。
アメリカでの安い食料品に慣れてしまっていたからだろうが、帰国して日本の食料品が質素で高いことに驚いた。百ドルもあれば四人家族の一週間の食費をまかなってお釣りがきたが、一万円ではデートもままならない。円高のおかげで輸入品が安くなって、消費が豊かになったはずなのに、どこにもそんな実感がない。高くなった円がインフレを招いたのか何でも高くなっていた。高田馬場で適当に切符を買って我孫子で精算をしたとき、あまりに高額なのにびっくりして、思わず「こんなに高いんですか」と言ってしまった。それを聞いた駅員がムッとしたのか、「そんなこと知るか」と言われた。
残業でも休日出勤でも当たり前のように働き続けていた日本人の日本における生活が、それをそのままではないにしても、アメリカに出れば、多少なりとも余裕を持った生活をできる。日本にいる限り、なんでこんなにつましい生活しかできないのだろうと不思議を通り越して、何かおかしい。気持ちの上での為替差損もしっくりこないが、それが不思議と無関係じゃないんじゃないかと思うと、なおさらしっくりこない。
p.s.
もう数十年も経っているが、そのおかしいと思った状態が大して変わることもなく続いている。気ままな独り者でもなくなって多少は考えるようになった。どうもその原因は、生活の三要素である衣食住の「食」と「住」が海外、特にアメリカと違いすぎることにあるとしか思えない。一ドル百円辺りになって、アメリカが貧しくなったはずなのに、フツーの日本人が所属するであろう社会層の生活は、明らかにアメリカの方が豊かで、日本の方が貧しい。
円が高くなったの、ドルが安くなったのと、為替レートの変動を毎日のように耳にするが、為替レートがどうのこうのと言う以上に何かおかしい。何かだまされているような気がする。豊で安全な国のはずの日本なのに、日常的にはその豊かさを実感できない。
Private homepage “My commonsense” (http://mycommonsense.ninja-web.net/)にアップした拙稿に加筆、編集
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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