政府は、専門家は、何をしているのか~いわれるまでもなく、私たちは
- 2020年 5月 5日
- 評論・紹介・意見
- 内野光子
身近なことでいえば、4月半ば、通院している大学病院へ行くのに、最寄りの駅から乗ったバスの最前席は、立入禁止となって、座れないことになっていた。乗客と運転席の距離を少しでも離す手立てだろう。病院では、予約受付票などを入れるファイルがなくなり、紙だけを持ち歩くようになっていた。たしかに透明な、つるつるのファイルは、消毒などの手間を思い、廃止となったのだろう。次回の診療は、外来を縮小しているので、少し先になります、とのことで、7月になった。この病院で手術を受けるはずだった友人によれば、中止の上、その先は未定という。
3月29日に開催予定だった地元の自治会総会の開催は中止となり、書面による議決となった。こんな折、重宝して、注文数も増えた生活クラブ生協の配達が対面中止となり、手渡しではなく、玄関先に置いてゆく方式に切り替わった。
また、千葉市で私たちが少人数で開いている月1回の歌会も3・4・5月は紙上歌会となった。私が所属しているポトナム短歌会は、5月に開催予定の全国大会を中止とした。所属の学会の春季総会も中止、メールでのやり取りで済ませることになった。いつもお知らせをもらう研究会は、オンライン開催となった。
また、整形外科で通っている市内の病院の予約が4月30日に迫っていたが、なんとその病院に、新型コロナウイルスの感染者が4月半ばに出ていたことを知って、慌てた。病院からは、とくに連絡はなかったが、薬のこともあるので、ようやく通じた電話で問い合わせたところ、電話診療が可能とわかった。医師の都合で何時になるかわからないが、予約日には、医師から電話がある、という。私は今の症状と服薬状況をメモにして、待機を覚悟していたが、朝、一番の9時過ぎに電話をもらい、改善が見られない今の症状を訴えた。4月の異動で、新しい医師に替わったのだが、ていねいに聞いてくれる。服薬についても指示を受けた。処方箋は院内の薬剤師を通じて、希望の薬局にファックスされ、近くの薬局で受け取れることになった、病院に出向くことないこんな方法を、今回、初めて経験したことになる。
3月中旬に決まった、自治会総会の中止のお知らせと『ポトナム』5月号に付された全国大会中止決定の経過報告
5月2日の新聞の折り込みで入ってきたチラシ。どのコンビニやスーパーでもすでに実施していることだ
私のわずかな体験からでも、みんなできることは、とっくに実施しているのに、いまだに外出自粛や「三密」を守らない市民がいる、営業を続ける飲食店やパチンコ店があると補償を示さないままバッシングするばかりの政府や自治体って何なのだろう。検査数が伸びないまま、その数を示さないまま、感染者数が毎日公表され、その動向に目を奪われ、様々な解説をして見せるマスメディアが多い。今の感染状況を見ると、マスクや防護服が足りない、機器が足りない、従事者が足りないという、医療現場や介護現場、家庭内での感染が深刻な事態にあるにもかかわらず、政府や自治体の危機感の無さ、施策の宣言「構築に向けて努める」「仕組みの導入を検討する」「法整備を進める」などとばかりで実施が伴わない。とくに安倍首相の「専門家のご意見を踏まえ」なるフレーズで、すでに逃げを打っている発言が許せない。「諮問会議」「専門家会議」の会長を筆頭に、その「専門家」たる人たちの発言も、検証もないまま、横文字が頻繁に飛び出す解説が大方で、なぜ、営業活動や働き方までに口を出すのか、教育現場の対応まで言及するのか、わからない。いまの医療崩壊の危機をあおるけれど、まさに、医学的見地から、いま、緊急に、何が必要なのかをきちんと政府に提言しないのだろう。食事に出かけたら、対面でおしゃべりしないように?!などと「専門家」が言うべきことなのか。
私のようなリタイア世代は、上記のように嘆いてはいるが、職を失っていた人たち、営業自粛で職を失った人たち、自営業の人たち、今日の寝る場所と食事に困っている人たちもいる。休業補償がもらえない、雇用調整助成制度も機能してない。一斉休校により働けなくな人たち、給食が食べられなくなり、学習や遊びの場を失った子どもたちもいる。一律10万円給付を含む予算案は全会一致で通過したが、余裕のある人は受け取らないとか、閣僚や議員は辞退とするとか、寄付すべしとか、そんなことを議論するのなら、なぜ一律としたのか。ほんとうに困っている人たちに届けるには、どうしたらいいのかの議論が先だったろうに、与党も野党も「わが党の強い提言が受け入れられた」、「世論の力で勝ち取った」などといえるのか、不思議でならない。
今日は憲法記念日なのだが、テレビでの特集番組は見当たらない。新聞が一部、紙面を割いて特集している程度である。メーデーはじめさまざまな集会が中止に追い込まれている。地元の9条の会も、コミセンの閉館により会場の確保が困難となり、3月、4月は流会となった。5月はどうなるだろう。さまざまな市民活動は停滞しているのが実態である。今回の事態を「国難」とか、「長期戦」になるとか、「総力戦」で臨むとかの発言を聞くたびに、「挙国一致」となりかねない国のゆくえを思うのだった。
初出:「内野光子のブログ」2020.5.3より許可を得て転載
http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2020/05/post-43617e.html
〔opinion9720:200505〕
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