新型コロナウィルス感染症蔓延対策覚え書き
- 2020年 4月 13日
- 評論・紹介・意見
- 澤藤統一郎
新型コロナウイルス感染の拡大の報が重苦しい。その対策についての行政の説明に隔靴掻痒の感あるうちに、患者数と死者数の増加が伝えられて無力感が募る。
しかし、誰にも明らかな、幾つかの喫緊の課題が浮かび上がってきている。必要なことに声を上げなければならない。多くは、医療行政と財政に関わるもので、内閣の責任が大きい。非体系的だが、課題を備忘録的にまとめておきたい。
第1 医療を崩壊させるな
1 この事態、すべての国民にとって何よりも医療が頼りである。検査・診断・隔離・治療・救命に万全を期していただきたい。伝えられる医療従事者の献身に心からの敬意を表するが、その医療現場から脆弱な医療の実態と危機的状況について切迫した声が上げられている。中には、既に医療崩壊が始まっているという深刻な現場の声もある。
医療行政は現場の声に耳を傾けその実態を的確に把握し、現場の医療と医療従事者を支援しなければならない。絶対に医療現場を感染の場としてはならない。
2 全医療従事者の感染の有無を検査せよ
PCR検査対象を拡充することが必要である。問題は優先順位である。まずは、医療従事者を検査対象とせよ。再び、医師や看護師が感染源となってはならない。コロナ感染疑いの患者に接する頻度の高い医療従事者から、順次全員の検査を行い、必要に応じて医師らの判断で繰り返さなければならない。
3 医療従事者を感染から守れ。
医療従事者が自らへの感染を心配することなく患者に対応できるよう、必要な感染防護の態勢を整備せよ。これは、医療行政の喫緊の課題である。医療用マスク、防護服、減圧室等の物的整備が必要であり、そのための経済支援を惜しんではならない。
第2 検査態勢を充実せよ
1 クラスターを見つけて感染経路を追跡調査するという感染拡大防止戦略が崩壊して、感染源の不明の患者が増加している以上、PCR検査対象を拡大せざるを得ない。あるいは抗体の有無を確認する血清検査を拡大充実しなければならない。そのための、人的物的態勢整備が必要である。
2 現在、PCR検査の能力の活用すらできていない。検査能力を拡大して、医療従事者、老健介護施設職員、保育園職員などから順次検査し、陽性者は業務から除外しなければならない。
3 さらに、発熱・発咳・嘔吐などの症状で感染が疑われる者は、近医の判断で検査を受けることができるよう態勢を整えるべきである。ドイツ並みは無理としても、韓国並みの検査態勢ができないはずはない。
第3 治療薬とワクチンの開発に全力を
1 現在、新型コロナウィルス感染症に有効な治療薬も予防方法もない。感染患者を入院させるのは他への感染を予防するための隔離の意味が大きく、治療は対症療法で救命し、苦痛を緩和することで患者がもつ免疫機能がウィルスを克服するのを待つほかはない。
この感染症克服の最終ゴールはワクチンの開発である。開発されたワクチンが投与可能となるまでに必要な期間として1年説もあるが、2年を覚悟しなければならないようである。それまでに、既存の抗ウィルス薬で有効なものを特定しなければならない。
2 ワクチンと治療薬。その開発を全世界の共通イベントとしなければならない。個別の製薬企業、研究機関、国家の枠を越えて、共同作業として実現してはどうか。
少なくとも、予算措置を惜しむようなことがあってはならない。
第4 休業要請には損失補償の大原則を
1 人と人との接触機会を低減することが感染拡大に有効だとしても、人は生きていくために最低限の経済活動を休止することができない。接触機会低減のための経済活動の自粛要請には、当然に損失補償が伴わなければならない。感染症拡大阻止には接触機会低減が必須であれば、それを可能とするために、ワクチンや特効薬開発までは、あらん限りの財政を注ぎ込むしかない。国民の生命の維持のために、国富を傾ける覚悟が必要ではないか。
2 国富とは、結局のところ国民の財産である。最終的には、大企業や富裕層のもつ財産を国民全体の利益のために活用するという構図を描かなければならない。
第5 もっと情報の公開を。もっと丁寧な説明を。
1 なぜ、医師が必要と判断してもPCR検査が拒否されるのか。永寿総合病院の院内感染はどうして起きたのか、それが慶應病院にどう波及したのか。死亡した国民的コメディアンはどこでどうして感染したのか。なぜ、医療現場に医療用マスクが払底しているのか。人工呼吸器が不足なのか。まことに、情報が不足である。これでは、人は納得して行動できない。
2 そして、ことは予防医学・感染症学に関わる。決して自明の常識的知見だけでの理解が当然とは言い難い。行政が、国民に「行動変容」を求める以上は、もっと真摯にもっと丁寧に、国民に望まれる「行動変容」の根拠を噛み砕いて説明しなければならない。
3 これまで、情報開示と説明責任については、極端に否定的な実績を積み上げてきた安倍内閣である。国民の信頼を勝ち得ることは客観的には絶望的であるかも知れない。しかし、自分の播いた種である。安倍晋三には自分で刈り取って始末を付けるべき責任から逃れる術はない。
第6 今こそ行政に発言しなければならない。
1 「国難」は独裁の温床である。「国難」を口実に権力者はより強力な権限を求め、国民に積極的な服従を求める。しかし、国難を克服することは独裁ではできない。また、弱者を切り捨てての「国難」対処を許してはならない。とりわけ、火事場泥棒のごとくたくらまれる安倍改憲策動を警戒しなければならない。
2 惨事便乗型独裁煽動の言論が横行している。「今はリーダーの決断を批判する時ではない。危機管理の最中における非難や批判は有害無益であり、結果的に自分達の首を絞めるだけである。国民には、リーダーの決断に対し、積極的、自主的に協力するフォロアーシップが求められる。」という類のもの。なんとも権力者に好都合な馬鹿馬鹿しい「論理」。
実は、真反対である。今こそ、積極的に行政にものを言わなければならない。災害回避の国民的力量の源泉は、主体的な意思をもった国民一人ひとりにほかならない。もの言わぬ無批判な衆愚には何の力量もない。また、被支配者がリーダーの決断に唯々諾々と追随していれば、大量の弱者を切り捨てた強者の生き残り策が強行されることになってしまうのだ。
強く行政にものを言おう。提言を続けよう。この災厄を乗り越えて生命と生活を守るために。そして、民主主義を擁護するために。
(2020年4月12日)
初出:「澤藤統一郎の憲法日記」2020.4.12より許可を得て転載
http://article9.jp/wordpress/?p=14667
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
〔opinion9638:200413〕
「ちきゅう座」に掲載された記事を転載される場合は、「ちきゅう座」からの転載であること、および著者名を必ず明記して下さい。