米大使館のエルサレム移転を強行(下) -国連の一貫した取り決めを踏みにじる -
- 2018年 5月 12日
- 評論・紹介・意見
- イスラエルトランプ坂井定雄
いま、改めてエルサレムの国際的地位の問題を再確認しておこう。
さまざまな宗教と民族、国家がせめぎあう長い歴史の焦点となってきたエルサレム。第2次大戦後発足した国連は、1947年11月の総会で、英国の委任統治下だったパレスチナをユダヤ人とアラブ人の2国家に分割し、エルサレムを国際管理下に置くパレスチナ分割決議を採択、48年5月14日、イスラエルが建国宣言。直後に始まった第一次中東戦争でイスラエルが圧勝。エルサレムは東側をアラブ側が占領。西側を占領したイスラエルは50年に首都宣言、首都機能をテルアビブから移した。
その後、1967年の第三次中東戦争でイスラエルは東エルサレムも占領し、1980年には、改めてイスラエル議会が、統一エルサレムはイスラエルの不可分・永遠の首都であるとするエルサレム基本法案を可決した。
イスラエルによる統一エルサレムの首都宣言に対し、国連安全保障理事会は「イスラエルのエルサレム基本法案は無効であり破棄すべきものである」「国際連合加盟国はエルサレムに外交使節を置いてはならない」とする国連安保理決議478を可決(アメリカ合衆国は拒否権を発動せずに棄権)。国連総会はイスラエルによる東エルサレムの占領を非難し、統一首都宣言の無効を143対1(反対はイスラエルのみ、棄権は米国など4)で決議した。
1967年までは13カ国の大使館が西エルサレムに置かれていたが、イスラエルによる東エルサレムの併合に抗議して、これらの国家も大使館を移転。エルサレムに大使館を残していたコスタリカとエルサルバドルも2006年までに大使館を移転、国連加盟各国はすべてテルアビブに大使館を置くことになった、
パレスチナ問題の解決を目指し、ノルウエーの仲介で始まり、ワシントンで調印された1993年のオスロ合意によって、イスラエルとパレスチナが認め合い、イスラエルが占領しているヨルダン川西岸とガザをパレスチナ側に返還し、パレスチナ自治が始まった。エルサレムの最終的地位については、イスラエルとパレスチナが協議によって決めることとされた。
まもなく、ヨルダン川西岸のラマラに置かれたパレスチナ自治政府のアラファト議長は、将来の独立パレスチナ国家の首都は、現イスラエル占領下の東エルサレムとするとの目標を掲げた。
しかし、ヨルダンとも平和条約を結び、パレスチナ問題の平和的解決を目指したラビン・イスラエル首相が95年11月、右翼テロで暗殺され、以後、曲折はあったが、和平プロセスは進まなくなった。さらに2009年に最右翼のネタニヤフが政権を握って以来、イスラエルはヨルダン川西岸地区での入植地を拡大、ヨルダン川西岸と東エルサレムの入植地を防護する高い壁の建設を急ピッチで進めた。
さらに、昨年1月、トランプ米政権が発足いらい、同政権の親イスラエル姿勢が露骨に示されるようになり、イスラエル政府は、東エルサレムとヨルダン川での住居群と道路、農地など入植地建設をさらに推進し始めた。一方でトランプは、イスラエル政府とパレスチナ自治政府に、米国が仲介する最終的な和平交渉に参加するよう呼びかけた。
米国メディアの報道によると、その交渉への米国の提案は、それぞれ多少の違いがあるが、ヨルダン川西岸地区のパレスチナ自治領をさらに3分の1程度削ってイスラエル領にして、パレスチナ国家を承認し、東エルサレムのイスラエルによる支配は現状のままとする、などの内容だ。
パレスチナ自治政府のアッバス議長は、このような米国案をもとに和平交渉を再開することを、すでに拒絶している。
安倍首相は5月1,2日に訪問したパレスチナ自治区のアッバス議長とイスラエルのネタニヤフ首相を訪問、会談した際、日本は駐イスラエル大使館をエルサレムに移転するつもりはないと伝えるとともに、パレスチナ問題の解決には米国の関与は重要だと強調、「米国から提案があれば、交渉の席に着くよう」求めた。その米国が提案しようとしているのは、上記のように、すでにアッバス議長が拒否を表明しているような内容なのだ。
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