大学生の「国策動員」に思うこと~オリンピックは国家の事業ではない(2・完)~
- 2018年 8月 22日
- 時代をみる
- 醍醐聡
2018年8月21日
オリンピックの主役は国家ではなく選手
上記の『毎日新聞』の記事では「国家的事業というだけで明確な根拠があるとは思えない」という大学生の声が紹介されている。しかし、オリンピックは国家的事業ではない。「個人種目または団体種目での選手間の競争であり、国家間の競争ではない。」(オリンピック憲章(2017年9月15日改訂)6-1。この点を周知することが重要だと改めて感じさせられた。
https://www.joc.or.jp/olympism/charter/pdf/olympiccharter2017.pdf
しかし、大学生がそう語るのは、個人的な誤解ではなく、政府、メディアこぞって、オリンピックをあたかも国家的事業かのように喧伝し、政治的に利用してきた事実がある。
「個人の前に国があった」~増田明美さん~
たとえば、元マラソン選手・増田明美さんは2016年8月15日の『読売新聞』に掲載された「『お国』の重み マラソンで私も」というタイオルが付けられたインタビューの中でこんな体験を語っている。
「私がロス五輪のマラソン代表に選ばれたのは20歳の時。日本記録を連発したこともあり、大きな期待を寄せていただいて。・・・・本番では、多くの選手に抜かれて心が折れ、16キロ地点で途中棄権に終わりました。
成田空港に着いた時でした。通りすがりの男性に指さされ、非国民、と言われました。伯母が私に自分の青い帽子をかぶせ、私は家族と逃げるように帰ったのです。それから3ヶ月間、寮の自室に閉じこもり、死ぬことばかり考えた。人生で一番苦しい時期でした。非国民という言葉が、心に突き刺さっていました。」
この言葉の手前で増田さんはこう語っている。
「でもあの頃、国を背負うということは、今とは違う重みをもっていた。個人の前に国があり、期待にたがえた時の批判にも、異質な厳しさがあったのです。」
「国を背負う」、「個人の前に国があり」という言葉からは、そうした重みを背負わされた選手ならではの実感が伝わってくる。ただ、「今とは違う」重みと述懐して済むとは思えない。「今も」というべきではないか。
「国歌も歌えないような選手は日本の代表ではない」~森喜朗JOC会長~
2016年のリオ・オリンピックの壮行会で、来賓あいさつに立った東京オリンピック・パラリンピック組織委員会の森喜朗会長は、こう述べた。
「森喜朗氏、リオ五輪壮行会で君が代歌わぬ代表に苦言」
(2016年7月3日17時38分 日刊スポーツ)
https://www.nikkansports.com/sports/news/1672805.html
「なぜ国歌を歌わないのか。選手は口もぐもぐするのではなく、口を大きくあけて国歌を歌ってください。国歌も歌えないような選手は日本の代表ではない。そう思う。」
個人の上に「お国」を置くムードに翼賛するNHK
政治家やオリンピック関係者ばかりでない。NHKスポーのスポーツ担当解説委員も、2016年8月21日の「おはよう日本」に登場してリオ・オリンピックを振り返り、「五輪開催5つのメリット」として、国威発揚、国際的存在感、経済効果、都市開発、スポーツ文化の定着」を挙げた。
また、当時、NHKは夜7時、9時のニュースで連日、その日の日本選手のプレーの模様を伝えたあと、「これまでの日本のメダル獲得数は〇です。これは〇〇国に次いで〇番目です」と語った。
しかし、オリンピック憲章はこう謳っていた。
「オリンピック競技大会は、個人種目または団体種目での選手間の競争であり、国家間の競争ではない」(第1章6)
「IOCとOCOGは国ごとの世界ランキングを作成してはならない」(第5章57項)
この点を質す文書をNHKにメールで送ったところ、NHKから、国別のメダル数を報道したのはIOCに事前の承諾を得たうえでNHKの編集権にもとづいて判断した、という回答がメールで届いた。
http://sdaigo.cocolog-nifty.com/blog/2016/08/nhk-626f.html
しかし、IOCの承諾を得た、得ない以前に問われるのは、オリンピックの理念をNHK自身がどう理解しているのかである。編集権は融通無碍に使いまわしてよいフリーパスの護符ではない。NHK解説委員がオリンピックに参加するメリットして、国威発揚、国際的存在感、経済効果を臆面もなく挙げるのは、オリンピックが国単位、国家主体ではなく、選手主体、都市主催のスポーツ競技大会であることを全く理解していない証左である。
『NHK放送ガイドライン』は「2 放送の基本的な姿勢」の章でこう明記している。
「③人権の尊重 基本的人権の尊重は、憲法が掲げる最も重要な原則であり、放送でも優先されるべき原則である。」
NHKが自律的に定めたこの放送倫理規範に照らせば、NHK解説がオリンピックのメリットのトップに国威発揚を挙げたのは、NHKが率先して、オリンピック代表選手に「国を背負わせ」、「個人の前に国がある」と意識させる風潮を煽ったのも同然である。
また、NHKがリオ・オリンピック開催期間中、定時のニュースで連日、海外と対比しながら日本のメダル獲得数をくどいほど伝えたのは、「オリンピック競技大会は、個人種目または団体種目での選手間の競争であり、国家間の競争ではない」と定めたオリンピック憲章にそぐわない。
ましてや、東京オリンピック・パラリンピック組織委員会の会長たる人物が、リオ・オリンピック代表選手に向かって、「国歌も歌えないような選手は日本の代表ではない」などと公言するのは、オリンピック憲章の無知・無理解をさらけ出したものであると同時に、オリンピック代表選手の思想・信条の自由に手を突っ込む人権無視の言動である。これだけでもJOC会長失格である。
「日の丸を背負った」などという言葉が気易く使われる風潮は、個人の上に「お国」を置く前近代的な思想が日本のスポーツ界でまかり通っている証しである。
初出:醍醐聡のブログから許可を得て転載
http://sdaigo.cocolog-nifty.com/〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔eye4442:180822〕
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