習近平新時代・幕開けの将軍の死 ― 張陽自殺の謎
- 2017年 12月 9日
- 時代をみる
- 中国田畑光永習近平
新・管見中国(32)
日本もなぜかいつまでも「安倍一強」だが、中国は文字通り「習近平一強」時代である。なにしろ「習近平新時代の中国の特色を持つ社会主義思想」なるものが、先ごろの党大会で党の指導思想として中国共産党規約に書き込まれたほどである。
こんなふうに名前つきで考え方が規約に書き込まれているのは毛沢東と鄧小平だけだから、習近平は大先輩2人とならぶ指導者として公認されたことになる。もっとも毛沢東は革命闘争の指導者であり、階級闘争路線の守護神、一方の鄧小平は一転して「金儲け大いに結構」という改革開放政策の提唱者・指導者と、先輩2人は逆方向をむいていたのだが、でも2人はそれぞれ思想の中身が明快であったのに対し、「習・・・・思想」は前世紀以来の屈辱の歴史を清算して「社会主義現代化強国」をつくりたいというだけである。それはどういう国で、どのように実現するかの道筋はさっぱり見えないのだが、そんなことはどうでもいいとばかりに中國のメディアはすでに「新時代」が始まったような浮かれぶりである。
そこへ習近平総書記の「新時代の指令第1号」とでもいうべきものが伝えられた。なんと「トイレ革命を推進せよ」というのである。これには思わずうなった。初球にこんな変化球を投げてくるとは、「おぬしなかなかやるな!」である。
総じて中国のトイレはそうきれいとは言えない。地方は特にそうである。随分昔のことになるが、河南省に毛沢東思想で村民を教育し、経営に好成績を上げていると評判だった村を訪ねたことがある。びっくりしたことに、村の入り口にタイル張りの大きなピカピカの公衆トイレがあった。訪れる人にそれだけで十分この村の「快適生活」を感じさせた。
国民の頭の中に1つずつきれいなトイレを思い描かせて、求心力を高めるソフト路線は、「トラもハエも叩く」とまなじりを決して腐敗退治の号令を発した5年前とは一味も二味も違ったニュー習近平の登場かと思わせた。
ところがそんなムードにたちまち冷水が浴びせられた。11月28日の新華社電が昨年新設された中央軍事委員会政治工作部の主任というポストにいた張陽という上将(軍の最高位)が、11月23日に自宅で首をつって自殺したと報じたのである。
張陽は1951年生まれ、軍内のイデオロギー畑を歩み、2012年、61歳で当時の総政治部主任というポストに上り詰め、中央軍事委員会委員に就任した。総政治部というのは、総参謀部、総後勤部、総装備部とともに軍の「4総部」の1つで軍の思想面の総元締めである。そしてその主任は共産党総書記・国家主席を主席とする党と国家の中央軍事委員会の委員に名を連ねる高官である。
習近平は2015年9月の抗日戦争勝利70周年を記念する軍事パレードを閲兵した際、軍の30万人削減計画と機構改革を明らかにし、その後、組織の再編、人事の異動が進められたが、張陽は昨年、総政治部が衣替えした新設の中央軍事委員会政治工作部の初代主任に横すべりして、その地位を保った。
張陽の死を伝えた11月28日の新華社電(要旨)――8月28日、中央軍事委員会は張陽に対する「組織談話」(カッコは引用者)を行い、郭伯雄、徐才厚らに関連する諸問題についての調査の事実確認を行うことを決定した。その結果、張陽は規律、法令に大きく違反し、贈収賄や由来不明の巨額の資産を有する犯罪が確認された。「組織談話」を受けている期間、張陽はずっと在宅であったが、11月23日、自宅において縊死した。
「組織談話」とは耳慣れない言葉だが、規律検査委員会の取り調べの一段階で組織として事情を聞くことと思われるが、その結果、犯罪事実が確認されたということは、談話とはいえ、実体は取り調べである。
郭伯雄、徐才厚は習近平が反腐敗で叩いた大トラ2匹で、2人とも中央軍事委員会の副主席という軍制服組のトップに君臨していた人物。しかし、郭伯雄は昨年7月25日、収賄罪などで無期懲役の判決を受けて服役中。徐才厚はそれより先、2014年にやはり収賄などで規律検査委に摘発されたが、刑が確定する前の2015年3月、膀胱がんで死去。
今度の張陽はこの2人との関連で取り調べを受けていたのだが、2人の事件が決着してからもう少なくとも1年以上が経過している。張陽が2人と共犯だったにしろ、あるいは贈賄したにしろ、一握りの最高幹部どうしのこと、なんでもっと早く手が伸びなかったのか。その間に張陽は機構改変に伴うものとはいえ、新ポストに移ってもいる。
それに習政権の汚職摘発で不思議なのは、たとえばこの大トラ2人は賄賂をとって役職に就けたり(売官)、便宜を図ったりしたというのだが、賄賂を贈ったほうはまず摘発されないのだ。贈賄者不明の収賄はありえないはずだから、かなり多数の贈賄犯がいるはずだ。それも最高幹部に下っ端が賄賂を贈れるわけがないから、大トラへの贈賄犯は中トラか小トラのはずだ。そういう構造が上から下へ層をなしているにちがいない。
したがって、なぜ贈賄側を挙げないかといえば、おそらくきりがないからであろう。問いただせば、全員が「皆がやっていることだから」と答える。「皆」をつかまえるわけにはいかない。
それでも習政権は反腐敗を続けなければならないとすれば、その対象の選択に犯罪の有無、軽重だけでなく、ほかの要素が入ってくる可能性が生まれる。
張陽の自殺について、『解放軍報』(11月29日)の評論員は「罪を畏れて自殺したが、自殺という手段で党紀・国法の処罰から逃げる行為は極めて卑劣である」と書いた。そうとしか書きようがないのだろうが、じつは反腐敗の過程での自殺は相当多いと言われている。自殺の理由は罪を畏れるよりも、自分が摘発されることへの憤死が多いという。「なぜ自分が」「なぜ自分だけが」という思いが死に走らせる。自殺を防ぐために、取調室の窓を開かないようにしたり、椅子や机の角に柔らかいものをはったりしているという報道を見たことがある。
これまで摘発されたいわゆる大物の自殺では、昔の「四人組」の江青とか、前世紀末の北京市副市長という前例があるが、張陽の死は改めて独裁権力の裏側の暗闇を思わせる。
じつは軍の最高幹部にもう1人、規律検査委の調べを受けているのではないかと噂されている人物がいる。その人物が何事もなかったように再登場してくるか、あるいは摘発対象となるか、習近平礼賛報道の洪水の中で耳をすませていなければなるまい。(171219)
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