海峡両岸論 第95号 2018.10.12発行 - 対アフリカで日中協調は可能か 関係改善背景に微笑のサイン -
- 2018年 10月 18日
- スタディルーム
- アフリカ中国対外援助岡田 充日本
12億人を超える人口と豊富な天然資源に恵まれ、この5年間で5%を超える経済成長を続けるアフリカ政策をめぐり、日中間に微妙な変化が起きている。両国はアジア、中東、欧州で、高速鉄道や原発などインフラ建設の受注で激しい争奪戦を展開し、政治的にも火花を散らしてきた。しかし日中関係が改善の軌道に乗った潮流変化の中、不毛な「つぶし合い」を見直し、協調を模索する動きも芽生えている。中国も日本に「微笑」のサインを送り始めた。
600億㌦支援と債務返済猶予
中国政府は9月3,4の両日、北京で「中国アフリカ協力フォーラム」首脳会合(写真 首脳会合報道センターでの記者会見)を開催、53加盟国のうち30か国の首脳が参加した。3年ごとの首脳会議の今回のテーマは、習近平主席の外交スローガン「運命共同体」とそれを実現する「一帯一路」。開幕式の習演説も「手を携え運命を共にし、心を一つに発展を促す」と題された。
基調演説で習は、今後3年間で総額600億㌦(約6兆6600億円)を拠出すると表明した。これは、前回15年のヨハネスブルグ首脳会議での拠出額と同額。内訳は150億㌦の無償援助・無利子融資・優遇借款供与、200億㌦の融資枠供与、中国企業による100億㌦超の投資など。前回と大きな変化はないが、日本の拠出額の二倍にあたる。
習演説で注目されたのは次の二点だ。
第一は、今年末に返済期限を迎える貧困国などを対象に、債務の一部を免除すると表明したこと。融資返済は途上国に重くのしかかる。そこから「一帯一路」は、アフリカや南太平洋の途上国を「借金漬け」にし「土地や資源を収奪している」などの批判を浴びてきた。
返済免除はこうした批判をかわすためで、免除対象国は「アフリカの後発発展途上国、重債務国、内陸発展途上国、島嶼発展途上国」が挙げられた。習は同時に「いかなる者もアフリカの発展を支援する国際社会の積極的行動を阻止、妨害できない」とも述べ、中国の途上国支援への批判に強い調子で反論した。
保護主義を批判
第二は、米中貿易戦争が長期化する中での対米批判。習は「(世界は)百年に一度もないような大変転をとげつつある」とした上で、「グローバルガバナンス・システムと国際秩序の変革が加速、新興市場国と発展途上国が急速に台頭し、世界の力関係がより均衡に向かい、世界各国人民の運命が今日のように強く結びついたことはない」との現状認識を示した。
そして直面する「挑戦」として、覇権主義、強権政治、保護主義、一国主義を挙げながら「開放型世界経済と多角的貿易体制を揺るぎなく守り、保護主義、一国主義に反対する。自らを自己封鎖の孤島に閉じ込める者に将来はない」と、貿易戦争を仕掛けるトランプ政権を批判した。
中国にとって最重要の外交課題は対米関係の安定にある。しかし貿易戦争で、台湾カードまで使うトランプ政権との改善は当面望めない。一方、「一帯一路」は社会主義強国を実現するための戦略スキームである。習が最も意識しているのは、「新たな植民地主義は望まない」(マハティール・マレーシア首相)など、「一帯一路」に対する不信感の高まり。習自身も8月、「一帯一路」を「政治、軍事同盟でもなければ『中国クラブ』でもない」と述べ、負のイメージを打ち消そうとした。
周辺・途上国外交を重視・強化
習は18年6月22,23の両日、北京で開いた外事工作会議で、米国とのパワーシフトを有利に進めるため、周辺・途上国外交を重視・強化する方針を打ち出した。周辺外交で言えば、米朝首脳会談の実施が決まった今年3月以来、悪化していた北朝鮮との関係を修復・改善し、朝鮮半島問題への全面的関与を強める。国交正常化以来最悪の状態にあった対日関係でも、李克強首相が5月に訪日し、関係改善の軌道にのせた。周辺国家外交重視の具体例である。
そして途上国外交は、今回の「中国アフリカ協力フォーラム」をはじめ、6月の青島での上海協力機構(SCO)、7月の新興5カ国(BRICS)首脳会議などで、参加国との連携を強調。さらに11月には、太平洋島嶼国との経済発展協力フォーラムをパプアニューギニアで開くことも検討している。
「一帯一路」協力の第一歩に
一方安倍政権は、日中関係改善の「切り札」として、昨年来「一帯一路」への条件付き支持・協力を打ち出した。5月の安倍・李克強首脳会談では、「一帯一路」協力について協議する「官民合同委員会」発足で合意した。周辺外交を重視し始めた中国にとって、安倍政権の路線転換はまさに「渡りに船」。
安倍首相は日中平和友好条約40周年にあたる10月末に訪中。第一回官民合同委員会(北京9月25日)では、日中両国が第三国で協力するインフラ整備事業として①タイの鉄道建設②中欧鉄道での物流協力③西アフリカでのプロジェクト―などが検討されたという。安倍訪中の「土産」になる。中国から見れば、「一帯一路」への日中協力の第一歩。日本側はもちろん「一帯一路」とは表現せずに、「第三国での日中協力」と位置付ける「玉虫色」合意である。
関係改善の流れを加速し、来年の習近平初来日につなげたい日本側。米中貿易戦争のとめどない激化の中で、日本との経済協力強化を誇示したい中国の思惑は一致する。日本も2019年8月末、第7回「アフリカ開発会議」(TICAD)を横浜で開く。それに先立ち10月7日には東京でTICAD閣僚会合(写真 閣僚会議開会式で演説する河野外相 外務省HP)が開かれた。対アフリカ支援では、インフラ整備を重点項目にする「一帯一路」と重なる部分が多い。関係改善が進む中で、日中双方とも「つぶし合い」と悪性競争は避けたいのが本音だ。
先行した日本が「後塵」
日中両国のアフリカ関与の歴史を振り返る。日本主導のTICADは1993年、国連と世界銀行との共催でスタートした。TICAD閣僚レベル会合を経て、2013年までは5年ごと、それ以降は3年に一回開かれている。一方、「中国・アフリカ協力フォーラム」は2000年10月に北京で第一回首脳会合が開かれ、やはり3年ごとの開催。
先行した日本だが、貿易額、投資残高ともに今や中国が日本を引き離す。2018年の「通商白書」によると、中国の2016年の対アフリカ輸出のシェアは16・6%と、5・8%のフランスを引き離し一位。日本のシェアはわずか2・2%である。2001年の中国輸出シェアは3・7%に過ぎず日本の4・2%を下回っていたから、この15年でいかに輸出が伸びたかが分かる。アフリカ全体でみると、中国は最大の貿易相手である。
対アフリカ投資残高は2016年、中国が330憶㌦と日本(100億㌦)の三倍超。アフリカ進出企業も「中国が2000社と日本企業300社の差は開く一方」(みずほ総研「アフリカ重視を続ける中国」)である。
日中連携を強調した時代も
中国とアフリカの関係は日本より古く、毛沢東の「第3世界外交」以来の歴史がある。習近平も「協力フォーラム」開幕式で「中国アフリカは早くから苦楽を共にする運命共同体」と強調した。中ソ対立が表面化した1960年代初め、大躍進政策の失敗と天災が重なり飢餓状態にあった中国は、タンザニア―ザンビア間の「タンザン鉄道」に代表されるアフリカ支援を進めた。それは、第三世界と連携し、米国を頂点とする第一世界を包囲する「革命外交」と位置付けられた。1990年代からは、アフリカをエネルギー、鉱物資源の供給基地をして重視し、現在は将来有望な市場として重視する。
日本と中国が、ベトナムやマレーシア、インドネシア、トルコで、原発や鉄道建設の受注でしのぎを削っている姿をみると、両国が海外インフラ建設でずっと競合関係にあったかのようなイメージを抱くかもしれない。だがそれは正しくない。競合が目立ち始めるのは、中国が国内総生産(GDP)で日本を追い抜いた2010年が一つの契機である。
習近平政権に移行した中国は13年、「一帯一路」構想を打ち出した。安倍政権がこれに対抗して16年、ナイジェリアで開かれた前回TICADで「自由で開かれたインド太平洋戦略」を発表してから、外交面での競合が先鋭化する。それまでは、協力が強調された時期すらあった。
日中関係が良好だった2008年に胡錦濤国家主席が来日、両国関係を「戦略的互恵関係」と位置付けた第4の政治文書に調印した。その時、福田康夫首相は胡との首脳会談で、アフリカ開発での日中連携を提唱した。これに対し胡錦涛は「日本が主導するアフリカ開発会議(TICAD)に賛意を示し、中国がアフリカ各国と発足させた『中国アフリカ協力フォーラム』の意義を強調し、両会議間での交流強化に期待している」と述べたと、中国外務省報道官は明らかにしている。
日中競合、負の側面
協力から競合への変化は、両国経済力の逆転が背景と考えてよいだろう。繰り返すが安倍首相は、南沙諸島の領有権問題をめぐる米中対立が激化した時期に当たる16年に「自由で開かれたインド太平洋戦略」を発表した。アフリカのインフラに対し3年間で総額約3兆円の投資を推進すると約束する一方、「国際法の原則に基づくルールを基礎とした海洋秩序を維持する重要性を強調する」と、中国の海洋進出を批判したのである。
これに対し中国外務省はTICADについて「日本はアフリカ各国に自らの考えを強要し、私利を追求して、中国とアフリカの間にもめごとを起こさせようとした」と批判、激しく火花を散らした。
それから2年。日中関係は改善の軌道に乗る一方、米中貿易戦争が激化の一途をたどる潮流変化が訪れている。その中で芽生えつつあるアフリカでの日中協力は、両国の経済力の差が3倍近くにも広がった現実を反映しているのかもしれない。「もはや中国を包囲することはできない」(外務省高官)という現実的認識から、中国との関係を見つめ直さざるを得ない。
TICADの10月閣僚会合では、河野外相が18年までのアフリカへの官民投資300憶㌦のうち、投資の半額が達成できていないことを明らかにした。外務省はその理由として、対中国債務を抱えたアフリカ諸国の返済余力に問題があり「円借款を出せなかった」(河野外相)と説明する。日中競合の負の側面である。
アフリカをめぐり、中国政府は公式に日本に秋波を送っているわけではない。しかし第三国でのインフラ投資協力がアフリカを含め世界で進めば、北京はそれを開放型世界経済の象徴と位置付け、日中の「ウィン・ウィン」モデルとして、トランプ政権に誇示するはずだ。貿易戦争を有利に展開するための「カード」にもなる。
日中競争と協力の具体例
「速さと安さ」が身上の中国、「きめ細やかさとアフターサービス」で優れる日本が、アフリカ市場で協力すれば「ウィン・ウイン」を実現できる、とする特集記事が華字ネット・ニュースに掲載された。その一部を紹介しよう。
米国の華字ネットメディア「多維新聞」の「中国アフリカ協力を観察する アフリカでの中日の競争と協力」(9月1日)である。対アフリカ支援で中国が何を日本に期待しているのかをうかがう上でも参考になる。
記事はケニア、エチオピアなどを取材したルポ形式をとり、最初に「中国アフリカ協力フォーラム」での問題意識として、▼「一帯一路」にアフリカ側の積極的反応が得られるか? ▼アフリカ諸国はこれまで同様中国を支持し、それは米国の貿易保護主義と単独主義の挑戦と脅威に対応する中国にとって助けになるか? ▼中国のアフリカ戦略はどのように調整すべきか?-を挙げた。
艱難辛苦に耐える中国
アフリカで日中はお互いを競争相手とみなす。両国は、企業管理や建設方法、考え方で異なる。それをアフリカ諸国はどうとらえているのだろうか。日本の外交戦略にとってアフリカは辺境であり非重点地域。一方、中国、アフリカの関係はずっと親密で、タンザン鉄道に代表されるように1960年代から援助を開始してきた。現在はアフリカに2500企業が進出し中国人は100万人に上る。一方、日本人は8000人程度。
中興電信とエチオピアテレコムは2006年、エチオピア全土にネット通信網を建設する協定を結び、国家発展銀行は15億ドルの融資を決定した。当時エチオピアにはモバイル契約者は50万-70万と、人口の1%に過ぎなかった。
計画は、アジスアベバ西200キロのアンボの丘陵地帯に通信施設を設置することから始めねばならない。現地でのインフラ建設は、中国国内とは比較にならないほど困難。通信ステーションの建設は、常に武装警察官の監視下で進められた。
市中心部から車で一時間かけ高原地域に到着。「そこから山道を一時間かけて上ると100戸ばかりの集落に着く。住宅はすべてわら葺。電力はないから夜は懐中電灯で手探り状態だ。まず600キロの通信設備を道のない山に運ばねばならない。ヘリを政府から借りようとしたが、審査に時間がかかるため、地元住民を雇って山頂まで運んだ。
地元の村長と掛け合った結果、9万元(1人民元=16円)で運搬に同意した。村民の所得は月100元程度だから、金額は20戸の村落の4年分の所得に相当する。
ここで日本と比較する。日本とエチオピアは2013年に工業団地建設に関する協定に調印したが、まだ着手していない。JETROの現地代表は、西側文化の影響下にあるケニアならともかく、エチオピアの生活環境は日本人には不適合と答えた。(写真 2015年9月アジスアベバで、中国が建設を請け負った都市間鉄道の開通式 中国網HP)
日本企業がアフリカ市場に参入する上では、競争力で中国企業より弱い。中国側は管理者であろうと労働者であろうと艱難辛苦に耐え、腹が座っている。このような劣悪な環境は日本企業に進出をためらわせている。電気のない場所で携帯を売るなどという発想はできないだろう。
ケニア・モンパサ港の日中競争
ケニアのモンバサの地理的優勢は鮮明である。アフリカ全体の港湾規模で比較できるのは、南アのダーバン港しかない。モンバサ港は24時間開かれており、この港からタンザニア、ルワンダ、南スーダン、ウガンダなど内陸国家に物資を運ぶ玄関だ。あの明時代の鄭和もここに到達したと歴史史料にある。
2010年,中国企業はケニア政府の委託でモンバサ第19号埠頭の建設に着手した。13年に竣工し同港のコンテナ取扱量は25%増えた。埠頭完成後、日本企業が港湾局長に会いに来て、日本企業はさらに大きいコンテナ埠頭を作ると提案した。
2015年2月日本とケニア政府は、モンバサ港20,21,22号3ふ頭の改修のため、5億4600万㌦の融資協定に調印。1963年の両国の国交以来、日本政府が提供する最大の融資額であり、安倍政権が提起するアフリカ援助の目玉の一つである。(筆者注 在ケニア日本大使館のリリースによると、寺田駐ケニア大使は2015年1月16日、ロティチ財務長官との間で、対ケニア円借款「モンバサ港開発計画フェーズ2」=供与限度額3200万円=の交換公文に署名、とある)
インフラは日中がともに利用
興味深いのは2014年、モンバサ港とナイロビをつなぐ鉄道が着工され17年5月に開通すると、モンバサ港で荷揚げされた貨物は、中国だけでなく日本の貨物もこの鉄道を利用して運ばれ、さらに中国が請け負ったケニア・ウガンダ間の鉄道も、輸送に利用されている。中日間の物流は、もっと協力の可能性がある。
東アフリカは日中企業が最も激しく争う市場だ。もし中国企業が長期にわたってアフリカで発展したいなら、日本企業のアフリカでの数十年の経験に学ぶ必要がある。ケニアでは日本企業の信頼は中国企業を上回る。
日本在住のジャーナリスト徐静波がケニアを取材して驚いたのは、ケニアの街が日本車に占められていたこと。その多くがトヨタの中古車だった。ケニア政府が、中古車の輸入関税を引き下げたため、最も安い車は2000米㌦以下。月収200米ドルの市民にとって手が出せる金額である。
日本車は耐用年数が長いほか、日本企業のケニアに対する社会貢献も挙げる必要がある。トヨタ通商は、ナイロビに技術訓練学校を開設したほか、貧しい農村での学校支援、病院への寄付を通じケニアに良いイメージを与えている。
中国車の可能性について三井物産の駐ケニア代表は、アフリカが発展すれば、最初は中古車を買った家庭も次は必ず新車を買おうとする。中国車の品質も上がり、性能価格とも日本車にとっては脅威と語った。こうした環境は中日両国の良性競争に有利で、サービス向上やアフリカ全体の経営水準を向上させる、と同代表は語っている。
速さの中国、質の日本
ケニアのインフラ建設プロジェクトでは日中企業が支援に当たるが、双方の企業文化が異なるため、建設方法も違う。2008年には中国の3企業がナイロビと北部工業都市を結ぶ50キロの高速道路建設を請け負った。高速道は片道4車線の計8車線。東アフリカでは最も長い高速道路で、地下道や歩道橋建設も含まれていたが、これを4年で完成させた。あまりにも早い竣工に、中国メディアは「中国の奇跡」と呼んだ。
同時期に日本政府は、2・5億円を出資してナイロビ市中心部に道路建設を支援した。興味深いのは、日本は当初の4車線の計画を2車線に変更したこと。徐によれば、日本側が現地で調査した結果、ナイロビ市民はジョギングが好きなことが分かり、2車線分を歩道およびジョギング専用レーンにした。さらに両脇には水道まで作ったため、結局竣工まで6年かかってしまった。
中国企業は工期の速さを重視し、日本企業はプロジェクトの品質とサービスを重んじる。
(了)
初出:「21世紀中国総研」より著者の許可を得て転載http://www.21ccs.jp/index.html
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔study994:181018〕
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