コロナ禍超えて「日韓」共生へ交流拡大こそ 知日派の大統領候補誕生に注目
- 2020年 4月 30日
- 評論・紹介・意見
- 小田川 興李洛淵韓国
新型コロナウィルス非常事態のなかで争われた韓国総選挙(15日投開票)は文在寅(ムン・ジェイン)政権の感染拡大防止策が成果を挙げたことから、進歩派の与党「共に民主党」が圧勝した。残り任期2年余の政権は中間評価を得て、今後は韓国新態勢が日韓関係の打開にどう取り組むか、日本側はそれにどう応えるかが大きな焦点となる。慰安婦問題、元徴用工問題など歴史に起因する深い溝を埋めることができるのか。何よりもコロナ禍がもらす経済低迷を克服するため隣国同士の協力ができるのか。難題山積である。
注目したいのは、韓国の「政治一番地」と呼ばれるソウル・鍾路で出馬した李洛淵(イ・ナギョン)前首相=写真=が、保守系野党「未来統合党」の黄教安(ファン・ギョアン)代表を破り、次期大統領レースの先頭走者となったことだ。
李さんは元東亜日報東京特派員で日本語は流暢。1980年代に野党党首として独裁政治と闘っていた金大中(キム・デジュン)元大統領の番記者だった縁から、政界へ。金大中さんは戦後日本の歩みを評価し、理想と現実のバランスを忘れぬ対日政策を実行したが、李さんも柔軟な知日派リーダーとして期待される。
韓日議員連盟の幹事長、筆頭副会長を歴任した。今回の総選挙で同議連会長を務めてきた姜昌一(カン・チャンイル)氏や文喜相(ムン・ヒサン)国会議長が引退したため、対日パイプの主軸を担うことになった。日韓議連の河村建夫幹事長とは親しく、両国の摩擦が続く中でも相互信頼は崩れていない。昨年10月の令和天皇「即位礼正殿の儀」に韓国代表として参列した際、経団連首脳らとも懇談し、ユーモアを交えたやりとりで日韓サプライチェーンの修復に向けた雰囲気づくりに努めた。
日本ではほとんど知られていないエピソードがある。2005年、官房長官に就任直前だった安倍首相がソウルを訪問し韓国議員たちと懇談した席で、李さんは韓国人元ハンセン病患者への補償を求めた。韓国では植民地時代に建てられたハンセン病施設に入所していた韓国人患者400人以上が、2001年に成立したハンセン病補償法で補償対象外となったため、日本政府を相手に提訴。東京地裁は同時に提訴した台湾人元患者への補償を認めたが、韓国人元患者の訴えは退けた。このため李さんは、外国人元患者の救済が不公平なのは「合理的でない」と直訴。2006年、安倍官房長官の下で同法が改正されて韓国人への補償が実現した。弱者に寄り添う李さんの政治姿勢を見ることができる。
日韓間では、2002年サッカーW杯共催の成功に続いて、韓流ブームとアニメなど日流ソフトのブームが起きた。2011年の3・11東日本大震災では、韓国市民から多大な激励や義援金が寄せられた。筆者はソウルの繁華街、明洞や南大門市場に「苦痛を受ける隣人日本に力と勇気をあげよう」と記した大横断幕が掲げられたのを見て胸が熱くなった。
3月16日、日本大使館前で恒例の「水曜デモ」を計画していた元慰安婦ハルモニや支援グループは、対日糾弾集会を震災犠牲者の追悼と被災者を慰労する集会に切り替えた。その大使館に韓国各地の高校生から「日本がんばって」と日本語で書いた葉書が1000通以上も届いた。大韓赤十字社には震災から20日間で約20億円もの救援募金が寄せられた。同月末には竹島(韓国名・独島)の日本領有権を明記した中学校教科書が検定で数多く認められ、韓国で強い反発が起きたが、カンパは過去最高を記録した。
今回、コロナ禍で日中の友好・協力都市の間ではマスクを互いに贈る動きが目立った。その箱には「友人として互いに助け合おう」という激励メッセージがあった。日韓は同じように「一衣帯水」の間柄でありながら、今回はどうしたことか。日韓の経済人が検査キットを含めた医療機器を韓国から日本に送ろうと奔走しているという(朝日新聞4月19日付)。こうした動きが実現してこそ友好の再構築への身近な一歩になる。
そんな中で、インドやアフリカから緊急帰国する自国民を運ぶ日韓それぞれのチャーター機に日本人あるいは韓国人が同乗するケースは救いだ。
コロナ禍が経済や社会に与える打撃は日韓とも深刻だろう。隣国同士、肩を組んで難局に立ち向かう時であり、まさに政治の出番である。1998年の小渕首相と金大中大統領による「日韓パートナーシップ宣言」に倣って、日韓の共生と平和をめざす未来志向の「妙手」は生み出せないものか。
パートナーシップ宣言は冷戦下、日韓条約で国交正常化を果たした「65年体制」を超えて、両国が「過去を直視し相互理解と信頼に基づいた関係を発展させていく」ことが最も重要な目的だった。小渕首相の植民地支配に対する「痛切な反省と心からのお詫び」によって「歴史」を乗り越えて両国の政治・経済・安全保障・文化など広範な分野での協力や交流を進め、北朝鮮核問題での連携やアジア太平洋地域また国際社会全体の平和と繁栄、さらに地球環境問題に共に取り組むことを謳った。金大統領は懸案の日本文化開放に踏み切り、相互の交流は急速に広がった。
だが、それから20年の節目だった2018年、日韓は元徴用工問題で激しく対立。宣言の実践は遠のいた。しかし、今こそ宣言を蘇らせる努力をすべきである。
宣言には「21世紀を担う次世代の若手議員の交流」を進めることも明記されている。この間、南北首脳会談と歴史的な米朝首脳会談が実現する一方で、米中対立が激化して東アジア情勢は流動化している。それだけに日韓の将来を担う政治家が、対北朝鮮政策も視野に入れた日韓・東アジアの平和構想を描くための対話を始める時である。次世代の議員に絞った研究会など様々な形があっていい。
日本では民主党政権下で戦後補償問題の解決への取り組みが期待されたが、政権交代で挫折。安倍政権は改憲に固執し、「帝国回帰」への逆流が際立つ。その状況下、日本の若手政治家で日韓関係の「負の歴史」を知らない議員が多いことは大きな壁だ。他方、韓国内では民族主義色の強い歴史教育への懸念も聞かれる。上記の研究会では「歴史教育」の在り方と実践についての議論が重要だ。
韓国の3・1独立運動百周年の昨年、日韓の市民・社会団体は、東洋平和運動の出発点だった3・1精神に基づく韓国憲法と、侵略戦争を反省し戦争放棄を謳う日本の平和憲法は表裏一体であり、二つの憲法が共鳴してこそ朝鮮半島と東アジアの非核・平和の礎を創ることができる――と合意し、次の百年をめざす連帯の運動がスタートした。
日韓のより広範な市民・学生レベルの交流は、政府関係が嵐の時でも着実に実を結んできた。草の根交流は互いに誠実に信じ合い、協働することを通じて、確かな信頼の根を育ててくれるからだ。
さて、李さんの「大権」へのハードルは韓国政治に未だ根強い地域感情だ。李さんは全羅南道出身。釜山出身の文大統領が地域色解消を狙って首相に抜擢したのだが、百済(全羅道)対新羅(慶尚道)の対立の壁を克服できるかどうか。今からは釜山を中心とする「文派(ムンパ)」の牽制や攻勢は必至だ。今回総選挙で選対委員長として広げた党内基盤をどう生かせるかが勝負となろう。
勝利宣言で、李さんはコロナ禍を克服し危機に対処するため「国民の命令に従い、責任を全うする」と述べた。筆者からの電話にも「これからが大変なんですよ」と緊張を隠さない。全羅南道知事時代、対北経済交流にも挑戦しただけに対日、対北の全方位議員外交を模索しながら、国内政治でも険しい道を歩むことになりそうだ。
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〔opinion9701:200430〕
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