転生ラマは本物といえるのか――ダライ・ラマの後継者
- 2018年 4月 24日
- 評論・紹介・意見
- ダライ・ラマチベット阿部治平
――八ヶ岳山麓から(256)――
チベット仏教の頂点にあるダライ・ラマ14世の後継者問題についての報道が目立つようになった。
朝日新聞は、3月7日にチベット亡命政府のロブサン・センゲ首相が「年内に高僧による会議を開き、後継者問題を議論する」と述べたとつたえた(2018・03・09)。
毎日新聞は、3月31日ダライ・ラマ14世のインド亡命60周年を1年前倒しした式典の席上、ダライ・ラマが「我々の文化と言葉を守り抜こう」と演説し、対立する中国を牽制し、さらにインドとの強固な関係を強調したという(2018・04・02)。
週刊文春(4月5日号)では、池上彰氏が「池上彰のそこからですか」で、チベット問題の起源とダライ・ラマの後継問題を論じた。
いずれの記事もダライ・ラマ14世のインド亡命60周年、82歳という高齢を意識している。どの記事でも懸念するのは、ダライ・ラマ14世の転生者問題である。パンチェン・ラマ10世の転生者探しのときの中国政府とダライ・ラマ側との確執が繰り返されるのではないかということである。
すでに30年近く前の1989年2月、パンチェン・ラマ10世はチベット自治区シガツェのタシルンポ僧院で急逝した。95年5月同僧院院長チャデル・リンポチェは中国政府によってパンチェン・ラマの転生者探索の責任者に任命され、「霊童」としてゲンドゥン・チューキ・ニマを捜しあてた。パンチェン・ラマの転生者は最終的にダライ・ラマが承認する慣行だったから、チャデル・リンポチェはひそかにインドのダライ・ラマ14世に認定を依頼し、この子供をパンチェン・ラマ11世として世に出そうとした。
ところがダライ・ラマは中国政府の発表前に、この「霊童」を11世として承認すると発表してしまった。この挙に江沢民主席は大いに怒り、霊童を両親とともに拉致監禁し、チャデル以下チベット側関係者を逮捕した。チャデル・リンポチェは「国家機密漏洩罪」「国家分裂罪」で懲役6年、さらに政治権利停止3年の刑を受けた。
江沢民は「清帝国以来、中国政府はダライとパンチェン両ラマの選定をやる権限がある」として、あらためて10世の転生者探しをやらせた。この結果得られた候補者3人の中から、くじ引きで新しい11世としてギェンツェン・ノルブを選んだ。このパンチェン・ラマ11世は、チベット人からは「ギャ・パンチェン」と呼ばれている。「漢人のパンチェン」あるいは「偽パンチェン」という意味である(「八ヶ岳山麓から」251参照)。
転生ラマはチベットにしかない不可解な存在である。チベットでは、偉大なラマ(師僧)は仏陀がこの世に下された化身であり、輪廻を超越した涅槃の境地に人々を導く菩薩と考える。日本でも輪廻を認めるし高僧崇拝はあるが、その転生者を現世に出現させることなど考えられない。だが現代でもチベット人はこれをあたりまえのこととして疑問は持たない。
しかし、この制度は仏教教義とはなんの関係もない。14世紀半ばにチベット仏教の一宗派によって勢力の維持拡大のために始まり、それが他宗派に蔓延したものである。
ダライ・ラマが属するゲルク派の創始者は改革者ツォンカパ(1357~1419)だが、ゲルク派の初めての転生ラマは、有力豪族の子ソナム・ギャンツォ(1543~88)で、これはのちにダライ・ラマ3世とされた。1世、2世はツォンカパの弟子と孫弟子ということになっている。また同じゲルク派第2の聖者パンチェン・ラマ制度は、17世紀後半から始まった。
いまチベット高原の大小寺院には転生ラマが乱立している。高位のラマの転生者は前任者の遺産を引継ぐ慣行があるから、転生ラマを生むことは家族にとっては権力を得るうえ、財産を増やす絶好の機会である。だから過去各地寺院の転生ラマ選定をめぐってはさまざまな不正が行われた。歴代ダライ・ラマのなかには毒殺を疑われるものもいる。
ダライ・ラマ14世自身は後継者問題だけではなく、転生ラマ制度そのものの存廃について何回か発言している。とりわけ2014年秋ドイツ紙との会見で、「チベット仏教の転生制度を廃止すべきだ」と述べたときには、各方面から強烈な反応があった。とりわけ中国外交部の華春瑩報道官は「チベット仏教の正常な秩序を大きく損なうもので、中央政府と信者は絶対に認めない」と激しく反発した。
唯物論の中国共産党が転生ラマ制度を維持しようというのは、まるで世界観の逆立ちのように見える。だが、これはチベット人社会から絶えず生まれる「造反」を、転生ラマを通して抑える必要があるからである。そのため中国政府は各地寺院の転生ラマを格付けし、対応する地方政府が転生ラマを認証する制度を作った。
ダライ・ラマ転生制度をやめたとき、中国政府にはなにがもたらされるか。
「中共好みの」ダライ・ラマを選定できなくなるのが最大の問題である。中共の認証を絶対条件とする各地の転生ラマの地位も怪しくなる。つまりチベット人を統治し抑える手段が弱められる。
一方チベット民衆にとっては、心の支えと民族の代表を失うことを意味する。身近の転生ラマに対しても尊崇の気持がなくなる。ダライ・ラマの活動によって地球規模で信者が増えたチベット仏教も衰弱してしまうかもしれない。
だが、ダライ・ラマ14世自身も制度の存廃について一貫した考えをもっていたわけではない。近年は周囲の声に押されて存続に傾斜しているようだ。
さきの朝日の記事によると、亡命政府のセンゲ首相は「ダライ・ラマ14世が自らの後継を選ぶべきだ」と語ったという。ダライ・ラマ自身も「チベット人民が決める」とか、「死ぬ前に後継者を選ぶ方がよい」と語ったこともあるから、センゲ氏の発言はこれを踏まえているらしい。
亡命政府が14世の生前に15世を選ぶとすれば、「生前の転生ラマ」という論理矛盾を生じる。それでもダライ・ラマ14世は15世認定するだろうが、それはもはや転生ラマではない。たんなる後継者である。
この場合中国政府は後れをとる危険性がある。というのは中国政府が慣行に従い14世逝去をぐずぐず待っている間に、15世の権威がチベット人地域全体に確立してしまうる可能性が高いからだ。亡命政府の狙いもこの辺にあるらしい。
亡命政府はダライ・ラマ15世を、おそらく亡命チベット人社会から選ぶだろう。すでに、うわさでは2000年にインドに亡命したカルマ派の黒帽派法王ウゲン・ティンレー・ドルジェだという。
中国政府は国内チベット人地域で転生者を探索して15世とし、現在のパンチェン・ラマ11世に認定させるだろう。だが「ギャ・パンチェン」が認定したダライ・ラマ15世をチベット民衆は「ギャ・ダライ」と呼んで崇拝しないだろう。すると15世は、信仰の対象としてははなはだあやしいものになり、チベット人に対する重石にはなりにくい。
来年はダライ・ラマのインド亡命60周年だから、後継者問題は一層具体化するだろう。これはチベット高原はもちろん、内外モンゴルやシベリアのブリヤート・モンゴル、さらには欧米の信者などにも影響する。すでに欧米では仏教といえばダライ・ラマというのが通り相場になっているから、政治的影響も大きい。亡命政府と中共中央がこれをどうさばくか見ものである。
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