崩壊する大学入試改革 - 記述問題をめぐって -
- 2019年 12月 2日
- 評論・紹介・意見
- 大学入試小川 洋
現・高校2年生が受験する予定のセンター試験に代わる大学入学共通テスト(以下、共通テスト)が、収拾のつかない事態になっている。今回の「改革」の最大の柱は、民間英語検定の利用と記述式問題の国語と数学への導入の二つだった。英語検定は11月1日に導入の見送りが発表された。全国の相当数の高校生がすでに受検予約金(3000円)の支払いを済ませ、1日は各高校が生徒の受検登録の申請を入試センターへ発送する当日、という混乱ぶりだ。
記述問題では、すでに数学での導入が見送られる方向になっている。昨年行われた試行調査(プレテスト)では、一部の問題の正答率がわずか3.4%だった結果を受けてのものである。ほとんどの受験生が答えられない問題では、試験自体が無意味になる。中教審会長として今回の改革をリードしてきた安西祐一郎氏(元慶応大学塾長)は、この報道を受けて、「出題に対応できていない高校以下の教育が悪い」と、八つ当たり気味の反応をしたという。
さらに国語でも雲行きが怪しくなっている。文科省自身が国公立大学に対し、国語の記述問題の成績を二段階選抜(二次試験への足切り)に利用しないよう要請することを検討しているという。国語の記述問題は、80~120字で解答する問題と、より少ない字数で解答する2問が予定されている。採点は5段階の総合評価であるが、試行調査の分析結果から、評価の信頼性を十分に担保できないことが明らかになったからである。どれほど慎重に実施しても、採点担当者によって評価が異なることが避けられないことを、文科省が認めたのである。そのようなテストで、各大学の個別試験に進めるか否かが左右されては、入試の大前提である公正さが保証できない。今後、私大も含めて、記述問題部分の得点を選抜に使わない大学が続くことが予想される。もともと建付けの悪かった改革の看板は、今や釘一本でかろうじて留まっている状態である。
今回の改革案を検討する一連の会議のなかで学習評価法の専門家などから技術的な問題点などを指摘されても、安西氏は、「技術問題はいずれ解決できるはずだ」と、自説を貫いたという。しかし例えば、複数の民間英語検定を比較する一覧表は、最後まで疑問が投げかけられ続けた。例えば、英語圏の大学で学ぶための能力検定とビジネス現場での英語能力を問う検定を同列に扱えるはずがないことは、まともな研究者には初めから分かっていたことだ。一事が万事で、今回の改革は基本的な問題を無視して突き進んできたというしかない。
記述式問題についても同様だ。そもそも中教審答申などを読んでも導入する必要性や理由について、まともに説明されていない。多肢選択式問題では記憶力しか測れず、「これからの社会で求められる」とする「思考力、判断力、表現力」を測れない、という程度の漠然とした問題意識しか読み取れないのだ。改革案の具体化を検討する作業部会を経て出されたのは、最大で百数十字の文章作成という結論だった。本場フランスのバカロレアでは、必須科目の哲学で4時間に及ぶ論述が求められることはよく知られている。さすがにそこまで踏み切れるとは、筆者も考えていなかったが、字数を聞いて桁を間違えているのではないかと一瞬耳を疑ったほどだ。
散文での表現は基本的に、問題設定、展開、結論の最低でも三段階で構成される。地方公務員試験や教員採用試験の論述試験は、600~1200字程度とされる。120字の文章で、どのような学力を確かめようとしているのか、まともな説明はなされていない。さらに、第一回の試行調査では正解率が極端に低く、二回目のプレテストにおいて、本文中から適切な語を探させるなど、解答への誘導をするように問題を修正したという。ならば、多肢選択式で十分ではないか、と突っ込みを入れたくなるような有様なのである。
今回の入試改革の発端は、民主党政権末期の12年11月に出された自民党内の教育再生実行本部の中間報告にまで遡る。そのなかで、大学入試については、「日本版バカロレアの創設」と「英語テストへのTOEFL等の導入」の二つが掲げられていた。しかし、日本版バカロレアを「高校在学中も何度も挑戦できる達成度テスト」とした点で、すでに提案は破綻していた。フランスのバカロレアは年一回行われる論述式テストであり、10万人の採点者が動員される大事業である。複数回受験可能なのは、アメリカの大学進学適性テストのSAT (Scholastic Assessment Test)であるが、基本的にマークシート方式で、コンピュータによって統計的に処理される。両立するはずもない入試制度である。教育学の専門家に意見を求める謙虚ささえあれば、犯しえない誤りである。
「論述式(バカロレア)」と「英語の民間検定試験」の二つの「改革」の源流は、ここにまで遡れるが、このような居酒屋談義に類する議論から実際の政策が進められる傾向は、この直後に成立した第二次安倍政権の体質のように思われる。無内容な「改革」に振り回されている教育現場と生徒たちにとっては、とんでもない災難である。抗議活動が広がって政権が倒れてもおかしくない事態である。
仮にこのまま記述式問題の導入に突き進むとして、その採点がなぜベネッセなのか。記述問題部分の採点は、ベネッセが4年間60億円あまりで引き受けることになっている。現在、小6と中3の生徒に学力調査が悉皆調査で行われ、その採点業務を、毎年のようにベネッセが落札し、その実績があるということなのだろうが、短期アルバイトを動員して採点業務を遂行してきた経験があるということでしかない。
より確実で信頼性の高く安く済む方法を提案したい。筆者が専門とするカナダでも、ほとんどの州で学力調査が実施されている。公用語である英語とフランス語のテストでは、示された文章の要約を書かせる、与えられたテーマでエッセーを書くなど、基本的に記述式である。採点に当たるのは、おもに退職教員や現職教員である。6月に実施された調査の解答は州都などに運ばれ、夏休み中に採点される。日本でも教員を動員することは可能なはずだ。
新しい共通テストも、従来のセンター試験と同時期の1月第3週の週末に行われる。多くの高校では1月半ばに「家庭研修」という名目で3年生の授業は無くなっているから、現職教員も相当数動員できる。これに加えて退職5年以内程度の元教員を動員すれば人数は十分に揃う。2000人ほどを集め、研究者などが統括すればよい。各県の青少年会館のような宿泊施設で1週間ほど缶詰になってもらう。原稿用紙半分にも満たない分量である。3人一組で約750枚を評価するのには5日間ほどあれば十分だろう。日当、交通費、宿泊施設および食費を含めて一人15万円として、3億円で済む。会場費などを加えても5億円もあれば十分だ。ベネッセへの委託費の半額以下である。それとも、今回の改革は「ベネッセのための改革」なのだろうか。
なお、今回の大学入試改革の経緯については、筆者の『地方大学再生』(朝日新聞出版、2019年)の第七章「迷走する大学入試改革」で詳しく述べているので、参照していただきたい。
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