自衛隊の役割
- 2017年 10月 8日
- 評論・紹介・意見
- 藤澤豊
- 軍事力で国際紛争は解決できない。ベトナムやイラク、アフガニスタンのアメリカ軍が証明した。
- 戦後半世紀以上、日本が軍事的脅威にさらされたことはないし、日本と戦争をする理由を持っている国もない。イスラエルがおかれた状況とは違う。
- アメリカの軍事科学技術が進歩しすぎて、同盟国はついていけない。
- アメリカは実戦に同盟国の軍事支援を必要としてない。NATO軍でさえ足手まといになっている。演習しかしたことのない自衛隊はNATO軍以下だろう。
- アメリカは日本がフランスのように独自の世界戦略をもち、軍事力を強化するのを許さない。近隣諸国は望まない。
- 日本の支配層は重厚長大産業のために軍需産業を強化したい。
- 自衛隊だけでは市場として小さすぎる。どうしても世界の武器市場に参入したい。
あまりに当たり前で、いまさら口にするのもはばかるが、歴史上(防衛だとはいっても)侵略だといって戦争をした国はない。ヒトラーも日本軍もベトナムやイラクにおけるアメリカも防衛だといって侵略戦争をした。防衛を目的としているはずの軍事力が侵略戦争に使われてきた。素直に歴史をみれば、あまりにも明々白々で異論などあるはずがないと思うのだが、人によっては巷の利権に目がいって、明々白々がひっくり返ってしまう。目がくらむのは勝手だが、侵略されるほうはたまったもんじゃない。
いまだに軍事力は防衛のためで、平和のために強化しなければならないという主張を耳にするが、そんなものちょっと考えればわかるはずの、たわごとでしかない。強大な軍事力をもってして正規戦で勝っても、侵略先を統治できない。たとえ統治しえているように見えても、武力でテロは防げない。ベトナム戦争も湾岸戦争もアフガニスタンも、これ以上はないという強大な軍事力を誇るアメリカが勝利しえなかったことがそれを証明している。平和をと思うのであれば、話し合いしかないと言われ続けているにもかかわらず、日本は隣国の脅威を理由に軍事力の強化に余念がない。何かことあるたびに、状況を都合のいいように解釈して軍事力を強化し続けてきた。
平和憲法、一部の日本人には、いってみれば「猫に小判」や「豚に真珠」のようなものなのかもしれない。頭の乱視もそこまで進むと、なにをいったところで「馬の耳に念仏」なのだろう。
かつてはソ連を仮想敵国にして、ソ連が崩壊したら中国で、こんどは北朝鮮のミサイル危機で防衛予算を増やしている。ヨーロッパでは、ロシアの問題を抱えていても、民生優先の政治が地について軍事費の削減を進めている。アメリカを除く先進国をおしなべてみれば、日本の防衛予算の増加が目に付く。
軍事力では問題を解決できないことをアメリカが証明してしまったのに、いまさら自衛隊を強化して何をしようというのか。普通に道理で考えれば、日本の地理的条件と経済社会は軍事攻撃に対して脆弱すぎて、何をどうしようが防衛のしようがない。原子力発電所を爆破するのに核兵器を搭載したミサイルはいらない。過激派のテロ集団ではロケット弾までで、ミサイルを使う能力はないからいいようなものの、アメリカの同時多発テロのように航空機でもハイジャックして突入すれば、即東日本大震災による原発事故と同じことが起きる。防衛とは、そのような破壊活動をすることに意味もなければ価値もないと誰もが思う社会をつくることでしかない。
それでも防衛のために軍事力の強化が必要だという主張、いくら聞いても肝心のところがあいまいで、何を目的としているのかわからない。防衛というだけで、どこからのどのような軍事攻撃に対して、何をどのように守るのかという具体的な話がない。具体性のない防衛論は際限のない財源の浪費につながる。かつてのソ連のような力は失ったがロシアはいまだ軍事大国だし、軍事大国へ変貌しつつある中国から何から何まで守るのであれば、彼らと際限のない軍拡競争に陥る。陥ったところで日本の地理的条件では防衛はなりたたない。
北朝鮮はその気になれば、いつでも原子力発電所に向けてミサイルを発射できる。あまりに近距離で、発射されたミサイルを迎撃するには時間が足りない。常識で、ロジックで一つ一つ考えていけば、軍拡競争で国防などなりたちようの社会になっているのは、はっきりしている。にもかかわらず、軍事予算を増やそうというのは、軍事産業――民生市場で国際競争力を失った重厚長大産業、例を挙げれば三菱重工や川崎重工に三菱電機への財政支援でしかない。
アメリカの軍事予算を見れば、日本がいくらなにをしたところで、アメリカの世界軍事戦略の一部分のささやかな補完にちょっと毛の生えた程度の軍事力しかもち得ない。アメリカの世界戦略から自立して、日本独自の軍事体系を追求するなど、アメリカが認めるわけはないし、中国を始めとする近隣諸国も黙っちゃいない。視野狭窄に陥った唯我独尊の国粋主義者ですら、なかなか見れない夢だろう。
米ソの軍拡競争のとき、アメリカは圧倒的な軍事科学技術を誇っていたが、湾岸戦争にいたっては、世界のどの国の軍事技術とも比較のしようのないほど進歩してしまった。NATO軍などに戦場にこられても、アメリカにしてみれば、足手まといでしかなくなった。こと軍事行動に関していえば、アメリカは情報から何から何まで自給自足していて困っていない。同盟軍などがでてくれば、何をするにも事前に説明して了承を待ってということになって、面倒でしょうがない。アメリカ軍の制服組にしてみれば、俺たちでやるから、余計なことに首を突っ込むな。変なことをされるとみんなに迷惑がかかるし、こっちの命にまでがという話になっている。
日本の保守政権はNATO諸国のようにアメリカが望まないところに首を突っ込むほどの自立してはいないが、軍事産業の振興をと思えば、自衛隊に通常兵器の実戦実績を積んでもらいたい。そのために派兵ということなのだが、出て行ってアメリカ軍との共同作戦にでもなれば、どうにも使えない二人三脚の相棒(自称)としてアメリカ軍の軍事行動の足を引っ張ることぐらいしかできない。アメリカは自衛隊の実戦闘能力など頼りにしなければならいことなど何もない。半世紀以上演習だけで実戦経験のない自衛隊、危ないから後ろに引っ込んでろと言われて、ほっとするのが本音だろう。
こうして見てくると、アメリカが自衛隊に求めているのは朝鮮戦争のときと似たような後方支援まで、日本政府に求めているのは軍事力の強化より、アメリカの世界戦略に対する経済負担ではないのか。ただ経済負担では国際競争力を失った重厚長大産業の支援にならいから、日本政府は自衛隊の軍備強化の必要性を説いて、防衛予算を増やし続けているとでも考えたほうが、状況をうまく説明できる。
アメリカにくっついていれば周回遅れの先端軍事技術を導入できる。それを上手につかって通常兵器なら日本製の方が安くていいという、かつての高度成長をもう一度と夢見る財界人を後ろ盾に保守政権がなりたっている。
この状況をざっとまとめれば次のようになる。
民生品市場での価格競合性を失った重厚長大産業を活性して雇用をつくりたい。
そのためには、日米軍事同盟を保持して、アメリカからできるだけ先端の技術を導入しなければならない。
導入した技術を活用して、高度成長期のようにコストパーフォーンスのよい通常兵器で世界の武器市場に参入したい。
政治家にしてみれば、防衛機密を盾にして国民の目の届かないところで利権を漁れる。
参入するには武器の実戦での実績が必須になる。
武器市場では、売る側はビジネスだが、買う側は命がかかっている。実績のないものは買う買わないという前に検討してもらえない。
実績がないから売れない、売れないから実績があがらない、この「鶏と卵のどっちが先か」という悪循環を断ち切るために自衛隊を戦地に派遣したい。
7) 派遣するには憲法九条を変更しなければならない。憲法九条の曲解では後方支援の派遣にまでで、戦場での実績の上げようが
ない。重厚長大産業の活性化のために、日本の武器による破壊と人殺しの実績がほしい。
8) 情けないことに、被爆国として原爆には反対しても、雇用の視点から防衛予算の増大と軍需産業奨励には賛成の人たちもいる。
原爆は許せないが、駆逐艦や潜水艦、戦車や戦闘機にミサイルの輸出はいい。絵に描いたような自家撞着。それをわかって
言っているのであれれば二枚舌。気がつきもしないとなると、何かに取り付かれた妄信か頭の乱視?なんなんだろう。
Private homepage “My commonsense” (http://mycommonsense.ninja-web.net/)にアップした拙稿に加筆、編集
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〔opinion7014:171008〕
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