「〈近代の超克〉新論」に期待する
- 2019年 9月 23日
- 評論・紹介・意見
- 「〈近代の超克〉論」川端秀夫
1
現代史研究会によって「廣松渉没後25年」の企画が立てられ、小林敏明氏が『〈近代の超克〉新論』というテーマで講演をされる。しかも『六四30周年シンポジウム/六四・天安門事件を考える』の一大イベントを企画され成功を収めたばかりの石井知章氏が司会をされると聞いて、大きな期待を持たざるをえません。
というのも、廣松渉著『〈近代の超克〉論 ―昭和思想史への一視角』(朝日出版社・1980年)はその発刊以来長きに渡って私の愛読書のひとつでした。学生時代橋川文三に学んだ私は、同人誌等に書き溜めた文章を編んで、ブログに『来たるべきアジア主義』という作品を公開しています。橋川文三の仕事というのは、竹内好の「近代の超克」と「日本のアジア主義」という二つの論文に深く規定され、その問題意識を引き継ぐ形で展開されたものです。竹内好・橋川文三の思想史的な問題圏域の中に、廣松渉の『〈近代の超克〉論』はどのような形で重なるのか。重ならない部分があるとすれば、それはどこなのか。このような問題意識でもって廣松渉の『〈近代の超克〉論』という書は、私の中でずっと大きな存在感を占めてきたのです。だからこそ今回の「〈近代の超克〉新論」というイベントに私としては大きな期待を寄せているのです。
私が2014年の5月1日より『来たるべきアジア主義』という著作をWEBで公開したそもそもの動機は、福沢諭吉の「脱亜論」に対する全面的な反論をいまこそ行わなければ、今後の日本は危うい。安倍某のような歴史認識が乏しい人にこの日本をまかせてはおけないという強い危機感があったからです。
福沢の「脱亜論」といっても、橋川文三に学んだ我々には基本常識に属する事柄ですけれども、その名のみ有名でもほとんど知られていなかった。竹内好が記念碑的な労作「日本のアジア主義」(旧題「アジア主義の展望」筑摩書房刊『アジア主義』所収)に全文引用してから、その内容が初めて知識人やジャーナリズムの世界でも知られるようになったといういう経緯があります。福沢諭吉の「脱亜論」は明治18年3月16日、時事新報に掲載された論説であり、その根幹をなす主張はかくの如きものでありました。
「今日の謀を為すに、我国は隣国の開明を待て共に亜細亜を興すの猶予あるべからず、寧ろ、其伍を脱して西洋の文明国と進退を共にし、其支那、朝鮮に接するの法も隣国なるが故にとて特別の会釈に及ばず、正に西洋人が之に接するの風に従て処分すべきのみ」(福沢諭吉「脱亜論」)
近代国家としての日本は隣邦中国・朝鮮に対して福沢が主張した通りのことを実行した。すなわち爾後の大日本帝国は、欧米の帝国主義政策に倣って中国を侵略し、欧米の植民地政策を見習って朝鮮を併合したのである。そして現下の日本が清算を求められているのは、この福沢諭吉の抱いた「脱亜論」の主張の完全な清算であり、「脱亜論」の言説に内在する野蛮性・非文明性からの完全な脱却である。
繰り返しになりますが、安倍某のような歴史認識が乏しい人にこの日本をまかせてはおけないという根本認識から、私は『来たるべきアジア主義』を書きました。
2
橋川文三についてあまり良くご存知ない方のために、私の友人北林あずみさんがWEBで橋川文三を印象深く綴った文章を公開なさっているので、ご紹介致します。
「橋川文三には、印象的であり奇妙でもある独特な仕草と口癖がある。首を少し傾げ、人差し指だけを立てた右手は緩く握られている。その人差し指を額の辺りにさまよわせて、橋川文三は独り言のようにしてつぶやくのだ。「どうもおかしい」と。(略)
この口癖が橋川文三の学問の方法論だと気づいたのは、わたしが小説を書くようになってからだ。四十五を過ぎていた。
橋川文三が文学的なのは、先ずは類い希な文学的嗅覚にある。「どうもおかしい」とは何かに反応した嗅覚が発した言葉なのだ。が、この嗅覚は匂いの在処をそれとなく暗示するだけに過ぎない。匂いは何処からやってきて、匂いの本質は何か教えてはくれない。橋川文三は、「どうもおかしい」とつぶやきながら、直観が舞い降りてくるのを待っているのだ。舞い降りてきた直観こそが、匂いの本質であると知っているからだ。
だから橋川文三の学問としての方法論は、「どうもおかしい」という文学的嗅覚が先ずあって、その嗅覚に呼応するかのようにやってくる直観がすべてと言っていいだろう。
この直観は優れて文学的だと、わたしは思っている。
橋川文三の方法論は自分の中に降りてきた直観から出発するのである。どうしてこの直観が舞い降りてきたのか、その謎解きが橋川文三にとっての日本政治思想史という学問へのアプローチになるのだろう。(略)
この際だから付け加えておくと、橋川文三の著作が今なお色褪せないのは、類い希な文学的直観が核にあるから、その文学的直観は時間の経過によっても色褪せてしまうことがないからだ。橋川文三の文学的直観には可能性が詰まっている。その直観は、橋川文三が導いていった謎解きとは別の方向へと歩いていく道を閉ざしてはいない。
直観は誰にでも舞い降りてくるものではない。弟子だからいうのではないが、橋川文三の直観はそれほどの価値があるものであり、今においても色褪せることはなく、むしろ今だからこそ珠玉となって光輝いているのだ」。
(北林あずみブログ、安曇野賛歌『風よ、安曇野に吹け』より引用)
いかがでしょう? 橋川文三という人物のシルエットが鮮やかに浮かぶ文章ではないでしょうか。竹内好の提起した<近代の超克>というテーマは、この橋川文三によって、<アジア主義>という問題と同様に深く掘り下げられたのでした。
3
日本の左翼は概して無能です。リベラルは更なりで、それは誰でも分かっていることです。いまさら改めて指摘するほどのことでもない。モンダイはこの左翼からリベラルに至るまでの日本の知識人の無能の由って来たる原因はどこにあるのかということでしょう。そのことを考えるに傑出したマルクス主義者廣松渉の『〈近代の超克〉論』は好個の素材です。さて、ところで、橋川文三の『日本浪曼派批判序説』(1960年・未来社刊)は、竹内好の次のような問題提起を受けて書かれたものでした。
「マルクス主義者を含めての近代主義者たちは、血ぬられた民族主義をよけて通った。自分を被害者と規定し、ナショナリズムのウルトラ化を自己の責任外の出来事とした。「日本ロマン派」を黙殺することが正しいとされた。しかし、「日本ロマン派」を倒したものは、かれらではなくて外の力なのである。外の力によって倒されたものを、自分が倒したように、自分の力を過信したことはなかっただろうか。それによって、悪夢は忘れられたかもしれないが、血は洗い清められなかったのではないか。戦後にあらわれた文学評論の類が、少数の例外を除いて、ほとんどすべて 「日本ロマン派」を不問に付しているさまは、ことに多少でも「日本ロマン派」 に関係のあった人までがアリバイ提出にいそがしいさまは、ちょっと奇妙である。すでに 「日本ロマン派」は滅んでしまったから、いまさら問題とするに当らないと考えているのだろうか。いや、不問に付しているのではない、大いに攻撃している、という反対論が、ことに左翼派から出ると思うが、かれらの攻撃というのは、まともな対決ではない。相手の発生根拠に立ち入って、内在批評を試みたものではない。それのみが敵を倒す唯一の方法である対決をよけた攻撃なのだ。極端にいえば、ザマ見やがれの調子である。これでは相手を否定することはできない。」(竹内好「近代主義と民族の問題」岩波書店『文学』1951年9月初出)
橋川文三の『日本浪曼派批判序説』は、竹内がいうところの「相手の発生根拠に立ち入って、内在批評を試みたもの」です。だからこそ橋川文三の最高傑作(丸山眞男評)と謳われるゆえんですが、いまここで論じたいのは橋川文三のことではない。そうではなくて、「マルクス主義者を含めての近代主義者」たち、とりわけ戦後日本の代表的なマルクス主義者であり優れた哲学者でもあった廣松渉が日本浪曼派をどう扱ったかを認識しておかねばなりません。幸いにして廣松渉には『〈近代の超克〉論』があります。 廣松が日本思想史を扱った唯一の書ともいうべきこの書において往時の近代の超克派は廣松によってどのように評価ないしは批判されているか。
これは単に廣松渉個人の問題であるにとどまらず、思想史のモンダイとしても、それ以上に日本人の歴史認識の問題それ自体としても見逃してはならない重要な課題のように思われます。今回のちきゅう座/現代史研究会主催の『〈近代の超克〉新論』のイベントに大いに期待するゆえんです。
第313回 現代史研究会(「廣松渉没後25年」記念研究会)
日時:10月5日(土)午後1:00~5:00
場所:明治大学・駿河台校舎・研究棟第9会議室(2階)
テーマ:「〈近代の超克〉新論」
講師:小林敏明(ライプチッヒ大学名誉教授)
司会:石井知章(明治大学教授)
参考文献:廣松渉著『〈近代の超克〉論』(講談社学術文庫)
小林敏明著『廣松渉-近代の超克』(講談社学術文庫)
参加費(通信代など):500円
主催:現代史研究会/共催:『情況出版』090-1771-4601(中澤)
現代史研顧問:石井知章、岩田昌征、内田弘、生方卓、岡本磐男、田中正司、西川伸一、(廣松渉、栗木安信、岩田弘、塩川喜信)
*研究会終了後に、懇親会を予定しています(3000円程度?)
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
〔opinion9016:190923〕
「ちきゅう座」に掲載された記事を転載される場合は、「ちきゅう座」からの転載であること、および著者名を必ず明記して下さい。