鳩山首相退陣の意味 ―御用メディアに騙されてはならない―
- 2010年 6月 4日
- 時代をみる
- 半澤健市
10年6月2日に鳩山由紀夫首相・小澤一郎民主党幹事長の心中的退陣が起こった。
この意味を、半世紀あるいは一世紀を遡りことの次第を論じたい。
八カ月前の09年9月に「政権交代」が起こった。二大政党時代の到来と喧伝された政変の本質は何であったか。それは保守の一党独裁が保守二党独裁への衣装替えであった。
《新自由主義にいたる一世紀》
それは「革命」などではないどころか、「改革」Changeですらなかった。それは人々の胸中に蓄積された「失われた20年」からの脱出願望の実現であった。「失われた20年」は、なぜ日本の現実となったのか。それは「新自由主義」路線が現実化したからである。「新自由主義」路線だと明確に自称した政治家はいない。せいぜい小泉純一郎が「改革なくして成長なし」という甘味包装でその路線を呼ばわったにすぎない。
しかし「改革」は中曽根康弘の「行財政改革」から始まっていた。中曽根改革を国際的な文脈でみれば、70年代末からの「レーガン・サッチャー・中曽根」路線の一翼であった。日本では経団連会長で清貧を売り物にした土光敏夫の「メザシ談義」や「国鉄民営化」によって「改革」の成功が定説となった。
20世紀の世界経済を振り返れば、29年恐慌までの30年間、その克服策たるグローバルなケインズ体制―それは「福祉国家」と「世銀IMF」の世界―の40年間、71年のニクソン・ショックで「金ドル本位制」が破綻してからの40年、に三分されると思う。自由主義は、最初の「旧自由主義」と最後の「新自由主義」の60年間、資本主義体制の主要な原理であった。それは古典経済学でいう「自由放任」の別名である。
《「新自由主義」に親和した成功体験》
この国ではなぜ小泉政権に90%の支持が集まりなぜ人々は歓呼の声を挙げたのか。
それは高度成長の成功体験から人々が目覚めていないからである。占領期のあれこれの経緯は略す。51年の平和条約で我々は米国の傘下に入った。次の転回点である60年安保・三井三池に敗れて人々は経済発展を選択した。経済発展が全てというイデオロギーで60年間生きてきたのである。
社長になれる人間は一人なのに全社員が「経営学」の本を読むこの国では、資本主義・経営者社会・労使協調は自明の前提である。しかし資本主義はいつも同じ衣装で現れるのではない。「新自由主義」という衣装は、ケインズ主義へのアンチテーゼなのである。
ケインズ主義的な福祉国家は70年頃から資本主義の足かせに変わり国家の福祉政策は直接間接に企業経営の障害物に転化した。カネ儲けを「天職」とする企業は邪魔者を排除せねばならぬ。「頑張るもの報われる」社会が良い。「新自由主義」の本質を人々はなかなか見抜くことができなかった。
《鳩山政権の二重性格》
鳩山民主党政権を誕生させた「脱出願望」には「新自由主義」に対する二つの正反対な理念と心情が存在した。「未完の改革を推進せよ」と「行き過ぎた改革を停止せよ」の二つである。
前者は新自由主義を奉じて「構造改革」で利益を得る集団である。その集団は、大企業とそれに連なる人々である。それだけではない。おのれの利益になると錯覚している多くの人々がいる。彼らも政権交代に賭けたのである。
後者は「構造改革」で不利益を被る圧倒的に多数の人々である。「派遣労働者」や「後期高齢者医療制度」や「障害者自立支援法」の対象者である。彼らは「構造改革」が、自分たちの利益にならぬことを実感し始めた。そして政権交代に賭けたのである。民主党政権の支持基盤の二重構造は今後も様々な内部矛盾を顕在化していくであろう。
《「普天間問題」も「逃げまくり」の帰結》
鳩山首相、小澤幹事長辞任の直接の引き金は「普天間米軍基地」と「政治とカネ」であった。後者も重要だが今回は触れない。
「日米同盟の堅持」は社共両党を除く主要政党では自明の前提として主張された。
「日米同盟」の背後には多くのテーマがある。戦後日本は、「日米同盟」体制のもたらす問題の真の解決―その「非軍事化」―から逃げまくっている。防衛問題の基本構図は、軍隊を持たず交戦権のない平和憲法下で、日本がどのように自衛権を行使するかという古くて新しい問題である。現実政治は次の矛盾を抱えながら進行した。
一つは、「平和憲法」の下で自衛隊を持つ矛盾である。
二つは、違憲である「自衛隊」が「日米同盟」下で海外派兵する矛盾である。
政治は「現実的対処」といいながらこれらの矛盾を容認してきた。
防衛は基本的には日本の問題である。しかしそれが日米の不平等な関係に閉じ込められていることこそが解決を要する課題なのである。その起源は51年の対日講和条約とその背景をなす冷戦構造に発している。
《鳩山の善意は認めたいが政治は結果だ》
米国の圧力で締結した「講和」は「安保」と一体であった。「安保」は結局のところ米国保護下の経済成長に連結した。遂には「新自由主義」と結合するのである。親方アメリカはドルの支配によって「世界の警察官」であり続けた。多くの場合、警察官は同時に侵略者でもあった。
普天間問題は従属的な日本外交に「疑念」を感じた鳩山由紀夫の行動であった。
しかし修羅場を知らぬ政治家鳩山の不用意極まる行動でもあった。その背景には、プラス要因として沖縄県民の抵抗精神があり、マイナス要因として本土国民の観客民主主義があった。鳩山の行動は「普天間固定化」に終わりつつある。政治家として万死に値する不始末である。
《問題の矮小化に騙されてはならない》
ことの本質は「日本国民をバックにした対米交渉」か、「米国の力と日本の官僚をバックにした沖縄県民への抑圧」かである。政府は「日米同盟の重要性」を理由に後者の方針を貫いた。その構図の転倒性を鳩山由紀夫は自覚していたと言っている。その善意を疑いたくない気持ちが私にもある。だが政治は結果責任である。
日本政府がつねに国民のために行動していると考えるのは誤りである。沖縄を65年間放置したのは外交の日米合作であり、内政としてみれば放置は政府と本土国民の合作である。
経済問題でも構造は同一である。多国籍大企業の利益のために政策が形成されるか人々の利益のために政治が動くのか。ポスト鳩山の政治劇は上記の基本構図から見ていきたい。
永田町の廊下トンビがテレビで政治家の人間関係と権力闘争を面白く語っている。御用メディアによる問題の矮小化に騙されてはならない。
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