本間宗究(本間裕)の「ちきゅうブッタ斬り」(263)
- 2020年 7月 10日
- 評論・紹介・意見
- 本間宗究本間裕金融
金融の戦国時代
「麒麟が来る」という大河ドラマを見るたびに、「400年サイクル」が脳裏に浮かんでくるが、具体的には、「応仁の乱(1467年-1477年)」が「明治維新(1868年)から西南戦争(1877年)」に相当し、また、「比叡山延暦寺の焼き討ち事件(1571年)」が、その400年後の「ニクソンショック(1971年)」に相当する可能性である。
つまり、当時の「武士たちが領土を奪い合っていた状況」が、現在、「全国民が、お金の奪い合いに殺到している状況」と重なって見えるわけだが、基本的に、「鎌倉幕府」から「室町幕府」においては、「武士の時代」が始まったものの、「徳川幕府の成立」までは、「領土をめぐる争い」が継続していた状況でもあったようである。
また、現在は、「明治維新」から始まった「日本の西洋化」に関して、「第二次世界大戦の敗戦」までの「前半の77年間」が、「武力における成功と失敗を経験した状況」であり、そして、「後半の75年間」は、「金融面における成功と失敗を経験している状況」とも感じている。つまり、「日本人」は、過去150年余りの期間、「実体経済」と「マネー経済」の両面で、不思議な体験をしたものと感じているが、今後は、「カール・ヤスパース」が主張するとおりに、「第二の枢軸時代」が始まる状況も想定されるのである。
具体的には、今回の「西洋の時代」から「東洋の時代」への「文明交代」に関して、「財政赤字とインフレによる滅亡」という「1600年前に発生した西ローマ帝国の滅亡」と同様の展開も想定されるわけだが、この時の注目点は、「技術革新による、新たな時代が始まる可能性」とも言えるのである。
そのために、これから考慮すべき点は、「どれほど有効、かつ、正確な情報が、世界的に共有されるのか?」ということであり、決して、「デジタル通貨で、お金儲けを企てること」ではないものと考えている。つまり、今回の「デジタル化」については、「情報を選別することにより、経済学や心理学などの社会科学を、どのようにして発展させるのか?」に対して、時間とエネルギーを使うべきであり、決して、「デジタル通貨のバブル」に踊らされるという「落とし穴」にはまらないことだと思われるのである。
別の言葉では、「お金の謎」や「時間のサイクル」、そして、「心の謎」が解けることにより、「文明法則史学」を創造した「村山節氏」が考える「新たな東洋の時代」が始まるものと考えているが、これから想定される「世界的な大インフレ」については、やはり、「産みの前の苦しみ」のようにも感じている。(2020.6.11)
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真の自由
昨年、軽井沢の別荘地を訪れた時に、二つの矛盾した思いを抱いたが、最初は、当然のことながら、「これほど素晴らしい所に素敵な別荘を持ったら、たいへん幸せだろうな」という感情だった。しかし、その後、もう一つの思いが沸き上がってきたが、それは、「別荘を持ったら、どれほどの時間や労力が必要とされるのか?」という疑問であり、実際には、「現在の私にとって、別荘を持たないほうが、より自由な生活を送ることが可能ではないか?」というものだった。
そして、このことを、「人爵」という「地位や名誉、そして、お金」などに当てはめると、「同じ効果が存在するのではないか?」とも感じたが、実際には、「有名無力、無名有力」という「安岡正篤氏の言葉」のとおりに、「有名になれば、自分の実力を蓄積する時間が無くなるために、無名であることのほうが、より重要だ」という理解のことである。
つまり、「他人からの評価」が、いわゆる「名声」と呼ばれるものであるが、今までの人生を振り返ると、「真実の追求」という「天地自然の理を追い求めること」に、自分の時間を費やすことが、最も幸せな経験だったようにも感じられるのである。別の言葉では、「他人からの干渉」を受けることなく、「自分の知らないこと」に向かって、日々、悩み苦しんでいる時が、「三昧」という言葉のとおりに、最も充実した時間だったようにも感じられるのである。
具体的には、無限に存在する「神の智慧」に対して、真剣に向かい合うことであり、実際には、世界に存在する「数多くの矛盾」に対して、「何故」を繰り返して問い続けることである。より詳しく申し上げると、「天爵」という「神様からの評価」に向かって、「自分の人生を費やすこと」が「真の自由」のようにも思われるが、実際には、「自らの思いに由り行動すること」に関して、「心が、どの方向を指しているのか?」が重要なポイントのようにも感じられるのである。
つまり、「他人」に向かうのか、それとも、「神」に向かうのか、ということだが、やはり、「西洋の時代」においては、「唯物論」という価値観が支配していたために、「お金」が、最終的な目的だったものと考えられるのである。しかし、今後は、「1600年前の西ローマ帝国の崩壊」と同様に、「物質文明に疲れ切った人々が、真の自由を求め始める時代」が始まる状況を想定しているが、注目すべき点は、「デジタル通貨」という「目に見えないマネー」が「デジタル化の発展」に貢献し、今後、「心の解明」が実現される可能性である。(2020.6.12)
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日銀の決算
5月27日に発表された「日銀の決算」を吟味すると、きわめて危機的な状況が浮かび上がってくるが、具体的には、「約600兆円もの資産」を保有しながらも、「約1.3兆円の経常収入」しか得られず、また、「経常収支のほとんどが、長期国債からの金利である」という事態のことである。つまり、大量の資金を集め、かつ、投資しながらも、わずかな利益しか得られていない状況のことだが、より重大な問題点は、「国民の預金などが、民間の金融機関を通じて、国債に投資されている状態」とも考えている。
また、「約400兆円の当座預金」に関しては、昨年、「約1880億円の利息」を払った計算となっているが、今後は、この点に関して、重大な問題が発生するものと感じている。つまり、「短期借り、長期貸し」という、「金融機関にとって、最も避けるべき状態」となっており、今後、「わずかな金利の上昇で、あっという間に、巨額な損失が発生する可能性」が存在するのである。
別の言葉では、「投資した国債からの収益」については、すでに、長期間にわたって固定された状態となっているために、今後の「金利上昇」については、「国債価格の下落」というデメリットが存在するだけで、「より多くの金利が得られるメリット」は、ほとんど存在しない状態とも言えるのである。そのために、今までは、「米国との通貨スワップ」や「政府からの借入金」など、「ありとあらゆる資金を借りいれて、国債を買い増していた状況」でもあったが、現在では、「マイナス金利の売り現先」までもが実施されている状況となっているのである。
つまり、「金利」を払って「短期資金」を借り入れているわけだが、このことは、「借金漬けとなった個人が、高利貸しに頼るような状態」とも考えられるのである。そして、今後、最も注目すべき点は、「金利の上昇(国債価格の下落)」であり、実際には、「金利が払えなくなった日銀が、当座預金を、どのように処理するのか?」ということである。
つまり、「国債を売却して、当座預金の残高を減少させる方法」か、それとも、「金利の付かない紙幣を増刷して、当座預金を民間金融機関に返却する方法」を選択するのかという「二者択一」に迫られる展開のことである。ただし、どちらの場合にも、「危機感を覚えた国民が、慌てて、預金や国債から、株式や貴金属への資金移動を始める状況」になるものと思われるが、皮肉な点は、このことが、以前から、金融庁が勧めていた「リスク資産への資金移動」という事実のようにも感じている。(2020.6.15)
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事実は小説よりも奇なり
森友問題で自ら命を絶たれた「赤木俊夫氏」に関して、問題の再調査を支持する人々が「35万人以上の署名」を集めたが、この点に関して感じることは、やはり、「事実は小説よりも奇なり」ということだった。つまり、「小説」の場合には、「良心の呵責を覚えた佐川元理財局長が、真実を告白して、官僚や政治家の不正が暴露される」、あるいは、「警察や検察が、不正を調査して、悪者が逮捕される」というような展開となるものと思われるが、「現実」としては、「政治家や官僚が、より一層、力を持ち、さまざまな隠避や改ざんが繰り返されている状況」となっているのである。
そして、多くの人々も、「長い物には巻かれたほうが良い」、あるいは、「臭いものには蓋をすべきである」というような「意識」を持ち、自分に有利な「行動」を取っているようにも感じられるが、この時の注目点は、「この状態が、いつまで継続し、その後、どのような展開が予想されるのか?」ということである。そのために、現在は、「過去の歴史」を振り返りながら、「今後の展開」を考える必要性があるものと思われるが、このような状況下で、昔の人々が考えたことは、「嘘をつくと、閻魔様に舌を抜かれる」、あるいは、「地獄に落ちて、現生の償いをしなければいけなくなる」ということでもあったようだ。
別の言葉では、「自分の悪行は、子々孫々にまで悪影響を及ぼす」ということが、当時の人々には、きわめて当たり前の認識でもあったようだが、「お金が神様となった現代」においては、「迷信」という言葉で片付けられているのである。その結果として、現在では、未曽有の規模での「マネーの大膨張」や「先進各国の無謀な金融政策」などが実施されているが、今後の注目点は、「神から紙への変化」が発生したときに、「人々の心に、どのような変化が発生するのか?」ということだと考えている。
つまり、「戦後の日本人」のように、「ほぼ瞬間的な価値観の変化」が発生する状況を想定しているが、この時には、「赤木氏と佐川氏の、どちらが正しかったのか?」も明らかになるものと想定されるのである。ただし、この時の注意点は、今までの「常識」や「価値観」が完全崩壊する事態であり、実際には、「信用が完全崩壊した社会において、何を頼りにするべきなのか?」という問題意識が発生する展開である。
そして、過去の歴史を参考にすると、やはり、「目に見えない力」であり、また、「神」や「天」などの信仰とも思われるが、このことが、「文明の交代」の根本的な要因とも想定されるようである。(2020.6.16)
本間宗究のコラムhttp://www.tender-am.com/column.html より許可を得て転載。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔opinion9925:200710〕
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