中国語版『漢字論』序・「不可避の他者」としての漢字
- 2020年 6月 11日
- スタディルーム
- 子安宣邦
『漢字論』中文版序(2020.6.10.)
「致中国読者」
「不可避の他者」としての漢字
私の著書『漢字論』とは日本人の言語即ち日本語の欠くことのできない文字的要素として持ちながらも、なお「漢字」という呼び方に見うるように〈漢〉から伝来された文字という標識を付けたまま日本人に使われ続けているその「漢字」をどう考えるかということです。日本語あるいは日本語文における漢字が〈漢〉の文字として意識され、問題にされるようになるのは、日本とその言語をめぐる自国・自言語意識の成立とともにです。この日本の自言語意識を強くもった学問すなわち国学の登場は日本の歴史上にはっきりと時期をもった事件です。それは18世紀の本居宣長(1730−1801)の登場とともに生じた事件です。宣長は日本の最古の神話的歴史的伝承を含む記録『古事記』の注釈『古事記伝』を文字通り畢生の作業として完成させました。この『古事記伝』の完成によって宣長は日本における最高の学者としての栄誉を近代日本から与えられることになります。それはなぜなのか。
日本の最古の記録として『古事記』と『日本書紀』とがあります。『日本書紀』は当時の天皇朝廷の公的な編纂作業として始められ、中国や朝鮮からの知識人たちとの共同作業を通じて正規の漢文体の歴史書として720年に完成します。この成立は歴史的にも確認されることです。だが『古事記』は712年の成立が撰録者太安万侶の序によってのみ知られる書で、文体もまた正規の漢文体ではなく、変則的な漢文体で記されたものです。神話や説話類を多く含んだ『古事記』は近代では最古の日本文学として愛読されています。ところでこの『古事記』の価値を再発見したのが本居宣長です。彼は『古事記』の変則的漢文体の文章の背後に古代日本語による神話的・説話的世界を見出したのです。そこから『古事記』の変則的漢文体の記述は古代日本語を極力留めるための工夫だとみなされました。こうして宣長の『古事記』注釈作業とは変則漢文体のテキストから古代日本人の言葉と心とを読み出す作業となるのです。『古事記伝』とは宣長のこの注釈作業の大きな成果であります。この成果を近代日本は高く称賛し、大事な学的遺産として継承しました。たしかに宣長は『古事記』の漢字体テキストの背後にいる古代日本人の言葉と心とを読み出しました。それは明治の今成立しようとする近代天皇制的国民国家日本のための最も大事な言葉と心、すなわち国民的アイデンティティーを提供するものであったのです。宣長と『古事記伝』とが近代日本から高い評価をえたのはそれゆえです。だがこの高い評価を与えた人びとは、宣長と『古事記伝』とが意図して見失い、見誤っていったものの重大さを知ることはなかったのです。
『古事記』の本文は次のような漢字文で始まります。「天地初発之時。於高天原成神名。天之御中主神。」この冒頭の「天地」について宣長はこう注釈します。「天地は、阿米都知(あめつち)の漢字にして、天は阿米(あめ)なり。」「天地」とは日本語の「アメツチ」を漢字を借りて記したので、「天」とは「アメ」であるというのです。宣長は『古事記』のテキスト上に「天地」とあっても、それは日本語の「アメツチ」として読み、その意味をも日本語として考えるべきで、漢語「天地」として考えてはいけないといっているのです。ここにあるのは漢字を日本語表記のための借り物とみなす見方、漢字借用観です。『古事記伝』とは漢文体の古典テキストに対する完全な漢字借用観に立った注釈です。
18世紀日本の国学者本居宣長による『古事記伝』は近代日本に先天的なドグマというべき見方をもたらします。すなわち「日本には漢字渡来以前に民族言語としての日本語は存在した。漢字はその日本語を表記する手段として借りた物、外来物である」という見方です。この見方は近代の音声中心主義的な言語観とともに国語学者をはじめとして広く用いられていきました。しかし一方では近代日本は大量の漢語による翻訳語を生み出していきました。私たちが現在使用する漢字熟語の多くはこの翻訳語からなるものです。この翻訳漢語を除いたら私たちの文章は成立しません。近代日本における「漢字」をめぐるこの矛盾倒錯した言語論的事態に対して私の『漢字論』は書かれたのです。
私は漢字の受用を「日本語にとっての不幸」といったりする近代日本の国語学者たちの漢字観を検討し、その源流を宣長に溯りながら、漢文体的テキストである『古事記』ははたして古代日本語として読めるのかと問題提起しました。宣長は日本の古代神話・説話的世界が〈漢〉的文化体系を背負った漢字によってはじめて書記言語的世界『古事記』として成立し、後世のわれわれにも残された意義を見ることはないのです。宣長は漢字を日本語の表記手段である文字記号としてだけ抽象化します。そのことは「自国の言語とともにその文化の成立に不可避的にかかわる他者、まさしく不可避の他者としての漢字を、いわば己れに異質な他者として自己の圏外に排出的に措定していくことである。自己の存立に不可避な他者を異質な他者として己れの外側に排出していくことは、同時に己れの内側に幻想の固有性をつくりだしていくことでもある」。これは私の『漢字論』の第1章「漢語とは何か」の末尾でのべていることです。だがこれは本書の結論でもあります。私は本書の「あとがき」で「不可避の他者」としての漢字の意義を再確認しています。
「漢字」は〈漢〉という他者性の刻印をもった文字です。だがこの漢字によって日本語ははじめて〈文〉を成しうる言語になったのです。人にいうべき事実が、事実に托された思いが、あるいは意味が、そして思想が伝えられる〈文〉がはじめて漢字によって可能になったのです。漢字なしには日本における〈文〉は成立しません。やがて日本人はこの漢字によって平仮名・片仮名という表音文字を作り出していきますが、しかし漢字を廃することはしていません。近代日本の音声中心主義的言語学者たちは日本語における漢字の廃止を主張してきました。だが私は漢字廃止論には与(くみ)しません。なぜなら他者性を刻印された文字を己れの言語体系にもつことはきわめて重要なことだからです。この他者性を刻印された文字を通してわれわれの言語は他者との関係性をもち続けるのです。その他者とは空間的な他者だけではない、時間的な他者でもあります。遠い過去の他者であり、来たるべき未来の他者でもあります。「漢字」が他者を予想し、他者の記憶を担う文字であることの充分な自覚から初めてわれわれに普遍性をもちうる〈文〉が可能になるのです。漢字借用観とともに日本人が見失っていった大事なこととは、漢字がわれわれに普遍性をもちうる〈文〉をもたらすという事実です。
このことを私は『漢字論』の日本の読者だけに向けていうつもりはありません。私は中文版『漢字論』の中国における読者に向けてもいいたいと思っています。漢字は決して中国の一国的書記言語を導く一国的文字としてあったわけではなく、日本や朝鮮などの周辺諸国における書記言語化を導く重要な文字的媒体としてあったのです。漢字を多様な言語の書記言語化を導く文字的媒体といえば、そもそも地域的に多様な言語体としての中国における文字とはもともと統一的書記言語を導く文字的媒体としてあったはずです。さらに中国にとって異文明の宗教体系である仏教は漢字を媒介にしてはじめて中国に受容され、その漢字を介してわれわれの日本にも仏教は儒教とともに伝えられたのです。そして漢字はその痕跡を、すなわち仏教という他者受容の痕跡を大きく残しています。日本には各種の漢字音が伝えられましたが、呉音は仏典の読誦音として伝えられ、今に残されています。このように漢字とはその母国中国においても他者を受容し、他者に開かれた言語的な契機としてあったといえるのではないでしょうか。だが伝統的中国において漢字は統一的帝国の文字言語になることによってこの他者性を喪失していきました。この帝国的言語の自閉性を破っていったのは、この他者性を恢復した20世紀初頭の新たな漢字と文章とではなかったでしょうか。
私は自分の著書『漢字論』に「不可避の他者」という副題を与えました。この副題には時の経過とともにますます積極的な意味が加えられていきました。それは他者を待ち、他者に開かれた言語への期待とともに増していった意味です。中文版『漢字論』の読者もまたこの副題の意味をそれぞれに再確認されることを願ってこの文章を閉じたいと思います。
2020年6月10日 子安宣邦
初出:「子安宣邦のブログ・思想史の仕事場からのメッセージ」2020.06.10より許可を得て転載
http://blog.livedoor.jp/nobukuni_koyasu/archives/83156916.html
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔study1125:200611〕
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