コスタリカに学ぶ (その2)
- 2020年 5月 26日
- 評論・紹介・意見
- コスタリカ小原 紘
韓国通信NO639
年号を変えなければ今年は明治153年。153年間の前半は戦争ばかりだったのに、後半の75年は戦争のない平和な時代が続く。日本は平和な国に変身した。スゴイ(拍手)!
平和(憲法)は戦争の悲惨さを体験した人たちによって守られてきた。
戦争を知らない人たちによって平和が危うくなっている。いつの世にも戦争をしたい人間はいるが、政治のトップにいる彼らが、「日頃お世話になっているアメリカと一緒に戦う」と変な理屈を言いだし、憲法解釈を変えて集団的自衛権にもとづく海外派兵を可能にした。解釈にあきたらず憲法も変えたいという。75年間の平和に飽きたといわんばかりだ。
戦後生まれの人たちが戦争を知らないのは当然だが、彼らは親や祖父たちから何を教わって育ったのか。つくづく親の顔が見たい。権力があればやりたい放題というのも明らかな家庭教育と学校教育の欠陥だ。
国政の私物化が指摘されると検察まで手中に入れようとする。コロナ騒ぎで手が回らないが、暴走は食い止めなければいけない。
5月3日の憲法記念日。千葉県・我孫子駅頭で以上のような憲法アピールを行った。人手が足りず、左手に「戦闘機より生活だ」、右手に「原発推進NO」。<写真/我孫子駅頭で>
<コスタリカに学ぶ>
「さわやか」コスタリカに学ぶことは多い。
日本ではややなじみのうすいコスタリカ。世界地図で正確に探し当てる人はあまりいない。
スペイン植民地からの独立運動は江戸時代末期、日本が開国を迫られた時期にあたる。コスタリカも日本も西欧列強の植民地獲得競争に翻弄された。19世紀から20世紀にかけて大国アメリカ合衆国の存在が大きく、くわえて中米諸国の政情が不安定なため苦労が絶えなかった。
日本の真珠湾攻撃をきっかけにコスタリカは対日開戦に踏み切る。サンフランシスコ講和条約には戦勝国として名を連ねる。敗戦国日本が新憲法を制定した2年後、戦勝国のコスタリカも軍隊を持たない憲法を制定した。不思議な巡り合わせという他ない。内乱に勝利したホセ・フィゲーレスがクーデターを防ぐ必要に迫られ、軍隊を廃止したのだ。
1983年には「永世的、積極的、非武装中立」を宣言、1986年にはアリアス大統領が中米紛争解決に貢献したことが評価され、ノーベル平和賞を受賞した。紆余曲折はあったが平和国家としての面目躍如たるものがある。周辺諸国からの信頼もあつく、外交力によって自国の安全保障を確かなものにしてきた。コスタリカを中米のスイスという人もいる。
女性の参政権は中南米諸国では早い時期に確立、2010年には女性大統領が就任した。バナナ、コーヒー農家の育成協同化を進めるなど農業立国を目指してきた。しかし何といっても素晴らしいのは、「兵士より教師」のスローガンのもとに「教育立国」を国の柱にしていることだ。もちろん、医療、福祉にも重点が置かれた。
日本は独立後、いち早くアメリカの極東戦略に巻き込まれ、憲法にもとづく社会づくりは改憲勢力によってないがしろにされてきた。そして現在、戦争を知らない人たちによって平和憲法までがうち捨てられようとしている。
コスタリカの国会議員は57名、再選はない。選挙は比例代表制で、各党の拘束名簿ではどちらかの性の候補者数を40%盛り込むとされている。女性の進出が進まないわけはない。
ここで男女平等世界ランキングに触れなければならない。世界経済フォーラム(2019年)では1位は前年とおなじくアイスランド、コスタリカは堂々の13位、日本は153ヵ国中121位だった。
<映画『コスタリカの奇跡~積極的平和国家の作り方~』>
二人のアメリカの学者(マシュー・エディ/ユタ大学、マイケル・ドレリング/オレゴン大学)がコスタリカに注目して映画を制作(2016)し、来日してインビューに応じた(2018)。
映画制作は、国家予算も資源も少ないコスタリカが何故、幸福度でいつもトップクラスなのかという素朴な疑問から始まった。国全体に行き渡る民主主義、持続可能性重視の思考、フェアトレードの思想、連帯や平和の価値を第一に教える学校教育の存在に彼らは気づいた。国民の幸福感が教育、医療、社会保障、環境保全から生まれていることにも注目。軍事費がないため平和のメリットを享受しているコスタリカから世界は学ぶべきだともいう。
軍隊に頼らない国の安全保障は決して理想論ではない。(日本では非武装中立は子供じみてると一蹴されてきた)。一国主義ではない国際的連帯や国際法を有効利用する平和モデルはむしろ現実的である。政治家は市民の力をおそれ、市民の意見を尊重する。70年以上続く平和の受益者である国民の9割が軍隊を持たないことに賛成していることも注目に値する。
プロデュースした二人は対談の最後に、日本人の平和運動と平和憲法に期待、平和国家としての自覚、コスタリカに学び平和を求め続けるようメッセージを残した。
<最後に>
韓国の朴槿恵前大統領が国政の私物化を問われ弾劾されたのは記憶に新しい。「モリカケサクラ」疑惑は、内容、規模ともに朴槿恵と遜色はないが、日本国民の半数は安倍政権を支持している。安倍首相は日本人の寛大さに感謝すべきだろう。
非暴力に徹し、社会を動かした韓国のローソクデモに世界中から称賛の声があがった。日本では安倍政権に累がおよぶと忖度したのか、マスコミの評価は概して冷淡だった。同じことが日本で起きたら安倍政権はもたない。
懸案問題はすべて「解決ずみ」という政府見解に同調して文在寅政権に冷笑を浴びせ続ける日本のマスコミ。日本が韓国の風下に立つことはありえないという伝統的な傲慢さが溢れている。
コスタリカの問題に戻ろう。憲法、外交、教育、医療、福祉、環境の分野で学ぶことは多い。だが現実の問題としてコスタリカにも欠点はいくらでもある。政治腐敗、所得格差問題を指摘する人もいる。正しい指摘かも知れない。しかしその批判には、他国は忌憚なく問題点を指摘するものの、自国の問題はまるで眼中にない。学ぼうとする謙虚さがなければ、単なる批判に終わる。
コスタリカから学ぶのは都合が悪い、とでもいうような底意地の悪さである。評価したくない文在寅政権のあら探しをして批判するのとどこか似ている。
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