18年前の旅日記~スイスからウィーンへ(4)
- 2020年 5月 4日
- 評論・紹介・意見
- 内野光子
2002年11月23日~ウイーン、クリスマス市の初日に
アルプスの山並みを越え、やがてウイーンへ、ふたたび
ウイーン空港からカールスプラッツまでの道順は、リピーターの余裕?で、リムジンバスと地下鉄一本を乗り継いでスムーズにこなせた。ジュネーブと同じブリストル・ホテルでも、その雰囲気はだいぶ違い、部屋は一段と狭い。ホテル前のケルントナー通りを隔てて、オペラ座、昨年の宿ザハ、そしてアストリアホテルと大きい建物が並ぶ。前回は行けなかったシェーンブルン宮殿へ行くことにしていた。何しろウイーンのガイドブックを家に忘れてきてしまったので、ホテルと航空会社からもらった地図しかない。
地下鉄U4でシェーンブルン駅下車、人の流れにそって進むと、広場の前は大変な人出で、さまざまな露店が出ているではないか。正面には大きなクリスマス・ツリー、小さな舞台で演奏もやっている。これがクリスマス市なのか。なんと土曜の今日が初日だったのである。クリスマスまでちょうど一か月、食品、洋品、おもちゃ、飾り物など、何でも揃いそうである。ところどころに立っている丸い小さなテーブルを囲んで、カップルや家族連れが立ち飲み、立ち食いもしているのだ。さまざまな着ぐるみ、竹馬に乗った足長ピエロの行列や風船配りとぶつかりそうになる。子供たちがほんとうにうれしそう。また大人たちが、実においしそうにマグカップで飲んでいるホットドリンク、夫は気になってしかたないらしく、手に入れてきた。プンシュというものらしく、ジュースとワインを混ぜたようなソフトドリンクらしい。飲み干したカップを返すとお釣りが戻るという。夫は、最初の一口を飲むなりむせてしまい、咳き込むばかり。私も、一口恐る恐る飲んでみたが、相当に強いアルコールで、それ以上は飲めなかった。しばらくチビチビ飲んでいた夫も、観念したのか、さりげなく広場の側溝に流し込んでいた。
上2枚:シェーブルン宮殿前のクリスマス市、下:翌日の市庁舎前のクリスマス市
そんなことをしていて、宮殿に入場するのがだいぶ遅くなってしまった。日本語のオーデイオ・ガイドに飛びついて、宮殿の各室を回る。急いで通り過ぎたい部屋もあるが、どうも加減ができないらしい。それにしても、ハプスブルグ家の歴史を聞かされると、その華やかさの割には誰もが幸せとはいえない生涯を送ったのではないか、とそんな庶民の思いはつのるばかりだ。外へ出た頃は、すっかり日は暮れて庭園はすでに闇の中だった。シェーンブルンの庭園には今回も縁がなかったことになる。夜7時半からは楽友協会のコンサートなので、その前に食事もしておかなければならない。それならばと、ケルントナー通りの「ノルトゼー」にむかう。「北海」「北洋」とでも訳すのか、魚料理を食べさせる大衆的なチェーン店である。ケースの中の料理が選べるのが何より便利で、安い。
ホテルからも近い楽友協会は、ウイーンフィルのニューイヤーコンサートの会場としても知られるが、入るのははじめてだ。ブラームスのドイツレクイエム、ミュンヘンの交響楽団の演奏と重厚な合唱に魅せられた一時間半、聴衆の大部分が地元のシニアだったのもなんとなく落ち着ける雰囲気だ。が、ホテルに着いても入浴する元気がない。一日中の移動を思えば無理もない。疲れがどっと出たのかもしれない。
2002年11月24日~ハイリゲンシュタットのホイリゲで
今日は、まず前回見落としていたウイーン美術史美術館のブリューゲルを見る予定だ。歩いてもたいした距離ではないが、開館には間がある。昨日買った一日乗車券で、旧市街を囲むリンク通りをトラムで回ることにした。前回の旅で、この辺で迷ったね、初めて昼食をとったのがこの路地のカフェだった、と懐かしくも、あっという間の一回りだった。まず、議事堂にも敬意を表して下車したところ、震えるほど寒い。広い階段を上がったところで、一人の日本人男性と遭い、寒くないですか、とセーター姿の夫は同情されていた。階段の下では、なにやら、テレビカメラがまわり、議事堂を見上げるようなアングルで、記者が実況放送のようなことをやっている。これは、後でわかったことなのだが、11月24日はオーストリーの総選挙で、極右との連立政権の成り行きが注目を浴びていたらしいのだ。街中にポスターがあるわけでもなく、気づかず、そんな雰囲気がまるで感じられなかった。議事堂に続く広場には、昨日のシェーンブルン広場の規模を上回るクリスマス市が立っている。地図でみれば市役所である。結構出入りのある市民ホールの重いドアを開けてみると、そこは、子供たちがいっぱい。子供たちのためのワークショップ、仕切られた部屋でハンドクラフトの講習会がひらかれていたのである。学童期前の幼い子供たちがエプロンをして、クッキーを焼いたり、クリスマスカードやローソクを作ったり、土を捏ねたりしているのだ。廊下では、中に入れない親たちが見守っているという、ほほえましい光景を目の当りにすることができた。こんなふうにして、ウイーンの市民たちはクリスマスを迎える準備に取り掛かるのだ、と感慨深いものがあった。自分たちの住む千葉県の新興住宅地で、庭木の電飾だけが妙に狂おしく、競うように点滅している歳末風景にうんざりしていただけに、あたたかいものが感じられるのであった。
上2枚:市庁舎前クリスマス市の催しものなのか、ホール内では、子ども向けのワークショップたけなわ。下:議事堂前では、総選挙当日のテレビ中継番組の収録中で、そのスタッフたちがいずれもしっかりと防寒の重装備のなか・・・
名残惜しいような感じで、クリスマス市をあとにして、新しくできたミューゼアム・クオーターの一画、レオポルド美術館にも寄ることにした。ここはエゴン・シーレのコレクションとクリムト、ココシュカなどの作品で知られる。そういえば、クリムトの風景画だけを集めた展覧会が、ベルベデーレ宮殿の美術館で開催中らしいのだ。いまは時間がない。レオポルドに並ぶ現代美術館は、巨大な黒いボックスのような建物で、中に入ると、まだ工事中のようなリフトがあって、入場者もまばら、閉まっているフロアも多い。入場料がもったいなかったと嘆きつつ、美術史美術館へと急ぎ、中のレストランで遅い昼食をとる。目当てのピーテル・ブリューゲルの部屋、二階Ⅹ室へ直行する。ここのブリューゲルは、私が旅の直前に出かけた東京芸大の展覧会でもみかけなかったし、1984年日本で開催した「ウイーン美術史美術館展」でも、門外不出ということで一点も来なかったそうだ(芸術新潮 1984年10月)。所蔵点数一二点、世界で一番多いという。「バベルの塔」をはじめ、「雪中の狩人」、「子供の遊び」、「農民の婚宴」などはじめて見るというのになつかしい、という思いがぴったりなのだ。農民や兵士の日常生活がその背景とともに丹念に、克明に描かれ、その一人一人の表情が実にいきいきしているからだろうか。宗教や歴史に取材していても決して叙事的ではないのだ。せっかくの機会なので、周辺の部屋にはヨルダンス、ファン・ダイクがあり、そしてここでも大量の作品を残すルーベンス、前回見ているはずなのに記憶はすでに薄い。
レオポルド美術館のリーフレットより、クリムトとエゴンシーレ
少し欲張って、夕飯は郊外のホイリゲでとることにした。ホイリゲといえば、前回は、グリンツインからバスに乗り換えてカーレンベルクまで行ったが、今回は、ホテルで勧められたハイリゲンシュタットのMayerという店を目指す。地下鉄のハイリゲンシュタットからバスで二、三駅と教えられ、降りたところは静かな住宅街だが、まず国旗を掲げた、ベートーベンが遺書を書いたという家に行き当たる。木戸を押すと、小さな中庭、入り口の二階のドアは閉まっているが、脇のドアをノックすると、年配の女性が受付をしてくれる。オリジナルな資料は少ないが、しばらくベートーベンの世界に浸る。ここハイリゲンシュタットでの足跡が分かるようになっていた。すぐ隣りの新しい建物は、シニア専用のマンションらしかった。少し戻ると、分かりにくいが木戸の脇にMayerの文字が読める。そーっと開けてみると、意外に広い庭をめぐる古い建物。いくつもの入り口をのぞいていると、ドアを大きく開いて迎えてくれた。もうこの季節では、中庭にテーブルを出すこともないのだろう。薄暗い中には、すでに何組かのお客さんがつめていた。まずは白ワインを注文すると料理は向かいの建物で買ってきてください、ということだった。ワインは溢れんばかりの小ジョッキで運ばれてきた。中庭を抜けた調理場近くのケースの中にはさまざまな料理が山と積まれている。好きなものを選べるのがありがたい。どれも期待を裏切るものではなかったが、ただ一つ、チーズをスライスした茸で巻いたようなものだけは、残してしまった。お客さんは増えるが、席を立つものがいない。これ以上ワインをのめる体力もなくMayerをあとにした。あたりはすでに暮れかけていたが、Mayerの隣りには聖ヤコブ教会が建っていたのに気づく。
ホイリゲ、Mayerの入り口の上に飾られているのは、松の枝の飾りで、新酒の解禁日に掲げられるそうだ。この辺りは11月の第3週という
帰路、もらったパンフをよく読むと、Mayer家がこの地に葡萄園を開いたのは一七世紀後半、1817年、ベートーベンはこのホイリゲに滞在して「第九」を作曲した、とある。ホイリゲの横を北に進むといわゆるベートーベンの散歩道に出るらしい。いつの日かの再訪を期してホテルに戻れば、今日もまた、ベッドになだれ込む疲れようだった。荷造りは、明日にまわして、おやすみなさい。(了)
初出:「内野光子のブログ」2020.5.1より許可を得て転載
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〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
〔opinion9715:200504〕
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