はじめてのオランダとハンブルグへの旅は始まった(8)マウリッツハイス王立美術館へ
- 2019年 8月 14日
- カルチャー
- 内野光子
ビネンホフに接する池に沿う中世の建物は超高層ビルを背負っていた。美術館は意外にこじんまりした外観だった。受付には、日本の若い女性もいらして、にこやかに迎えてくださった。
レンブラントの「自画像」(1669)とフェルメールの「真珠の耳飾りの少女」(1665)に出迎えられて。
アムステルダム―デン・ハーグ乗車券と美術館チケットとフロアガイド。
ヨハン・マウリッツ(1604~1679)像。大航海時代、オランダは、ブラジルを制し、マウリッツは 総督として1644年まで務めたのち、デンハーグのこの地の邸宅に住む。砂糖貿易で大儲けをして建てたとして「砂糖の館」と中傷もされたらしい。邸宅は、オランダ王室に買い取られ、ウィレム五世が築いた絵画のコレクションは、オランダ政府に寄贈された。その後もナポレオン時代のフランスに渡ったりして受難は続いたらしい。それにしても、見聞きしてきた名画が多く、ここでも時間が足りないほどだった。
ルーベンスの「ローソクを持った少年と老婆」に思わず立ち止まった。
上はフェルメールの「デルフトの眺望」(1660~61)、下がロイスダールの「ハーレムの風景」(1670 ~75)。今回デルフトは訪ねることはできなかったが、ハーレムは翌日訪ねることにしていた。どちらも雲の描写がすばらしい。フェルメールの絵の前で、夫に写真を撮ってもらおうとうろうろしていると、地元の?年配の男性から一緒にとってあげるよと言われて収まった。旅行中二人の写真というのは貴重なのだけれど、後で見ると、ともにお疲れ?の様子だった。
美術館から、歴史博物館を望む。この博物館にもモンドリアンの絵などもあるはずだったが、時間の関係で素通りになってしまった。
館内のカフェで、私はクリームパスタ、夫はコロッケのランチとなった。
アドリアン・コールテの「苺のある静物」(1705)がクリアファイルになっていた。コールテの桃の絵にも惹かれるものがあった。
初出:「内野光子のブログ」2019.8.12より許可を得て転載
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〔culture0844:190814〕
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