石原慎太郎はオトコじゃない
- 2017年 3月 7日
- 評論・紹介・意見
- 伊藤力司石原慎太郎
「座して死を待つつもりはない」「果し合いに出かける侍のつもり」とか、もっともらしいせりふを吐いて3月3日の記者会見に臨んだ石原慎太郎元都知事の発言は、記者団やその背後の読者・視聴者を唖然とさせるほど無責任なものだった。
曰く、豊洲移転は既定路線として決まっていたもので契約交渉は部下に任せていた。最終的には専門家、都議会も賛同してみんなで決定したもので、自分ひとりが決めたものではない。ハンコも自分で押したか記憶にない。瑕疵担保責任の件も全くわからないまま契約書に押印した云々。
老朽化した築地市場の代わりに、豊洲の東京ガス工場の跡地に新市場を建設して移転するという計画を進めた東京都の最高責任者は、1999年から2012年まで東京都知事の座にあった石原氏である。
その石原氏が、豊洲市場問題の最終責任を言い逃れしようというのだから「オトコがすたる」という以外にない。2011年の都知事選挙で石原氏に敗れた東国原英夫元宮崎県知事にテレビ番組で「(侍)だったら腹を切らんかい!」とからかわれても文句も返せまい。
石原氏は都知事在任中都庁に出勤するのは週に2、3日だけ、側近の浜渦武生副知事に実務を任せていたという。それなのに都知事の給与はまるまるもらい、公用車は使い放題。贅沢な外遊費用など不適切な公務出費をとがめられて辞職に追い込まれた舛添要一前都知事の出費なぞ、石原都知事時代の浪費に比べればかわいらしいものだったという。
それでも石原都知事に対する批判が盛り上がらなかったのは、石原氏の日頃の大言壮語ぶりから、東京都に何か問題が起これば都知事が最終責任は取ってくれるだろうという暗黙の期待が都民の間に広がっていたからであろう。今回、その期待は完全に裏切られた。
都市ガスを製造するための有毒物質を大量に使った工場跡地に、生鮮食料品を扱う市場を建設する計画については、当初から疑問や反対の声が高かった。しかし石原都政は遮二無二豊洲計画に突っ走った。
その結果、豊洲市場は膨大な汚染処理費と建築費を費やして十数年ぶりに完成した。昨年11月には築地から豊洲へ、都民の台所を賄う一大生鮮市場が移転するはずだった。ところが有害物質を除去するために地下に盛り土工事をする計画だったのに盛り土がなされていないことが発覚。しかも地下に水が溜まっているのが発見され、さらに環境基準の79倍もの有毒ベンゼンが見つかった。
昨年夏の都知事選挙で大勝した小池百合子新知事は、こうした事態を受けて豊洲への移転を凍結。今後の衛生検査の結果や、盛り土をしなかった設計変更の影響などを検証しながら移転の時期や是非を探る構えである。
石原慎太郎と言えば、一橋大学在学中の1956年1月に小説「太陽の季節」で芥川賞を受賞。その作品が、アプレゲール(戦後派)の裕福な若者たちの無軌道な生活を通じて感情を物質化する新世代を描いた作品として注目を集めた。以来作家・政治家として日本一級の著名人であり、どちらかと言えば世間を騒がしてきた存在である。
彼は昭和7(1932)年生まれで今年84歳。1945年の終戦を多感な旧制中学1年生で迎え、それまでの軍国主義教育から民主主義教育に大転換、教科書に墨塗りをした世代である。
この世代は民主化第1期生で、それまでの皇民化・軍国主義教育の矛盾を教えられ、思想的には左翼化した人が多い。「なんでも見てやろう」で一世を風靡した同年の小田実がこの世代の象徴的人物だ。
石原慎太郎も高校時代は左翼かぶれだったというが、芥川賞作家として著名人になって以来戦前の右翼路線に本卦還りしたらしい。自民党衆議院議員時代には青嵐会という若手右翼グループに属して暴れていたこともあった。
都知事時代の2012年4月、彼は訪米してワシントンのヘリテージ財団で講演して、東京都で尖閣諸島を買い取りたいとの計画を発表した。これが回り回って時の野田内閣による尖閣諸島国有化が実行され、日中関係の破局を招いた。
中国のことをわざわざ、今では蔑称の「支那」と呼びたがる右翼、石原慎太郎も老いた。3月20日には東京都議会の100条委員会に豊洲問題の証人として喚問されているが、3日の記者会見の発言以上の内容を語るとは思えない。一世のスターも老残の身をさらすことになりそうだ。
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