重い現実、軽い言葉
- 2020年 5月 14日
- 評論・紹介・意見
- 新型コロナウィルス日本語言葉阿部治平
――八ヶ岳山麓から(312)――
「線維筋痛症」という膠原病の一種にかかり、1月から今日まで4ヶ月激しい痛みとときどき起こる高熱に悩まされ、入退院を繰返している。カラマツ林の中の一人暮らしの苦しさをいささかでもまぎれさせてくれるものは、テレビと新聞のニュースである。そこで気になったことを記したい。
「発覚」
新形コロナウイルス感染が問題になり始めた2月、3月テレビでは、「○○で感染者が△△人『発覚』しました」といっていた。「発覚」は、森友問題、加計疑惑、花見スキャンダル、この頃では検事長の定年延長など、疑惑・陰謀の真相が暴露されたようなときに使う動詞である。簡単に言えば悪事露見である。
テレビでこれをやられては、感染者はたまらない。ウイルス感染はもちろん後ろめたいことなく感染する。やはりテレビは学力のない連中がやっているんだなと思った。
さすがにこの頃聞かなくなったのは、だれかが忠告したからであろう。感染した者に罪とががあるような言葉がネット上にあるけれども、愚かである。
「間髪を入れず」
安倍晋三首相は国会答弁で新型コロナウイルス感染対策を云々したとき、幾度も「カンパツヲイレズ対処します」と発言をした。これは、元来は「すぐさま」の意味で、「カン、ハツヲイレズ」なのだが、安倍首相のほかにも言う人がたまにいる。安倍首相は「云々」を「デンデン」と読んだこともある人だからこの程度の間違いは仕方がないと思う。
麻生太郎元首相は、「未曾有」を「ミゾーユー」と読んだほか10近くの誤読をやらかして、その知性のほどを天下に知らしめ、反対陣営を喜ばせた。以前にも書いたが、麻生総理当時、私は中国で日本語を教えていたので氏の誤読を問題にして簡単なテストをした。学生らは最低でも5題はできた。
テストの後、漢人学生の中に「一国の総理がこのような間違いをするとは思えない」と不思議がるものがいた。私は「日本では国家指導者に知的教養を求めないのです」といったが、それでも中学生程度の漢字は間違いなく読んでほしいと思った(習近平氏の知的水準が高いといっているわけではない)。
中学生のころ農家では米の義務供出(昔はそういう制度がありました)がおわると子供同士でもほっとして、「おらえじゃ(我家では)供出をカンツイしたぞ」などといった。「完遂」だから「カンスイ」でなくてはならない。父は、太平洋戦争のおり東條英機首相が「聖戦完遂」を「セーセンカンツイ」とさかんに言ったのでこうなった、上が間違うと下も間違うと言った。
ひとだれでも誤読はある。私も「脆弱」を「キジャク」と読んで先生に注意されたことがある。心神耗弱とはいっても、「消耗」は、「ショウコウ」とはいわない。「洗滌」を「センデキ」と読む人は少なかろう。いや、この語彙はいまや「洗浄」に変っている。
みんなが間違えばそれで通用するのが言葉というものだ。だから「間髪を容れず」もいつかシンゾー流が主流になるかもしれない。だが「云々」を「デンデン」というまでには時間がかかるだろう。
「れる・られる」
テレビでは敬語が氾濫している。料理番組で、「肉に塩コショウをしてあげます」などは普通になった。最近は感染症の専門家が「ときどき風通しを良くしてウイルスを飛ばしてあげるのがよいでしょう」というのを聞いた。ついにウイルスにまで敬意を表すようになったのだ。
なかでも「陛下が○○県に来られました」「○○先生は△△と話されています」というように、「れる・られる」が尊敬表現に多用される。がんらい「れる・られる」は受身のものではなかったか。これには「らぬき」ことばの広がりが関連しているのか。
受身・可能表現と間違われるような言い方よりも「……おいでになりました」「……お話になりました」でよいのではないか。
「トクテーケーカイトドーフケン」
新形コロナウイルス感染の「特定警戒都道府県」の「特定」は「かな」をふれば「とくてい」である。「警戒」も「けいかい」である。だが発音は「トクテー」「ケーカイ」でなければおかしい。ところがテレビではたいてい「かな」の通りに発音しているように聞こえる。五十音図え段のあとにくる「い」は長音を表している。経済だって政治だってそうだ。
アナウンサーたちは、かな表記通りに発音するのが正しと思っているのだろうか。そうなら都道府県は「トドウフケン」と発音しなければならないことになる。豆腐も「トーフ」ではなく「トウフ」と読まなければならない。もちろんそれは間違いである。
病気見舞いに来た小学校の同級生にこうはなしたら、そんなことを気にするのはお前だけだといわれた。それに何を言ってももう間に合わないとのことだった。
「カタカナ語の氾濫」
新型コロナウイルス感染拡大とともに、聞きなれないカタカナ語が増えた。日本では国際的な事件が起きるたびカタカナ語が増える。1945年の敗戦以来アメリカ語の流入はすさまじい。遠い昔漢語(中国語)が日本語の中にどっと取り込まれた、あの歴史を繰り返しているという印象だ。明治の文明開化の時代は何でもかでもヨーロッパ語を漢字で表そうとしたのだが。
コロナ関連のカタカナ語がごちゃごちゃになったので、メールで孫娘に教えてくれといったら、以下のように答えてきた。最後に「……だってー」と書いてあったから、何かを書き写したらしい。
「パンデミック=世界的大流行、ロックダウン=都市封鎖、オーバーシュート=感染爆発、ソーシャルディスタンス(ディスダンシング)=社会的距離(を保つこと)、クラスター=(長時間同じ場所にいるなどの濃厚接触による)集団感染。
本来のクラスター(Cluster)の意味は、『群れ、集団、塊』であり、英語圏ではITや天文学などさまざまな分野で使われています。感染者集団を疫学においてはDisease clusterと呼んでおり、単にクラスターと言っただけでは外国人に伝わらないおそれがあるので、注意しましょう」
このカタカナ語を無理に日本語に置き換えないほうがよいという人がいるが、私は断然日本語でやってもらいたい。漢字の連続だが意味は一目でわかる。小学校の同級生に「パンデミックなんてすぐわかるかね」ときいたら「これでも疫学の基礎をやったからね」といった。なるほどこの同級生は医学研究者だった。
だが私は、カタカナ語にするとなじむまで時間がかかるから、なかなか使いこなせない。オーバーシュートなどバレーかバスケット・ボールのプレーかと思った。その上カタカナ語にすると語彙の印象が軽くなる。「強姦」や「性的暴行」を「レイプ」とするなどがその例だ。新形コロナウイルスの世界的大流行という歴史的悲劇を語感の上で軽いものにしてはならない。
「重い責任に軽すぎる決意」
国会中継を見ていると、安倍首相はシンゾー流の特徴ある語調ですらすらとよどみなく答弁をしている。大したものだと思っていたが、このごろようやく官僚の書いた文言を棒読みしていると気が付いた。これなら自分の言葉ではないから覚悟はいらない。
安倍晋三氏は国会で学校の一斉休校やマスク2枚の全戸配布など突然持ち出して、「私の全責任でやります」とか「……やりぬく決意であります」とかと大げさな言葉を使う。この頃では休業手当問題も「スピード感を持って実施しなくてはなりません」という発言があった。そのくせPCR 検査など必要とされる仕事はちっともスピード感がない。
新型コロナウイルス感染問題の深刻さとは対照的に首相の言葉はあまりに軽い。
「羽鳥アナウンサーの『す』」」
ときどきテレビ朝日の「羽鳥慎一モーニングショー」を見ている。主張が比較的明確で一貫していて好感を持っている。
ただし、羽鳥氏の話し方は語尾の「……ます」が、ときどき「masu」と母音「u」が強調される。一般には「mas」と口を「す」のかたちにして息を出すが、「u」を発音しない。 羽鳥氏の発音を聞いていると、これは「……ます。だから」というように、次に言葉がつづき強調するときに多い。優れたアナウンサーだからこれから真似する人が出てくるだろうが、あまり良いこととは思えない。
「キャーキャー声」
テレビやラジオで、女性と限らないが、非常に甲高い声(裏声か)でニュースや天気予報を伝える人が多い。対話討論になるとお話にならない人がいる。非常に耳障りだ。たぶん発声法をきちんと学び、訓練を受けていないからだと思う。
この点、中国中央テレビCCTVのアナウンサーは非常に「正しい」標準語を話した。聞いていてその美しさにうっとりするくらいだった。中国語がもともと音楽的であるからだが、訓練が行き届いているのである。
NHKのニュースには問題があるが、そのアナウンサーは民放に比べると、さすがにしっかりした発声をする人が多いと感じる。
テレビでもラジオでも、語り手は美しい日本語で話してほしい。
(2020・05・02)
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〔opinion9747:200514〕
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