テレビドラマに現れる変化 日本社会はどこへ向い始めているのか
- 2020年 9月 17日
- カルチャー
- テレビ杜 海樹
テレビドラマ「半沢直樹」が高視聴率を続けているということで話題になっている。銀行が舞台のドラマだが、中間管理職の主人公・半沢が上役の攻撃を跳ね返して「倍返し」するというストーリーが人気の源となっているようだ。これまでにも勧善懲悪のドラマは多々作られて来ているが、大概は、弱い立場の人間が第3者のヒーローに助けられるというスタイルがほとんどで、不利な立場の主人公自身が強者になってしまうという様な設定は無かった。
かつて人気だった「水戸黄門」や「遠山の金さん」、「ドラえもん」や「ポケモン」などは、危機が迫るとヒーロー役が必ず登場して来て悪役を懲らしめ、番組が終了というスタイルであった。弱い人間は弱いままで描き続けられ、弱い立場の人間が途中から強い人間に成長するなどということはほとんどなかった。
ところが「半沢直樹」では、難しい立場の中間管理職の人間が上層部の役員達を相手に奮闘し、追い詰め、勝利してしまう設定となっている。強い中間管理職、争いに勝利する戦うサラリーマンという新しいスタイルのヒーロー像がそこにはある。
他にも近年のテレビドラマで人気を得ているものとして「ハケンの品格」や「ドクターX」等々があるが、「ハケンの品格」では主人公の派遣社員が無能な正社員を追い越してバリバリ仕事をして活躍していく設定となっているし、「ドクターX」でもアルバイト的立場の医師が大学教授を差し置いて困難な手術を成功させてあっと驚かせる設定となっている。最近人気を得ているドラマは、概ね、こうした以前には無かった設定のヒーロー像に支えられている。
この様なテレビドラマの変化をどう捉えるか・・・。テレビなのでどうでもよいと思われればそれまでの話だが、社会構造の変化に伴うヒーロー像の変遷を捉えることで現代社会での期待される人間像、組織変動の方向性といったものも垣間見えるのではないだろうか。
組織内部で起きる変化は、何時の時代でも組織の種別を問わず共通に起きる現象として見て取れる。株式会社、社団法人、NPO、政治団体、行政組織・・・、そして、程度の差こそあれ組合や平和団体も例外ではないであろう。
仮にある企業でリストラが進んだとすれば、問題はその社内だけでは済まなくなり、芸術やスポーツ等の対外支援の縮小、地域貢献等の縮小と進み、平和活動等の協力企業があれば平和活動への人員も割けなくなり、人も予算も回らなくなって行く。そして、空いた穴を埋めるための無理難題が相次ぐようになり、組織的隠蔽や改ざんなども発生し、先細り、組織改革が待望視されることにもなって行く。
そうした状況に陥った時、次代のリーダーの登場、改革の旗手、ニューヒーローが待望視される訳だが、その際に登場してくるヒーロー像がこれまとは大きく違っているという訳なのだ。
かつての「水戸黄門」などは上からのトップダウン改革であり、世の中は良い権力者か悪い権力者かによって道が分かれる、悪い権力者についたら災難というところで話はお終いであった。「ドラえもん」や「ポケモン」なども普通の人とは違う特殊能力を持った者が悪を懲らしめ、「スーパーマン」や「エヴァンゲリオン」なども通常の人間とは異なった特殊能力を駆使する設定で、普通ではない人間が悪と戦って来た。
しかし、今人気の「半沢直樹」などは常に上役から狙われ、危機に面する存在でありながら、職場の仲間と協力し、悪を懲らしめるというボトムアップしていくスタイルとして描かれている。
こうした変化をトップダウンの終焉と見るか、活躍するサラリーマン自体がトップグループの仲間入りをし新しい「黄門様」と化してしまったと見るか、勧善懲悪自体そのものが現実にはあり得なくなり絵空事と化したと見るか、それともトップダウンからボトムアップへの転機にようやく近づいたと見るか・・・。
日本社会がどこへ向かい始めているのか、今後も見定めて行きたい。
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