ビンラディン殺害はテロ問題の解決になったか
- 2011年 5月 4日
- 交流の広場
- 三上 治
アメリカ政府はパキスタンにおいてビンラディン殺害に成功したと報じている。この報道を聞いて反射的に思い浮かんだのは「だったらテロ問題は解決するのか?」という疑念だった。テロ問題は解決することもなくアフガニスタンでの戦争が終わることもない、と思う。ビンラディンを対アメリカ聖戦の殉教者にしてアメリカ兵などの万骨をイラクやアフガニスタンの大地にさらしただけではないのか。9月11日事件を「新たな戦争」として認識し、アフガニスタンやイラクに戦争を仕掛けたことが間違いであった。僕は当初からこれを主張してきたが現在もまたその見解を変える必要を感じてはいない。アメリカのブッシュ大統領は「イラクや中近東の自由《解放》」を掲げてイラクに侵攻したが、今、中近東で自由《解放》を実現しようとしているのは民衆の運動でありアメリカの行為は何の関係もない。そこにこそ歴史の流れを見るべきだ。
アメリカは莫大な兵士とカネをつぎ込んでこの地で何をやりたかったのか。アメリカ的正義の実現(?)力の誇示(?)世界の護衛官の役割(?)石油への支配力の確保(?)戦争そのもの(?)など様々の考えが提起され流布された。どれも一端の真理を含んでいるようには思えたが、全体として考えると首を傾げたくなるものばかりだった。決局のところこの戦争の理由は突き詰めれば曖昧なところに行きついた。逆説的に言えばこの曖昧さこそが戦争の持続の根拠になってきた。それは反対も困難ということであり、それ故に人々は戦争から遠ざかり無関心になった。僕らはアメリカの大リーグの野球ほどにもアフガニスタンでの戦争に興味を持てなくなってきたのだ。「テロを戦争で撲滅する」というのが曖昧さの根本をなすが、誰もこれを明瞭にしえないまま時を経てきたのではないか。
日本の小泉首相はブッシュ大統領の戦争に賛成し、自衛隊の海外派兵までやった。だが、イラクへの陸上自衛隊派遣、インド洋への海上自衛隊の派遣をやりながらその検証一つしてはいない。民主党はかつて自衛艦のインド洋派遣は憲法違反であるとしその撤退を実現した。しかし、日米同盟の強調に変節(?)してからはこの種の言及は影をひそめた。日本の政党はアメリカの「反テロ戦争」にどのように同調しそれに関わったか、あるいはそこから撤去したかを検証すべきだ。ビンラディンの殺害が伝えられる今こそ、9月11日以降の日本の軍事外交路線を包括的に検討すべきだ。それだけが明日につながることである。
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