家族主義の根強さ
- 2016年 8月 15日
- 交流の広場
- 中野@貴州
先の私の拙文(儒家と法家)を補足するような話ですが、日本語作文の授業で、学生たちに「次の二文を読んで君の考えるところを書け」と指示を与えました。
葉公語孔子曰、吾黨有直躬者、其父攘羊、而子證之、孔子曰、吾黨之直者異於是、父爲子隱、子爲父隱、直在其中矣。(『論語』)
日本語訳:葉公が孔子にこう語った。「私のところに正直者の躬というのがいて、その父親が羊を盗んだが、この息子はこのことを証言した」。すると、孔子は「私のところの正直者というのはそれとは違う。父は子のために隠し子は父のために隠す。正直というものはそのようなことの中にあるのだ」と述べた。
楚人有直躬。其父窃羊、而謁之吏。令尹曰、「殺之。」以為、「直於君、而曲於父。」執而罪之。以是観之、夫君之直臣、父之暴子也。(『韓非子』)(「君」はこの場合「国」あるいは「社会」と解釈しなさい)
日本語訳:楚人に正直者の躬なる者がいた。この男は、その父が羊を盗んだことを役人に告げた。宰相は「この男を死刑にせよ」と言った。「主君に対しては正直だが、父親に対しては曲事だ」と判断したからである。そして、死刑を執行した。このことから見ると、主君に対する忠臣は父に対する反逆児ということらしい。
中国のことを少しでも知っている方ならおわかりでしょう。作文の結果は…、そうです。100%の学生が孔子様のご意見に賛成ということでした。「そうなったら、僕は父親をおんぶしても逃亡する」と書いた学生もいました。
政府は常々「法治、法治」と宣伝していますが、こりゃ無理だろうね。もっとも、別の授業の時「お前ら、両親がウザイと思ったことがあるか」と聞いたら何人か手を挙げたので、「こいつらも日本の若い者と変わらないな」とやや安心しましたがね。
「ちきゅう座」に掲載された記事を転載される場合は、「ちきゅう座」からの転載であること、および著者名を必ず明記して下さい。