モンテスキュー著「法の精神」 ~「権力分立」は日本でなぜ実現できないか~
- 2017年 2月 27日
- スタディルーム
- 「法の精神」モンテスキュー村上良太
モンテスキュー(Montesquieu)著「法の精神」(DE L’ESPRIT DES LOIS,1748)は岩波文庫で上中下の三分冊になっている。一見、いかめしそうな印象だった。「法の精神」と言えば「三権分立」というのが学生時代の暗記のキーワードだったが、「法の精神」はその説をどう展開しているのだろうか。
実際に手にしてみると「法の精神」はまったくいかめしくなかった。難しい法理論の本でもない。むしろ、歴史および民族によって、過去現在、どんな法律制度が存在したかを、縦横無尽につづった本である。そこでは専制政治、君主政、共和政(貴族政と民主政)が基本分類とされていた。この類型にそって、様々な話がつづられていく。
ロックやルソーのように、精緻な論理展開があるわけではなく、法理論としては緩い印象である。著名な三権分立については前半部分、三分冊で言えば上巻で触れられている。
「第二部 第11編 第五章 さまざまな国家の目的について」というくだりである。
「世界には、政治的自由を国制の直接目的とする国民もある。この国民がその政治的自由の基礎とする諸原理を検討しよう」とまずある。三権分立の話は、様々な東西の国の中で、「政治的自由」を目的とした国の制度として紹介されるのだ。中でもそれが最もわかりやすい国として英国が挙げられる。
「第六章 イギリスの国制について
各国家には三種の権力、つまり、立法権力(la puissance legislative)、万民法に属する事項の執行権力および公民法に属する事項の執行権力がある。
第一の権力によって、君公または役人は一時的もしくは永続的に法律を定め、また、すでに作られている法律を修正もしくは廃止する。第二の権力によって、彼は講和または戦争をし、外交使節を派遣または接受し、安全を確立し、侵略を予防する。第三の権力によって、彼は犯罪を罰し、あるいは、諸個人間の紛争を裁く。この最後の権力を人は裁判権力(la puissance de juger)と呼び、他の執行権力を単に国家の執行権力(la puissance executrice)と呼ぶであろう」
日本で教えられるのは三権分立とは立法権、行政権、司法権の三権が互いに独立することが民主主義に必要だということである。しかし、それはなぜか。
「同一の人間あるいは同一の役職者団体において立法権力と執行権力とが結合されるとき、自由は全く存在しない。同一の君主または同一の元老院が暴君的な法律を作り、暴君的にそれを執行する恐れがありうるからである。裁判権力が立法権力や執行権力と分離されていなければ、自由はやはり存在しない。もしこの権力が立法権力と結合されれば、公民の生命と自由に関する権力は恣意的となろう。なぜなら、裁判役が立法者となるからである。もしこの権力が執行権力と結合されれば、裁判役は圧制者の力を持ちうるであろう・・・」
これを読めばわかる通り、問われているのは自由であり、つまりは政治的自由なのである。この政治的自由を手放すか、確保するか。ここに三権分立の必然性があるとモンテスキューは述べているのだ。民主主義を追い求めたというより、不断の自由を求める戦いが欧州の民主主義をおのずと生んだということだろう。憲法もまた自由のための戦いから生まれ出たものなのである。
モンテスキューの「法の精神」では執行権力は外交・戦争であり、内政について直接触れていないが、三権分立ではそこに内政も入れて考えるのが今日では普通になっている。また、訳者の注に書かれているが、英国の政治思想家ロックが「立法と執行の二権力の分離を考えたのに対して(司法権力は執行権力に含まれていた)、モンテスキューが執行権力から司法権力を分離させたことに、モンテスキューの独創性が示されている」
つまり、翻訳者たちによるとモンテスキューはロックの権力分立論をさらに、二権分立から三権分立へと一歩進めたというのだ。フランスの人権宣言もアメリカの独立宣言も、もちろん奴隷解放宣言もなかった18世紀中盤の時代によりよい政体を求めた一人の人間がもがきながら書いたことを想像することで、この本は面白くなってくる。18世紀の政治百科事典だと考えてもいいだろう。実際、フランス啓蒙思想の拠点を築いた「百科全書」の編集者の一人ダランベールはモンテスキューの功績を讃えている。ものを建設的に考えるためには言葉の定義をおさえ、1つずつ情報を積み上げていかなければならない。
しかし、「法の精神」で三権分立に割かれたページ数は意外と少ない。先述の通り、三権分立だけを売りにして書かれた本ではないのだ。「法の精神」は文字通り、法律とは何ぞや?という疑問を古今東西の莫大な文献を紐解きながら、読者に語りかける書である。「法の精神」が世に出たのが1748年だから、当然、その後に起きたフランス革命やアメリカの独立戦争に影響している。
そのことは、つまり、市民革命の時代に政治変革を考えた人々は歴史を遡り、洋の東西を見ながら、あるべき政体は何かについてラディカルに考えたことがうかがわれるのである。今、日本で近代政治思想を学ぶ私たちは政治の近代化、民主化を後付でたどるだけだが、当時の欧米の政治思想家たちはもっと視野を広げていたようだ。アメリカ国家の草創期に活躍したフェデラリストたちは米憲法を起草するにあたって、古今東西の法律資料を集められだけ集めて研究したとされる。その結果として米国が選んだのが米憲法であり、そこにはモンテスキューが説いた「三権分立」も導入された。しかし、モンテスキューの「法の精神」は三権分立だけでなく、ゼロから憲法を起草しようとしたフェデラリストたちに、古今東西の法律資料を検討する上で、有効なガイドブックでもありえたと想像される。つまり、「法の精神」の特徴はずば抜けた視野の広さなのである。
そして、「法の精神」が今日も世界で出版されている理由も単に三権分立論が記載された記念物というに限定されず、むしろ異文化間の法律をどう考えるか、民族と法律、宗教と法律、地理と法律、あるいは法社会学といったより広い見地から読まれているようである。たとえば地理的条件による飲酒のあり方と禁酒法の関係などは非常に面白いし、そのように土地土地で法律には変化があって当然だというのがモンテスキューの視点である。
このことはイランやエジプトなどのイスラム教国家と西欧国家との政治的確執や、中国やロシアなどの権威主義国家群と西欧諸国など自由主義国家群との確執を考え合わせると、より話がリアルになり、面白くなってくる。一度、当地の常識を離れて、より広範に法律を考えるのに「法の精神」は適している。
モンテスキューは「自由を目的とする国」においては三権分立でなければならないとしたが国によっては専制政治を行う国もあり、君主政治があり、様々な政体がありうる、と距離を置いた執筆スタンスを取っている。このことは当時フランスがブルボン王朝の絶対王政時代だったという事情もあるだろうが、同時にどのような政体を選択するかは国民性によるとしている彼のスタンスによるものでもあろう。民主政をことさら押し売りはしない。国民の大多数が専制政治や君主政を好む国もまたあるということである。自由を求めない国民にはそれにふさわしい政治体制があるのだと考えている。だが、裏を読めばモンテスキューは明らかに民主政を人類が最後に手に入れた宝と思っているフシがある。
自由をないがしろにする政治家は三権分立もまたないがしろにするはずである。いつか焚書の対象に指定される前に読んでおきたい一冊である。
*ハンナ・アレントは「法ではなく法の精神が鼓舞する活動に関心を抱いていたモンテスキューは、法を異なった存在の間にある関係(rapport)と定義づけている(法の精神より)。この定義は、法がそれまで境界線や制限の観点から定義されてきたことを考えると驚くべきものである」と「人間の条件」の注で書きとめている。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔study833:170227〕
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