都知事選(最終回):敗因を外に求め、自省できない革新に未来はない
- 2016年 8月 1日
- 時代をみる
- 醍醐聡
2016年8月1日
得票数でも得票率でも大幅に後退した革新
告示の時点では3候補の接戦と予想された都知事選は終わってみると小池百合子氏が次点の増田寛也氏に120万票の差をつけ、3位の鳥越俊太郎氏にはダブルスコア強の得票を得て当選した。今回の開票結果を前回(2014年2月9日投票)と比べると、次のとおりである。
今回開票結果(得票率) 投票率
①小池百合子 2,912,626(44.5%)
②増田寛也 1,793,453(27.4%)
③鳥越俊太郎 1,346,103(20.6%)
①+②=4,706,081(71.9%)
前回開票結果(得票率)
④舛添要一 2,112,979(42.9%)
⑤宇都宮健児 982,595(19.9%)
⑥細川護煕 956,063(19.4%)
⑤+⑥=1,938,658(39.3%)
これを見ると、今回、保守系候補者は前回と比べ、得票率を32.6%も伸ばしている。また、投票率が13.59%も上昇し、2名が立候補したこともあるが得票数を259万票も伸ばしている。
これに対し、リベラル革新系は前回と比べ、得票率を18.7%減らし、投票率が大きく上昇したにもかかわらず、得票数を59万票も減らしている。
こうしたデータを見ると、当落もさることながら、リベラル革新の大幅な退潮は覆うべくもない。
問われる敗因分析
選挙が終わった今の時点での注目点はリベラル革新がこうした結果をどのように総括するのかである。というのも、近年、リベラル革新は選挙に敗北した場合、その原因を反対陣営からの卑劣な攻撃とか、メディアの不公正な報道など外部に向ける場合が多かった。内部に向ける場合でも選挙戦術の不備など技術的問題に向けることが多かった。さらに言うと、特定の成果(特定の地域での当選や得票率の伸びなど)に焦点を当てて、後退、低迷という大局的事実を直視しない場合が少なくなかった。
NHK問題に関わっている筆者は、メディアの報道のあり方が有権者の投票行動に及ぼす影響に大きな関心を持っている。しかし、敗因を報道のあり方に転嫁するだけでよいはずはない。
今回はどうか? 正式には、鳥越俊太郎氏を支持し応援したリベラル革新政党が発表する選挙総括を待たなければならないが、選挙期間中に現れた鳥越陣営の争点設定、選挙戦略から、選挙総括の「予兆」が窺える。また、予兆ではなく、選挙戦終盤では、宇都宮健児氏が女性問題を挙げて鳥越氏への応援を断ったことを恨み節のように咎め、そこへ敗因の一部を転嫁するキャンペーンが出回った。
しかし、のちほど触れるが、事実とすれば「女性の人権問題」に発展する週刊誌記事について、納得のいく説明が得られなかったことを理由に宇都宮氏が鳥越氏支援を留保したことには相当の理由がある。それを指して、革新の大義に背く「利己的行動」と非難するのは乱暴である。
国政上の課題を無造作に都知事選で争点化したのは愚策
最大の問題は、鳥越陣営が、反安保、反改憲を前面に押し出し、終盤戦では反原発も加えた国政上の課題を争点化したこと、参議院選で一定の成果を収めた野党共闘体制を継承し、それに弾みをつける場として都知事選を位置づけたことである。
たとえば、反原発でいうと、鳥越陣営は小池氏の13年前の発言を引いて「核武装容認論者」と批判、増田氏については、告示直前まで東京電力の社外取締役に就任していた事実を挙げて、原発(原子力)推進・容認論者と批判した。その一方、鳥越氏は非核都市宣言、250km圏以内の原発の廃炉を求めることを公約に掲げ、小池、増田両氏との違いをアピールした。
野党共闘の枠組みを重視する選挙戦略については、開票結果後も小池晃・共産党書記局長が次のように発言していることからも明らかである。
「共産党の小池書記局長は、鳥越氏の選挙事務所で記者団に対し、『選挙で勝利できなかったものの、首都東京で野党4党の共闘が実現したことは歴史的な意義がある。突発的な選挙であり、どの候補も準備不足はあった。今後も野党4党の共闘を大いに進めていきたい』と述べました。」(NHKニュース 7月31日 23時11分)
このように国政上の課題を都知事選で争点化しようとした鳥越氏の選挙戦略については小池、増田陣営からばかりでなく、評論家や都民の間からも強い疑問、違和感が出た。筆者もその一人である。
鳥越氏を応援した革新政党の幹部は応援演説のなかで「憲法は都政に関係ないという人がいるがとんでもない」と力説した。しかし、そんな雑駁な主張が都民の共感も支持も得るはずがない。都知事選で憲法(平和、人権)を取り上げるのなら、横田基地へのオスプレイ配備の問題、国旗・国歌強制の問題など、都民の生活や環境、教育・人権に関わる問題に具体化した公約を掲げるのが道理である。
非核都市宣言についていうと、今年の6月23日現在で、都道府県レベルでは41が宣言している中で東京都はこれに含まれていない。その意味では首都東京で非核都市宣言を行う意義は認められる。しかし、東京都下でいうと23区すべて、25の市、2町、2村がすでに宣言している。また、非核の実現にとっては、宣言もさることながら、具体的な場面での対応が問われる。したがって、たんに非核都市宣言を掲げ、争点化するだけでは都民の支持・共感にはつながらない。まして、野党共闘の継続は少規模野党の死活的な選挙戦術ではあっても、都民に向けて訴える公約なり争点となるものでは、もともとない。
都知事としてできることは限られる「原発廃炉」が、ある日の演説会場で鳥越氏の口から飛び出したのも、あまりに唐突である。しかも、廃炉といっても東京電力に申し入れをするに過ぎず、「公約」と呼べるほどのものではない。公約というなら、福井の高浜原発の再稼働をめぐって京都府知事が求めたような、再稼働の同意権を持つ「地元自治体」の範囲の拡大を政府や原子力規制委員会あるいは電力会社に要請する、あるいは全国知事会で議題とするよう提起するなど、地に足の着いた公約を掲げるのが自治体首長選挙でのあるべき姿である。
ゴロ合わせで無内容な「よし!」の増産
では、都政上の公約はどうであったかというと、あまりにずさんというのが筆者の感想である。これは準備不足という釈明で済む問題ではなく、都知事選に臨む鳥越陣営(候補者本人と支持政党・市民団体、鳥越氏を応援した学者・文化人)の姿勢、思考様式に関わる問題だと筆者は考えている。詳しく説明し出すと長くなるので、鳥越氏が掲げた「○○によし!」というスローガンを取り上げたい。
当初、鳥越氏は「住んでよし」「働いてよし」「環境によし」という3つの「よし」を公約(?)に掲げた。しかし、しばらくして「学んでよし」が加わった。さらに投票日の3,4日前になって、女性支持者が「女性によし!」というポスターを掲げて街頭に立つ姿が目立つようになった。そこで、このようなポスターのいわれを調べようとネットを検索していると次のような記事が目にとまった。
「鳥越俊太郎の新スローガン 『女性によし!』が自虐ネタだと話題に」
http://netgeek.biz/archives/79483
上のネット記事は、当該ポスターを掲げて鳥越氏を応援した人たちからすれば、タイトルからして、心ない揶揄と受け取られるだろう。「自虐ネタ」とは確かに茶化し言葉だ。しかし、記事を読んでいくと次のような批評があった。
「選挙戦略があまりにも稚拙すぎて呆れてしまう。女性によしとは具体的にどのような状態を指し、そこに向けてどのような政策を考えているのか。『男性によし!』はなぜないのか。スローガンの追加はなぜ思いついたようにこのタイミングだったのか。色々と聞いてみたい気もする。」
私は、いたく同感した。特に、「女性によしとは具体的にどのような状態を指し、そこに向けてどのような政策を考えているのか」という指摘は、このスローガンの無内容さをずばり突いている。また、上のような指摘は、その他の「よし」の無内容さも突いている
また、「スローガンの追加はなぜ思いついたようにこのタイミングだったのか」という問いも、まっとうである。多くの女性議員や文化人らがともども、「女性によし!」ポスターを掲げて鳥越氏の応援に駆け付けるようになったのは、週刊文春、週刊新潮が選挙期間中を見計らったかのように鳥越氏の女性問題を取り上げた記事を掲載したことが背景にあると想像されてもおかしくはない。端的にいえば、週刊誌記事の影響で女性票が離れるのを食い止めるよう、同じ女性が鳥越氏を支持していることをアピールするための応援活動と受け取られても不思議ではない。
なぜ、ある時から急に「女性によし!」が登場したのか? その中身は何なのか? 私も知りたいと思う。
週刊誌の記事が事実無根というなら、鳥越氏自身が、余人を以ては代えがたい事情説明をするほかない。選挙妨害の意図が明らかな「謀略」に乗らず、選挙活動に専念するという説明に道理があるかに思える。しかし「デマ」、「謀略」と非難するだけで都民は納得するのか? そのように断定するにはそれ相応の説明が必要だ。
7月28日放送のフジテレビ「直撃LIVE グッドデイ!」に出演した鳥越氏は、司会者の質問に答えて、問題の女性の現在の夫と3人で会ったことを認め、夫が話しかけた内容の一端も紹介した。そのように出演したテレビで聴かれて断片的に「事実」の一端を話すのなら、自ら、都民が事実無根と信じるに足る程度の説明があってしかるべきだ。
無いものを説明するのは「悪魔の証明」だと鳥越氏は言った。しかし、自らがテレビで上記のように語った以上、どこまでは事実で、どこからは事実でないのかを説明しないと都民の理解が得らないのではないか。敗北が決まった後で、週刊誌の記事の影響がなかったとはいえないと発言するのなら、選挙期間中に影響を払しょくするための努力をするのが道理である。
そのような努力をせず、女性支持者を前面に立て、意味不明のポスターを掲げ、女性票をつなぎとめようとしていると受け取られかねないような選挙活動を展開したのは、いかがなものか?
都民目線とかけ離れた政治センスでは再生は望むべくもない
リベラル革新を自認するなら、意味不明のイメージ宣伝ではなく、具体的な中身の充実した政策を掲げて選挙戦に臨むのが当たり前である。たとえば、「待機ゼロ」というなら、現状で待機児童はどれくらいなのか実態を把握するのが大前提である。行政発表で「隠れた待機児童」が後から明らかになるのでは、財源、人員、施設確保の裏付けなり、積算なりがずさんな公約だったことが露呈したのも同然である。
このように都政に関わる公約をずさんなままにして、国政上の課題を、これまた、粗いスローガンで争点化したのでは、都民の支持・共感を得られないばかりか、反発を買うのも当然である。
このような冷静な敗因分析を飛ばして、今回の都知事選を野党共闘の成功例と自賛するような都民目線とかけ離れた政治センスでは、リベラル革新の再生は望むべくもない。
初出:醍醐聡のブログから許可を得て転載
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔eye3568:160801〕
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