鳩山発言をメディアは批判できる資格があるのか
- 2011年 2月 17日
- 時代をみる
- メディア三上 治
朝日新聞の夕刊に素粒子という小さなコラムの欄がある。辛口のコラムが載っている。2月15日号には「正直で率直な人。首相の考えが<一笑に付されていた>と。官僚の壁を破る気概もなく、米国に直談判もせずに逃げただけ」とあった。鳩山前首相が普天間基地移設先を辺野古に回帰させた理由として「海兵隊は抑止力」は方便だった語ったことへの批判である。2月13日付の沖縄タイムスに掲載されたもので言葉が軽いといえばそれまでだが正直な感想というのが僕の印象だった。僕がここで取り上げたいのは朝日新聞の批判である。このコラムも含めた批判への疑問である。
一昨年の暮れから昨年の前半に普天間基地移設先をめぐる問題で鳩山首相が迷走(?)をしている時、アメリカの代弁者のような発言を繰り返していたのは大手のメディアであった。僕は毎日大手メディアと呼ばれる新聞に目を通していたわけではないが、比較的読んでいたと思う。そこで僕は新聞がアメリカの代弁者ではないかという印象を持った。「日米関係を損なう」「日米の信頼関係を台無しにする」という合唱で鳩山首相を孤立させ足を引っ張っていたのは裏の官僚と表のメディアであった。アメリカ、官僚、メディアは鳩山叩きを陰に陽にやっていた。「官僚の壁を破る気概もなく、アメリカに直談判もせずに逃げただけ」なんて批判できるのかよというのが率直なところだ。エジプトでは大手メディアが手の平を返したような革命賛辞を書き始めていると皮肉られているが、これはやがては日本のメディアに向けられるようになろう。アメリカの戦後の日本統治への介入方法は巧みであり、表面上の民主化政策と影の非民主的政策を構造的に析出するのはなかなか困難なものだ。エジプトでアメリカ政府が一方で民主化運動を支持しながら、他方で軍部と組んで非民主的統治の保持を画策するというやり方は多分に戦後の日本統治から教訓を得ているはずだ。日本での権力の「民主化と自由」を求める運動は軍部独裁や宗教(天皇制)等の伝統の影響力の中で表のアメリカの民主化政策と裏の支配力の保持という矛盾に直面してきた。これは現在も存続しているのが、戦後の対米関係の見直しを放棄した菅政権の迷走はそれを示している。エジプトはこれからこの問題に直面するのだろうと思う。僕らはアメリカの世界権力としての衰退の中で、それ故に支配力を強めようとする動きの中にある。日本もエジプトも世界権力としてのアメリカからの自立を問われていることで共通している。それにはアメリカの民主化政策の表と裏の構造を見ていなければならない。
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