鴻毛より軽い、天皇の責任感の希薄さ。田島道治「拝謁記」に見る天皇の「肉声」
- 2019年 8月 21日
- 評論・紹介・意見
- 天皇制澤藤統一郎
「朕は汝ら軍人の大元帥なるぞ」「上官の命令を承ること、実は直ちに朕が命令を承ることと心得よ」「義は山嶽より重く死は鴻毛より軽しと心得よ」。これが、「朕」が兵士に下した軍人勅諭の一節である。230万人もの「兵」が、この勅諭にしたがって、鴻毛より軽い死を余儀なくされた。
一方、上から目線で勅諭をたれた「朕」の責任はどうだったか。古来戦のあとには、敗軍の将は死をもって敗戦の罪を贖った。兵を語らず、言い訳をすることなく。敗戦時自決した軍人は少なくない。そんな政治家もあった。自決は忌むべき野蛮な風習だが、自己を一貫するための痛ましい選択であったことは、理解し得ないではない。それほどにも、自らの責任の重さを感じていたということなのだ。最高責任者である「朕」の場合はどうだったのか。ヒトラー・ムッソリーニと並び称されたヒロヒト本人に、いったいどれだけの責任の自覚があったか。
「朕」は、230万の英霊だけにではなく、「朕」のために犠牲になった民間人80万人に対しても、アジア太平洋戦争で皇軍によって殺戮された2000万人の人の死にも責任を取らねばならない。その責任の重さ心苦しさには計り知れないものがあるに違いない。そう考えるのが常識というもの。いや、下々の浅知恵というもの。
初代宮内庁長官田島道治の「拝謁記」公開が話題となっている。昭和天皇(裕仁)の「生の声」が甦ったとされる。NHKは、番組のサブタイトルに「語れなかった戦争の悔恨」とつけた。さぞかしの、慚愧・苦悩・悔恨の「肉声」かと思いきや、何のことはない。責任転嫁・見苦しい弁明をしようとして、許可されなかったというだけのこと。
彼がいう「反省」とは、「軍も政府も国民もすべて下剋上とか軍部の専横を見逃すとか皆反省すればわるい事がある」などいう程度のもの。「国民皆に反省すべき悪い点があった」とは、「私だけじゃない」という開き直りの弁明。これを毎日社説は「天皇から国民や他国への謝罪というより、日本人全体が軍の独走を止められなかったことを皆で「反省」しようという趣旨のように読める。」という。そのとおりだ。
それだけではない。「朕」は、再軍備と憲法改正の必要性にまで、言及していたのだ。およそ新憲法の精神を理解せず、君主意識をもったまま。主権が国民に移行した意味すら、分かってはいなかったのだ。
「英霊」諸氏よ。武器も食糧もなく戦場をさまよって餓死した英霊の諸氏よ。特攻という名の自殺を強いられた英霊の諸氏よ。あなた方に死を命じた人は、このような、この程度の人物なのだ。
とりわけこう言っていることが驚きではないか。
「責任を色々とりやうがあるが地位を去るといふ責任のとり方は私の場合むしろ好む生活のみがやれるといふ事で安易である」
これは、サンフランシスコ平和条約の調印が翌月に迫った1951年8月のこと。「退位したら、『私の場合むしろ好む生活のみがやれる』『むしろ楽』」と考えていたのだ。これが、多くの人を死に追いやった人の発言だろうか。こんな人物のために多くの人が殺し合い、尊い命を失った。
この「朕」の信じがたいほどの無責任ぶりをいかがお考えだろうか。都合の悪いことは国民に知らせず、ベールに包まれた一握りの権力者による忖度の政治。権力や権威に対する批判の言論が封じられた政治の行き着く先が、このような無責任の横行なのだ。実体のないものを有り難がったり、畏れいったりすることをやめよう。昔のこととして看過せず、今の教訓として、よく噛みしめようではないか。
(2019年8月20日)
初出:「澤藤統一郎の憲法日記」2019.8.20より許可を得て転載
http://article9.jp/wordpress/?p=13231
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〔opinion8922:190821〕
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