革たな年となるか
- 2020年 1月 3日
- 評論・紹介・意見
- 内野光子
今日もお訪ねくださり、ありがとうございます。
ことしもどうぞよろしくお願いいたします。
中ぐらいところか、まったくめでたくもないないお正月なのだが、”おめでたい”人の顔はいくらでも浮かぶ。国民の幸せと世界の平和を願うというひと、新聞の元旦号や雑誌の新年号に作品やエッセイを寄せるひと・・・。もっとも、新天皇夫妻は、昨年は行事で忙しく、短歌の準備が整わなかったそうだ。これからもお忙しいようなので、天皇が五首、皇后が三首などという悪しき慣例だった元旦の短歌公表は、これを機に辞めたらとも思う。また、退いたはずの平成の天皇夫妻が、明日の一般参賀には臨むという。なんか約束とは違うのではないかしらと。
大みそかのゴーン逃走劇には、いささか驚いた。メンツの立たない日本の司法ながら、安倍政権の窮余の策の謀略説が流れるほど政治は地に落ちた年の始まりである。
近くのスーパーが4日まで休みということもあって、生協で、少し買いだめをした。恒例の形ばかりのお節料理を食し、近くの、普段は無人のお社で、ご近所の臨時の神主さんのお祓いを受けた。ひたすら体調維持を願うばかりで、革める気力が欲しいところだが、若い人に、委ねるしかないのだろう。とは言いつつ、相変わらず「注文の多いブログ」になるかもしれない。
2019年6月、アムステルダム、シンゲルの花市場にて。ここで求めたチューリップの球根を埋めてみたが、花開いてくれるだろうか。
初出:「内野光子のブログ」2020.1.1より許可を得て転載
http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2020/01/post-459f75.html
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
〔opinion9320:200102〕
「ちきゅう座」に掲載された記事を転載される場合は、「ちきゅう座」からの転載であること、および著者名を必ず明記して下さい。