ブルマン氏のドイデ論
- 2011年 2月 27日
- 交流の広場
ブルマン氏が『ドイツ・イデオロギー』をめぐる我が国の状況を批判されている。これはみな妥当であろう。たんなる字句の翻訳・編集ではなく、全体(といってもフォイエルバッハに関する部分であるが)の構成に関する大きな問題である。これが、長く目に触れなかったのは、『経済学批判』の序言にあるように、エンゲルスと二人のあいだに共通理解ができたからであろう。より重要なことは、ロンドンに渡ったマルクスが、それまで知らなかったリカードを読んだことであろう。ここに、3大階級よりなる資本主義的生産を価値法則で解明する方向が成立した。端的にいえば、イデオロギーにすぎない唯物史観から科学としての『資本論』へと発展したのである。それなのに、『資本論』を無視して、マルクス自身が乗り越えた唯物史観に拘泥するのは知的怠慢である。
「ちきゅう座」に掲載された記事を転載される場合は、「ちきゅう座」からの転載であること、および著者名を必ず明記して下さい。