「生きる」と偽善
- 2017年 3月 10日
- カルチャー
- 吉永春子村上良太
昨年11月にTBSのドキュメンタリー番組の草分けだった吉永春子氏が亡くなった。85歳だった。私は30代のほぼ10年間を吉永氏にテレビ番組のプロデュースをしていただいたので、葬式に出かけることになった。生前は厳しい人であったので、亡くなったと知っていてもお棺の中からむくっと起きだして何か怒り始められるのではないか・・・と電車で向かいながら少し怖かった。
吉永さんは毎日、夕方5時ころになると会社で企画会議を始めるのだが、そのためには毎日何か新しい企画を提出するか、前に提案したものの進展状況を説明しなくてはならなかった。企画を通すのは難しかった。新聞記事に書かれていることをそのまま頂いたような企画を出すと烈火のごとく怒ったものだった。新聞記事というものは嘘やごまかしに満ちているといつも言っていた。だから、世間の通念とは異なる視覚をもって企画を立てるようにいつも促された。
そんな吉永さんは映画が好きだったこともあって、よく映画の話を会社の人間としていたのだが、印象深かったのは黒澤明監督の「生きる」についてだった。「生きる」は黒澤作品の名作の中に必ずランクインする映画だ。ガンで余命幾ばくも無い役人が、それまでの「ミイラ」のようなたらいまわしの官僚精神を脱ぎ捨て、自分の最後の命を振り絞って貧しい町のおばさんのために公園を作るのである。そして、無事公園が完成して間もなく死んでいくのである。ガンと診断された日から、苦悩と恐怖を越えて官僚主義を乗り越えて1つ小さな公園を作る・・・これ自体は美談と言えるものだ。実際、私も10代でこの映画を見た時は涙を流さずにはいられなかった。
ところが吉永さんは「私は吐き気がした」と言ったのである。その言葉は激しかった。しかし、その時、吉永さんはなぜ「生きる」が嫌いなのか、はっきりとは説明しなかった。万事において吉永さんは物事をわかりやすく説明するタイプの人ではなかった。だから周りの者は自分でわかろうと努力するしかないのだ。吉永さんはなぜ、「生きる」に吐き気がしたのだろうか。
私の推測だが、「生きる」という作品は死を前提として初めて生の輝きに目覚める物語である。そこには一種の特攻隊の精神がある、と感じたのではないだろうか。あるいはハイデッガーの哲学にも通じるのかもしれない。人間だけが死を知っており、死を知っているからこそ、人生の有限さを悟り、価値ある生をつかむことができる・・・・人間とは死すべき存在である。だから、死すことを見据えた時に自分の人生の本質が開示される・・・
こういう哲学観は日常のささやかな幸せや詩とは異なるものではないだろうか。私たちは生きる意味をつかむために、死を必要とするのだろうか。もっとささやかな日常の喜怒哀楽の中に人生の価値を見いだす、というあり方もあってよいのではなかろうか。これはあくまで私の推測に過ぎないのだが、吉永さんはそんな考えがあったのではないか、と私は思うのだ。だから、死を前にして公園を作る美談にいったいどれほどの喜びがあるのか、という考え方なのだと思う。本当はガンで死ぬ前に、ずっと前に公園を作ることができたら一番良いのだ。そうしたら彼もまた公園を楽しめたはずなのだから。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔culture0429:170310〕
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