小説:やっさいもっさい(2)
- 2017年 3月 24日
- カルチャー
- 三木由和小説
2「引き抜き」
章の気持ちは日が経つごとに、明確になって行くのが自分で、自分でもはっきりと分かる。ちょうど1月が過ぎたある日の晩である。約束通り、電話の呼び鈴が鳴った。
「はい、北島です。」
金澤だった。
「あぁ、もしもし。章君、金澤です。この前の話だが、どうだろうか?」
「はい。あれから、いろいろと考え、是非お受けしたいと思います。」
そう答えながら、今ちょっとした嘘を言った事に、可笑しく思える。
「そうか、そうか、それは良かった。」
金澤はほっとした様な弾む口調で言った。
「お世話になります。よろしくお願いします。*」
「君にとっても、決して悪い話じゃないと思うよ!」
「はい。医院長先生にもよろしくお伝えください。」
と受話器を置いた。医院長から挨拶の電話がかかって来たのは、それから数日が経ってからの事。話によれば、4月からの勤務、ほぼ身一つで来てくれればいいと言うものであった。その後、浅草の病院には、前もって退職すると伝えておいた。浅草の四畳半のアパートには、もともと大した荷物は見当たらない。ただ、コートが一着、着替え用にYシャツとズボン、下着を数枚、750000円の郵便貯金通帳に印鑑だけを持ち、残りの物は全て処分した。うまい具合に、荷物は大き目のカバン1つにまとまった。
旅立ちの日、いい天気である。風が当たると少し顔が冷たい。駅まで歩く間、幾度か桜も見た。思えば、桜に気を止める事もこの数年記憶にない。まず、国鉄総武線で千葉に行く。40分程で千葉駅に到着した。千葉駅から内房線に乗り換える為、1,2番線から階段を下り通路から3,4番線の階段を上る。内房線ホームには人がまばらだ。時刻表によれば、内房線は1時間に1本の割合。そして時計を見れば5分程前に出た後である。1時間をどのように潰すかと思っていると、ベンチが目に映った。近くにキヨスクもあり、缶コーヒーと雑誌を買い、ベンチに腰を掛け電車を待つことにした。雑誌を読んでいると時計の動きが早いもので、気づけばホームに人が増え始めた。そう感じてから間もなく、館山行の電車が到着したのは、間もなくのことである。シューと言う音と同時にドアーが開いた。章は乗車すると、直ぐ右のシートに腰を落とした。電車は南へ一直線に伸びた線路上を南下し始めた。蘇我を越えると人家の屋根景色が消え、新緑が目立つ。姉ヶ崎から長浦、袖ケ浦辺りに進むと左は深い森の新緑が連なり、右には東京湾に沿って京葉工業地帯の紅白に塗られた巨大な煙突が何本も生えている。その煙突が上から吐き出す炎やもこもこと湧き上がる白い煙は身の危険さえ感じられる。この辺まで来ると車体は大きく揺れ、音もガッタン、ゴットンと耳のみならず全身で感じられる。岩根を越え、車掌の
「次は、木更津、木更津」
と言うアナウンスが流れた頃、窓の景色には蓮田が広がっている。車体は左右に大きく揺らしながら、駅に入って行った。ホームに着いた。車両のドアーが開くと同時に駅のアナウンスが
「木更津、木更津」
と耳に染み込んできた。
ついに来た。千葉を出発してから約40分かかった。時間は1時を回ろうとしていた。ホームの階段を上がると改札口がある。改札口を抜けると右が東口、左が西口となっていた。あらかじめ送られてきた地図によれば、病院は東口の方向に存在している事が確認できる。場所を確認すると、木更津についたと言う安堵感と同時に空腹感を感じる。時計に目を移せば、約束の時間まで2時間ある。ちょっと遅い昼食を摂るには十分な時間がある。章は特に何の気もなく、左に進路を取った。
西口の階段を下りるとロータリーや
バス乗り場があった。ロータリーからは大きな通りが真っ直ぐに港へと続いている。その大通りを挟んで2本の高いビルが見える。看板には右サカモト、左十字屋とある。人に聞けばどちらもデパートだと言う。ロータリーの左に狭い商店街を見つけた。商店街の入り口に『みまち通り』とアーチ状の看板が目を引いた。その商店街のアーチを潜ると小さな店が軒を連ねている。その賑わう様子は、浅草の中店通りや巣鴨の地蔵通りを連想させる。奥に進むとその長さがゴボウのように続く。今川焼の甘い匂いや中華料理の中華鍋を叩く音、ごま油の香り、さらに、洋食の卵を焼く音、慌ただしく注文に応える声が胃を刺激する。しばらく進んだ右側に「ふじや」と書かれた食堂の薄汚れたのれんを潜った。黒い鉄パイプを脚にしたテーブルが5つとこれも鉄パイプを脚とした椅子がある。昭和30年代から時計が止まっているような空気感を感じながら、白い割烹着の店員にタンメンを注文した。タンメンを一気に食べると勘定を払い、店を出た。来た道を戻り、地図を頼りに今度は東口へと歩き出す。駅の階段を上り切符売り場を通り過ぎ、突き当りが東口である。こちらも西口同様ロータリーから大通りが一本、太田山へと続く。この大通りを右、西友のビルと左奥のダイエーのビルが挟み込んでいる。西口のようなどこか懐かしいい雰囲気ではなく、近代的な匂いを感じる。同じ街でありながら、全く違う事そのものが面白い。地図によれば、ダイエーの裏に石城病院は存在している。駅の階段を下り15,6mくらい進んだ。洋菓子屋とダイエーの間の路地を抜け、裏通りへ出た。すると道反対に病院を確認できた。
門から駐車場を右に見ながら進むと玄関があった。自動扉が開き、中に入ると正面が受付のカウンターになっている。カウンター越しには女性が二人いる。左には深緑色の長椅子が3列に6脚置かれている。椅子には患者と見られる人が7人程腰を掛けている。院内は少し薄暗い感じがする。章は受付カウンターに歩み寄ると職員に声を掛けてみた。
「今日は?私は北島章と申します。本日、医院長先生とお約束を」
と、ここまで言いかけると
「あぁ、はい。北島先生でいらっしゃいますね。本日、金澤先生から伺っております。今、金澤先生にご連絡致しますので、そちらにお掛けになってお待ち下さい。」
と長椅子に促され、腰を掛けた。金澤が現れたのは、それから間もなくの事である。金澤は章の姿を見つけると、いつもの様に、にこにこしながら近付いてきた。
「いや、章君。ようこそいらっしゃいました。どうだい、木更津は?」
「私が想像していたより大きな街で、人も多いですね!この地図を頂いていたので助かりました。」
「それはお役にたてて良かった。医院長が待っているので、医院長室まで行こう。」
章は金澤に連れられ医院長室へ向かった。金澤がコンコンとドアーをノックすると、なから
「はい、どうぞ!」
と小さく聞こえる。金澤がドアーを開けて二人は中へ入った。思ったほどの広さはなく、奥に長い部屋である。奥には医院長用の幅の広い机と背もたれの高いひじ掛け椅子があり、手前半分にはソファーがセットされている。奥側半分の壁沿いには書棚が並ぶ。
「医院長先生、北島章さんをお連れしました。」
「今日は?はじめまして、北島章と申します。お世話になります。宜しくお願い致します。」
「いやぁ、はるばるご苦労様です。お疲れになったでしょ。まぁ、お掛けください。」
と気さくに話す石城は長身でデップリとした体型、ゆうに100kgはありそうだ。丸顔で黒縁メガネに口ひげを蓄えている。
「北島先生の話はいつも金澤先生から聞かされていますよ。先生のお住まいは、この病院の駐車場の脇にある平屋を用意しました。お家賃として5000円程お給料から天引きさせて頂きます。あと、細かい話は事務長からお聞きください。」
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔culture0443:170324〕
「ちきゅう座」に掲載された記事を転載される場合は、「ちきゅう座」からの転載であること、および著者名を必ず明記して下さい。