『レーニン伝』を読む
- 2018年 2月 9日
- カルチャー
- 『レーニン伝』レーニン阿部治平
――八ヶ岳山麓から(249)――
ロシア革命の指導者レーニンの伝記は数多くある。
最近刊行された一冊、ヴィクター・セベスチェン著(三浦元博・横山司訳)『レーニン 権力と愛』(白水社 2017)は、そのあまたある「レーニン伝」のなかでは人情本版とも呼ぶべきものである。
この本は帯の惹句が好い。上卷おもて表紙のそれには「同志より、妻と愛人に信を置いた革命家の『素顔』」とある。この巻に描かれるのは、生い立ち、革命運動への参加、国外からの革命指導、そしてその間の妻や愛人との人間劇である。
下巻の帯の惹句は「『善を望みながら、悪を生み出した』革命家の悲劇」となっている。2月革命を受けてのロシアへの帰還、10月臨時政府の打倒と軍事クーデタ―による権力奪取、脳梗塞の発病を経て1924年に死去するまでが描かれる。
激しい革命活動のなか、(邦訳にして)40巻余の著作をどうやって残せたか、『唯物論と経験批判論』がなぜあのようにしつこいのか、『国家と革命』がかなりずさんな国家論なのはなぜか、といった類のことは書かれてはいない。
レーニンはロシア人としてはいかにも小柄だった(160cm!)。顔もどことなくアジア人を思わせる。本書の詳しい家系記載によれば、彼は19世紀ロシアの典型的なブルジョアの出ではあるが、生粋のロシア人ではなかったことがわかる。
スターリンは自分がグルジア(ジョージア)人でありながら、レーニンを「生粋のロシア人の天才」に仕立てたくて、レーニンの家系研究を禁止した。その方が後継者としては都合がよかったからだ。だが時代が下ってソ連崩壊の30年前には、蔵原惟人氏が、レーニンの祖母のひとりがカルムィーク(モンゴル)人だったことを書いている(『若きレーニン』新日本出版社 1969)。
レーニンの妻ナジェージダ・クルプスカヤについて、著者は上巻「序文」の中で、「通常描かれるような、働き者の主婦兼秘書という枠には収まらない姿が浮かび上がってくる。彼女がいなければ、レーニンは現実に成し遂げたような仕事を決して達成できなかっただろう」と述べている。レーニンは気の短い人で、疲れるとよく頭痛を起し、かんしゃくを爆発させた。クルプスカヤはそれをよく承知していて、散歩や山歩きに連れ出したという。
レーニンには愛人がいた。これも「序文」に、「彼は10年間にわたって、イネッサ・アルマンドという名前の、肉感的で、知性がある美貌の女性と断続的に愛人関係を続けた。彼らの三角関係は、レーニンとナージャ(妻)の感情面での生活の中心を圧倒的に占めていたので、本書のほぼ半分には、このことが織り込まれている。……レーニンがたった一度、人前で泣き崩れたのは、アルマンドの葬儀の時、自分の死の三年前のことだった」とある。
レーニン全集に『イネッサ・アルマンドへの手紙』があるが、レーニンの愛人が彼女だということを私は長い間知らなかった。
本書では、レーニンは理論を重んじたが、実際に臨んでは理論より便宜的方法があればそれを採用したという。これはそのとおりで、彼は社会主義原理に反して市場経済の導入をおこない、革命政権を経済破綻から救った(新経済政策NEP)。いま日本には鄧小平の改革開放をNEPとの連想で持上げる人がいるが、これは見当違いだ。
では、レーニンが残した悪とはなにか。
いまでは誰でも認めるように、「彼が作り出した悪の最たるものは、スターリンのような人物を、自分が亡きあとのロシアを指導する地位に残してしまったことである」
レーニンはかちえた権力を守るために、敵と見なした勢力を数多く殺し、労農大衆にも冷酷な手段を遠慮なく用いた。スターリンはそれを間違いなく継承し、何倍にも拡大深化させた。
20代の私にとってレーニンは神様だった。しかも「スターリン・カンタータ」こそ歌わなかったが、社会主義経済論としてはスターリンのものしか知らなかった。
だが、もし神様がソ連を指導しつづけていたら、「悪」を生み出さなかっただろうか。社会主義生産様式は(といえるか疑わしいが)、強力な官僚群とその指導者を必要とした。しかもロシア的専制主義の伝統がそれを促した。中国で毛沢東が「皇帝」になったのも似た理由である。ならばスターリンほどではなかったとしても、レーニンもまた冷酷な独裁者にならざるを得なかったのではないか。
革命から75年後、東欧・ソ連は内部から崩壊した。レーニンの社会主義の実験は失敗だった。生産手段の社会化や計画経済は幻想で、共産党官僚の独裁だけが現実だった。これでは人々は幸福になれないということははっきりした。
では、レーニンの革命は世界史上どんな意味をもつのか。私にはこの疑問が解けない。答えを求めて本書を読んだが、わからなかった。
本書の著者ヴィクター・セベスチェンはハンガリー人だが、東欧問題専門の定評あるイギリスのジャーナリストである。訳者の三浦元博・横山司両氏は元共同通信記者である。読みやすい日本文と「訳者あとがき」によって、その実力のほどがわかる。
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