青山森人の東チモールだより 第336号(2016年12月4日)
- 2016年 12月 5日
- 評論・紹介・意見
- チモール東チモール青山森人
エミリア=ピレス前財務大臣、裁判からの逃避行
ピレス被告、裁判命令に従わず
国立病院へのベッド購入事業をめぐって閣僚が禁じられている商業行為をしたとして起訴され被告となっているエミリア=ピレス前財務大臣とマダレナ=ハンジャン元保健副大臣に、今年9月20日に検察側から10年の禁固刑を求刑されました。最終弁論を直前に控えているときに、デリ(Dili、ディリ)地方裁判所はピレス被告に渡航許可を与え、彼女はニューヨークで開かれるg7+(紛争経験を共有し紛争を回避するための国際組織)会議に出席しました。ピレス被告は10月20日までに帰国しパスポートを同裁判所に提出しなければならなかったのですが、期限までに帰国せず、したがってパスポートも提出しないために、同裁判所はピレス被告にたいしてパスポート提出期限を10月31日までに延ばしました(「東チモールだより第334号」参照)。さてその後、どうなったでしょうか。11月の経緯をざっと追ってみます。
ピレス被告の弁護士は、自分の雇い主は10月28日に帰国する予定であり、31日前までにパスポートを提出できるといいましたが、そうはなりませんでした。弁護士はピレス被告が帰国しないのはオーストラリアで治療をうけ、11月5日に外科手術を受けたといい、11月11日には帰国するといいました。これをうけてデリ地方裁判所はパスポート提出期限としてさらに8日間の猶予を同被告に与えたのです。
この時点で、市民団体や検察側そして国会議員の中からもさまざまな意見がでました。例えば、裁判所命令を軽視するエミリア=ピレス被告にたいして裁判所は厳格な決定を下すべきだ、裁判所はそもそも渡航許可を与えるべきでなかった、逮捕状を発行すべきだ、インターポールに捕まえてもらうべきだ……等々、海外にいる被告をどのように国内にもどせるか、東チモールは「犯罪人引渡し条約」(訴追を受けて国外へ逃亡している人物の身柄を逃亡先の国が訴追した国へ引き渡す条約)をどの国とも結んでいないのでオーストラリアと結ぶ必要がある、という意見もでました。被告の身体を心配する意見はないようです。弁護士は被告がオーストラリアでうけた治療・手術にかんする書類を提出できないからです。治療・治療…といわれてもピレス被告の健康状態がどう悪いのか、わかりません。
ピレス被告、オーストラリアからポルトガルへ
かくして裁判所は被告による最終弁論の日程を11月16日に延期しました。するとどうでしょう、予想通りといった方がいいのかもしれませんが、ピレス被告はなおも帰国せず、16日の最終弁論の裁判も開けるわけもなく、裁判所は11月25日にその日程をまたまた延期しました。これで何度の延期か、2回でしょうか、3回でしょうか、数えるのも嫌になります。裁判所はピレス被告にただただ翻弄されているという印象をうけます。ピレス被告の弁護士は、自分の雇い主は11月11日に帰国するといったのに帰国しないので連絡をとろうとしているが連絡がとれないといいます。弁護士は責任を感じているのでしょうか? すると17日、ピレス被告はなんとポルトガルへ渡ったと報道されました。もうこうなれば、さらなる治療がポルトガルで必要になったという弁護士の言い分に耳を貸すお人よしはいないでしょう。ピレス被告は裁判所命令を明確に背き、裁判から逃亡しているのであり、治療や手術の話も眉唾もの、日本の政治家が立場が危うくなると入院するのに似た“症状”と見たほうがよそさそうです。被告の弁護士が悪知恵を貸したのではないかとさえ思いたくなります。
妙なねじれ現象
11月18日の『チモールポスト』は、エミリア=ピレス被告はオーストラリアにいればオーストラリア当局によって東チモールに身柄を引き渡されると恐れたかもしれないし、ピレス被告の弁護団に二名がポルトガル人がいることからポルトガルへ逃げたかもしれないという人権団体の意見を伝えています。東チモールとの関係が良くないオーストラリアは、東チモール政府側の人間であるピレス被告に気遣うことなく東チモールに身柄を引き渡すかもしれないというのです。
この見方にはある程度の裏づけがあります。一部の報道によれば、この裁判でのもう一人の被告であるマダレナ=ハンジャン元保健副大臣は欧州連合との仕事のためにオーストラリアを訪問する予定でしたが、オーストラリア政府は彼女のオーストラリア入国を禁じたと報じられているからです。
国際裁判所を通して東チモール政府は領海画定の交渉をオーストラリアに強く求めていますが、この働きかけをオーストラリアは快く思わず、両国の外交関係はここ数年冷え込んでいます。両国に「犯罪人引き渡し条約」が締結されていないのにもかかわらず、冷え込む外交関係が理由で、オーストラリア政府が裁判から逃げる被告の身柄を東チモールに引渡すとしたら、それは東チモール政府側にとって好ましいことではないかもしれませんが、東チモール司法にとっては好ましいことであり、東チモール人の大半もオーストラリアに感謝するかもしれません。そうだとしたら、なんだか妙なねじれ現象です。
東チモール駐在のオーストラリア大使と会ったある東チモール人ジャーナリストは、ともかくオーストラリア政府はシャナナ=グズマン首相(当時)を嫌っているとわたしに話してくれたことがあります。両国のチモール海をめぐって冷え込む外交関係にかんして、わたしはシャナナ連立政権(シャナナ=グズマンは依然として事実上の最高実力者なので今もこう呼ばせてもらう)の肩をもちたいものの、東チモール国内情勢にかんして、とくに汚職にかんしてはシャナナ=グズマン計画戦略投資相(以下、投資相)に責任があると批判せざるをえません。とりわけエミリア=ピレス被告にg7+の役職を与えたシャナナ=グズマン投資相は、ピレス被告の裁判逃れにかんして重大な責任があるはずです。
ピレス被告、ポルトガルでの裁判を望む
ポルトガルの通信社「ルザ」による報道によれば、ポルトガルへ渡ったエミリア=ピレス被告は、11月15日、リスボンの東チモール大使館に要望書を送り、そのなかで東チモールの裁判制度は「裁判を実行する能力あるいは意思」がないとして、ポルトガルでの裁判を求めているとのことです。
インドネシア軍が占領中、海外に逃れていたエミリア=ピレスはポルトガルのパスポートをもっていることでしょうが(たぶんオーストラリアの市民権も)、独立国家・東チモールの政府閣僚として法律で禁じられている商業活動をした容疑で起訴され始まった裁判が旧宗主国ポルトガルでできるとはとても思えません。
裁判をポルトガルに委ねたいという求めそのものがよくよく考えれば実に奇妙で皮肉でもあります。エミリア=ピレス前財務大臣が起訴された2014年、当時のシャナナ=グズマン首相はピレス被告を守るかのように(もちろん他の理由をつけていますが)ポルトガル人裁判官や検察官を停職させ国外追放したことを想起しましょう。外国人の裁判官で占められている東チモール司法によって自分の閣僚が次々と罪に問われるのを見ていられずにシャナナ首相がかれらを追い出したはずなのに、その追い出した先にピレス被告が飛び込むとは何の因果でしょうか。
「ルザ」の同記事によれば今年3月にピレス被告は、裁判所は政府にたいする「報復」として自分に10年の刑を科そうとしていると述べています。実際、9月20日に検察側はピレス被告にたいして10年の求刑をしました。どうもがいても10年の禁固刑を観念しなければならない状況を確信したピレス被告は、ともかく東チモールの裁判から逃げなければいけないと思ったのかもしれません。なお、ここでいう政府にたいする「報復」とは、おそらくシャナナ連立政権が裁判官や検察官を停職させた行為にたいする「報復」であると思われます。
試される東チモールの裁判制度、ついにピレス被告に逮捕状
エミリア=ピレス前財務大臣とマダレナ=ハンジャン元保健副大臣の裁判は、起訴から裁判開始にいたるまでの過程ですでに山あり谷ありの道のりでした。それがようやく検察側の求刑が終わり、あとは最終弁論が残されているという大詰めまできたと思ったら、ピレス被告はまんまと国外へ逃げてしまいました。
閣僚級の政府要人の起訴が列をなして控えているといわれています。東チモールは汚職天国になってしまうのか、正義が歯止めをかけられるのか、東チモールの裁判制度は試されているといえます。
各紙報道によると、11月30日、デリ地方裁判所はピレス被告が欠席のまま審議を開きました。そのなかで裁判長は、裁判から逃走するピレス被告にたいして逮捕状を発行したといいました。これをもってピレス被告が東チモールに入国しようするその場所で捕まり拘置所に収容されることになります。時すでに遅しといえるかもしれませんが、やるべきことをやることにこしたことはありません。
ところで、この11月30日の裁判で裁判長は、エミリア=ピレス被告が裁判所と検察に送ったという書簡のなかで、ピレス被告が自分は東チモール市民ではない、ポルトガル市民だ、したがって自分の裁判を東チモールからポルトガルに移行させることを求めている旨を指摘し、東チモールの法律はこのことを許さず、裁判所もこの求めには応じられないと述べました(『インデペンデンテ』2016年12月1日)。
ポルトガル国籍を有していることを主張しただけでなくて、もし本当にピレス被告が自分は東チモール市民ではないと書いたならば、彼女は自分が東チモール人であることを否定したことになります。財務大臣だったエミリア=ピレスさんは東チモール人ではなかったということでしょうか。 東チモールの閣僚に当時のシャナナ首相は東チモール人でない人を採用したのでしょうか。東チモールを代表してg7+の国際会議に出席していたのは東チモール人ではなかったということでしょうか。解放闘争の最高指導者だったシャナナ=グズマン投資相の公式見解を是非とも聞きたいものです。
~次号へ続く~
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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