『「関さんの森」の軌跡』(関啓子著)を読みました。自粛の折の「関さんの森」の今
- 2020年 4月 13日
- 評論・紹介・意見
- 内野光子
ホームページ「関さんの森・エコミュージアム」(http://www.seki-mori.com/)によれば、さまざまな行事は中止ながら、散策路は開放されているようだ。この芽吹きと花の季節、すぐにも新緑の季節がやってくるというのに、あの手入れが行き届いた里山の草木はもちろん、鳥や虫、小さな生き物たちはどうしているだろうか。昨年の台風で倒れた木や折れた枝の始末も、ボランテイアの方々が懸命に進めている、という。私も、だいぶ前になるが、二回ほど訪ねている。その頃、転勤前の長女がボランテイアで、休日には、よく通っていたのだった。あの鬱蒼とした森の中には、池もあり、もちろん、曲がり家の関さんの自宅も蔵もある。
ことし一月に、新評論から出版された『「関さんの森」の軌跡―市民が育む里山が地球を救う』の長いサブタイトルにも興味をそそられた。著者は、関家の姉妹の一人の関啓子さんなのである。また、本の帯の「行政指導に<待った>をかけた・・・」というのも気になるところだった。というのも、私たち市民グループや自治会で、隣接の緑地や雑木林の開発をめぐって、開発業者と佐倉市・千葉県と幾多の交渉を重ねた経験があったからである。
目次
はじめに
第1部 里山論
第1章 里山とは何か
第2章 なぜ、里山は壊れるのか―里山の昔と今
第3章 里山の価値―なぜ、里山を護らなくてはならないのか
第2部 里山を育み、護る運動
第4章「関さんの森を育む会」の誕生と活動
第5章「関さんの森エコミュージアム」の誕生
第6章 市民力が自然を護る―環境保護の市民運動と学習
第7章 市民力が自然を救う
第3部 里山保全イノベーション
第8章 コモンズとトラスト
第9章 緑と親しみ、人とつながり、今を楽しむ―市民としての成長
エピローグ
あとがき
そもそも、「関さんの森」とは、千葉県松戸市にある2.1へクタールの里山で、江戸時代に名主を務めていた関家が代々引き継いできた広い屋敷林だが、周辺の開発が進む中、関家当主の武夫さんは、屋敷林の自然を守り続け、「こどもの森」として一部を開放していた。1994年、関武夫さんの死後、残された姉妹は相続税のこともあって、翌年、一部を環境保護団体に寄付、「関さんの森」として、市民に開放され、憩いの場として、子供たちの環境教育の場として活用されている。
本の第1部では、里山の保護の重要性が論じられる。第2部の前半では、1996年に発足した、ボランテイア団体の「関さんの森を育む会」を中心に、屋敷林の維持管理作業をはじめ、ニュースの発行などさまざまな形の広報活動と定例の見学会、学習体験、花まつりなど季節の催しものなど、多彩な活動を多くの写真とともに、かかわった人々の熱意と努力による活動が具体的に語られている。そうした人々への敬意と感謝の気持ちがおのずと伝わってくるのが印象的だった。
また、第2部の第6章では、2008年「関さんの森エコミュージアム」の発足とともに市民による活動が活発になった折、なんと1964年に都市計画決定した都市計画道路3・3・7号線予定地の強制収容手続きが松戸市によって、突如、開始し、屋敷林が分断することになるのであった。松戸市や市議会の強硬姿勢、隣接の区画整理組合と松戸市民たちや研究者たちによる抗議や抵抗の活動が時系列で綴られている。しかし、その攻防が膠着状態になったときに、「景観市民ネット」の助言などもあり、いわゆる「政策提案型」の運動に舵を切るようになる経緯などは、不安と期待がないまぜになって、読者をひきつけるのではないか。
ここでは、利便性を標榜する道路づくりの「公共性」より、以下の指向性を持つもう一つの「公共性」の重要性を強調する。すなわち、自然環境の保護/子供と市民による公共利用の優先/強制収用という手段ではない政策実現過程の民主化/行政主導ではない市民の希望を反映したまちづくり、の観点から、道路計画の線形を変更し、自然破壊の少ない道路建設の代替案を提出、実現への道を歩み始めた過程を明快に論じ、社会学専攻の研究者(一橋大学名誉教授)としての姿勢にも感銘を受けた。2009年には、計画道路は関家の屋敷の外側を迂回することで、関家と松戸市は合意、2012年の開通にこぎつけたのは、「市民力」の成果であったとする。地縁や血縁に拘束されない開かれた集団、共通の目的や関心のもとに生まれた、自発的な「手作りのコミュニティ」重要性をと説く(212頁)
迂完することによって開通した都市計画道路、関家の蔵や門が残された(相続の折、寄付を受けた埼玉生態系保存協会のHPより)
第3部では、より広い視野で、日本内外のナショナル・トラスト運動や日本各地の市民運動が報告される。また、最終章では、都市近郊の里山保全に加えて林業地域での里山再生に触れて、目指すところの、藻谷浩介の「里山資本主義」、広井良典の「定常型社会」の考え方を紹介するが、いま私は、両氏の著作を読んでいないので、ややわかりづらいところがあった。前者は「森や人間関係といったお金で買えない資産に、最新のテクノロジーを加えて活用することでで、マネー―だけが頼りの暮らしよりも、はるかに安心で安全で底堅い未来が出現する」といい、後者は「経済成長ということを絶対的な目標としなくても十分豊かさが実現していく社会」(持続可能な福祉社会)への移行を目指すとするが、行政や開発優先の人々と闘い、市民分断にも直面してきた、関さんの森を守ろうとしたきびしい闘いの現場との乖離が思われたのだが。
なお、2012年5月、見学に訪れた折の、当ブログ記事を、併せてご覧いただければと思います。
・新松戸、「関さんの森」に出かけました(2012年5月8日)
http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2012/05/post-e122.html
「育む会」の会報は、毎年1月に刊行されている。手元にあった36号は、28頁もあり、20年の歩みの年表も付されていた。
2012年5月、見学に訪れた時の、古い写真。右のような古木もあるし、散策路も整備されていた
初出:「内野光子のブログ」2020.4.13より許可を得て転載
http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2020/04/post-4f952d.html
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
〔opinion9639:200413〕
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