ゾルゲ事件研究に関する質疑
- 2011年 6月 1日
- 交流の広場
*渡部富哉氏の‹10.04.15›楊国光著『ゾルゲ上海ニ潜入ス』に異議あり─ゾルゲ事件研究のさらなる前進のために─その7.
http://chikyuza.net/modules/news2/article.php?storyid=296
に対しての質問が寄せられました。渡部氏ご自身からの回答とともに掲載させていただきます。(ちきゅう座編集部)
丁 偉 さんからのお問い合わせ:
ホームページを拝見致しました。大変勉強になっております。以下の内容について、異議があります。
「「汪敬遠、李得森(注、徳生)、陳一峰の3人は後に上海に移され、次いで汪政権の南京・老虎橋中央監獄に収容された。抗日戦末期、3人は新4軍(長江中下流で活躍した中共の軍隊)によって救出された。」
この内容について、「日本憲兵外史」の中には違う内容を記載しています。
中国の本も、「日本憲兵外史」と近い内容を記載していました。
渡部富哉氏の回答
本日、李徳生の南京監獄に収容されたことについて質問を受けましたが、質問の趣旨は汪敬遠、李得森、陳一峰の3人が新4軍によって解放されたのだ。渡部の記述は間違っている。というものと思われます。質問者にお尋ねしますが、この3人が釈放された年月日が分かりますか、質問者は「太平洋戦争の警号」の記述が正しいと主張しているようですが、なにかほかに根拠がありますか。さらに貴方の意見ではこの3人はいつ解放されたのでしょうか。新4軍によって解放されたとするなら1945年の日本敗戦後のはずです。その情報をおもちでしたらお聞かせください。併せてこの3人のその後の粛清の事実について御存知でしたら教示ください。私の記憶では中国側の中共諜報団事件関係者はほぼ全員が日本側のスパイの汚名を着せられて粛清されたと思われます。景若南の裁判記録があるでしょうか。汪敬遠は汪錦元(日本名大橋)のことと思いますが、彼も1955年に逮捕され、10年間も監獄生活をおくり、その後15年間は労働改造という目に会いました。80年になってやっと疑いが晴れて釈放になりました。その他の人たちのその後(戦後)を調べて教示願えれば今その続編を書いており、「それぞれの戦後」として彼らの汚名を晴らしたいとおもっているところです。ご協力いただければ幸甚に存じます。また李得森、陳一峰の供述調書がありますが、これをご覧になりましたでしょうか。ご意見をお待ちしています。
*なお、渡部氏から次の追加コメントがありましたので掲載します。
私は指摘された「日本憲兵外史」の存在は知っていましたが、読んでおりません。私の根拠は石堂清倫さんの手紙です。石堂清倫さんは戦後、満州から帰国の途中大連で李徳生に会って経緯を聞いています。彼から中西功の伝言を頼まれた経緯を私に手紙で知らせてきました。その中に中共諜報団事件の中国側の被告たちが釈放された経緯を書いてきました。「日本憲兵外史」をお持ちの方が居ましたら、その箇所だけでもメールか、コピーを戴ければ感謝します。
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