無知の犯罪/福島の教訓
- 2011年 6月 1日
- 時代をみる
- 近 藤 邦 明
このところ、あるネット上の社会問題について意見交換を目的とするサイトの運営について、知人と意見交換をしていました。話題の中心は福島第一原発事故以降の日本のエネルギー政策についてです。問題のサイトは、おそらく世間的には格調高い良識的(進歩的?)なものだと評価されていると思われます。確かに私も多くの内容には傾聴すべきところがあると思います。
このサイトでは福島第一原発事故以降、日本は脱原発を目指すべきだという、これまた良識的な意見が主流になっています。ここまでは私も異論のないところです。ただ頂けないのが、脱原発と同時に自然エネルギー発電の導入を促進しようという主張が台頭してきていることです。
福島第一原発事故を通して、私たちは非常に高価な授業料を払い続けなければならなくなりました。ここで学習したことを繰り返すことがないようにすることがこの授業料を無駄にしない唯一の道です。
では何を学んだのか?色々な内容があります。
第一に、原子力発電所は事故を起こすものだということです。これは実は自然科学的には当たり前の事実でしたが、国・電力会社・マスコミによって作り上げられた『原子力安全神話』に多くの国民が騙されてしまったために、その危険性を訴え続ける人々は異端として無視されてきました。しかし、今回の事故は事実 によって原子力安全神話は誤りであることを示しました。
第二に、統計的な予測には必ず例外が存在することを示したことです。これもまた、自然科学的にはわかりきったことなのですが、多くの人々は『統計的に確率の低い事象=起こり得ない事象』という誤った思い込みを持っていました。私は土木屋ですから、このHPでは何度も言ってきたことで すが、統計的、あるいは平均的な予測を上回る自然現象はいつ起こっても不思議ではないので、統計的な予測による防災計画(例えば地震予知による防災計画な ど)を過信してはならないこと、あらゆる可能性を考えればリスクを分散しておくことが最善の策だと再三述べてきたとおりです。
しかし、最も大きな教訓は、政府や権力や学者は平気で国民を騙すということです。原子力安全神話然り、地震予知然り、放射線量然り、内部被曝問題然り、・・・・。
ある意味で、今回の福島第一原発事故という半ば人災の責任の半分は国・電力会社・マスコミにありますが、残りの半分はこれを許してきた能天気な国民大衆の責任であり、共同正犯だと考えます。将来世代から見れば、われわれの世代全体が原子力を利用し、その結果として莫大な放射性廃棄物という負の遺産を残したのであって、権力者であろうが一般大衆であろうが区別は無いのです。日本に生きているわれわれ世代は全て共犯者なのです。
話を元に戻します。問題のサイトでポスト原子力発電として自然エネルギー発電の導入を促進しようという『進歩的知識人』の愚かな主張が主流になりつつあります。曰く『温暖化を防ぐために原子力以外のCO2を排出しない発電方式の導入が必要』だそうです。また、今の社会は過度に工業化されているので、社会全体の見直しが必要などとも言っているようです。
少なくともこうした主張をする限りは、自然エネルギー発電の導入によって明らかにCO2排出量が削減できることを科学・技術的に実証できていることが大前提であり、彼ら自身がこれを理解して納得しておくことが必要です。しかし、彼らの主張は『~によると』自然エネルギー発電はCO2を減らせるらしいという噂をつまみ食いして構成された砂上の楼閣なのです。曰く『今はまだ高価なことが問題だが、技術革新で何とかなるであろう云々!!』。これは正に原子力発 電の見切り発車と同じではないですか?
原子力発電において国・専門家が原子力は安全であり、CO2を出さないクリーンな発電 方式ですとして国民を騙してきた原子力安全神話と同じ構造を持っているのです。『私は知らなかった』ではすまない問題です。またしてもこの国の『進歩的知識人』達は原子力発電所事故という人災を起こしたのと同じ過ちを犯して自然エネルギー発電の安易な導入で大衆を扇動しようとしているのです。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
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