日本社会に根強い「家族」「性愛」の慣習とは? ―山田昌弘『日本の少子化対策はなぜ失敗したのか?』を読んで
- 2020年 10月 1日
- 時代をみる
- 少子化池田祥子
- 子は成人したら親から独立して生活するという慣習(若者の親からの自立志向)
- 仕事は女性の自己実現であるという意識
- 子育ては成人したら完了という意識
TBSのテレビドラマ「半沢直樹」が、7年ぶりの続編も高視聴率のままこのほど完結したという。2013年放送の前作最終回の平均視聴率は42.2%、平成のドラマ史上第1位だったそうだ。今回の続編も20%を超える高視聴率が続き、最終回の平均視聴率は32.7%だったと。
日頃、テレビドラマをほとんど見ない私は、それでも前作は何回か気まぐれに見ていたし、堺雅人の「倍返しだ!」の決め台詞も耳に残っている。続編終了後、「半沢直樹ロス」などと騒がれているのを見ると、ほんの1、2回だけでも見れば良かったかな・・・とミーハー的に思ったりしている。
たまたま9月29日、朝日新聞の「耕論」誌面で、‟「半沢直樹」に何を見た”というタイトルで3名の論者の意見が掲載されていた。
その中で目に止まったのは、
― 「半沢」のストーリーは、時代劇の王道そのものです。・・・いくらテクノロジーが進化しても、世の中のありようや人間のすることは古来あまり変わらないものだと思います。(ペリー荻野・コラムニスト)
― 専業主婦の妻と飲み屋のおかみに支えられた昭和的なサラリーマン男性の自己実現物語を令和の時代になってもまだ癒やしにできてしまう層と、「あれは時代劇だから」とそれをニヤニヤ眺める層が・・・ありました。(宇野常寛・評論家)
― 「社畜な男」に「支える女」って時代劇か、という批判はその通り。でもそれがまだリアルそのもの、という人も日本にたくさんいます。(常見陽平・千葉商科大准教授)
以上、図らずも三者は、‟平成の30年間は、さまざまな「改革」を掲げはしても、・・・どれも空回りし、結局は昭和的価値観が生き残った”(宇野常寛)という認識に落ち着き、それゆえに「半沢」もまた多くの「日本人」が安心して楽しめたのだ、という分析で一致しているようだ。
今回、山田昌弘の『日本の少子化対策はなぜ失敗したのか』を読みながら感じたことは、何と、上記のテレビ「半沢」をめぐる状況や分析と奇しくもピッタリ重なるではないか。この辺りを、少し述べてみたいと思う。
「少子化=人口減少」の現実―何を憂うるのか?
言うまでもなく、日本の少子化対策は1990年、前年の合計特殊出生率が丙午の年よりも低かった!という「1.57ショック」の警鐘とともに始まった。合計特殊出生率が2.07を上回れば人口は増大し、それを下回れば減少するというのである。国力とは少なくとも、「人口維持」が前提なのであろうか。それ以降、1990年代から2000年代にかけて、いわゆる「少子化対策」は次々に打ち出されてきた。
ところが、あの手この手の「対策」に反して、2005年に至るまで、日本の合計特殊出生率は徐々に下降し、ついに最低値1.26を記録したのである。だが、この後は、徐々に微増の傾向を示し、2018年は1.42となっている。下降傾向が中断したことで、政策担当者は危機感を薄めたのかもしれないが(山田、p.34)、実はこれは、この間の団塊ジュニア世代の出産時期と重なっていたためだったようだ。事実、この微増する出生率の裏側で、進行する若者たちの「未婚化」によって、子どもの出生数自体は徐々に減少し、2016年100万人を切り、2018年には、さらにこれまでの最小値である918,397人となっている。一方で増大する高齢者の死亡者数と相まって、2008年辺りから、日本の人口全体の減少が始まっている。このように、政策の努力?にもかかわらず「少子化」は喰いとめられてはいない上に、今では「少子化=人口減少」をもたらしているのである。
さて、この現実をどう見るか?である。
確かに21世紀の現在、先進国と言われる欧米の各国では、おおよそ「少子化」傾向は当たり前に継続している。だが、「少子化対策」に積極的に取り組んだフランスやスウェーデンでは、それぞれ1.92、1.85(いずれも2015年)と、人口維持レベルをほぼ回復するまでに至っている。一方、日本や東南アジア並みの低い出生率のままのドイツやスペインでは、大量の移民を受け入れることによって、国内の人口減少=労働力不足を喰いとめている。
ここで、2004年に刊行された赤川学の『子どもが減って何が悪いか!』(ちくま新書)のタイトル通り、「少子化」も「人口減少」も時代の流れであってみれば、何をジタバタ慌てることがあろう、その中で生きる術を考えるべきではないか、とある種の「開き直り」も可能なのかもしれない。
しかし、日本の「少子化」が、増大する非正規労働による個々人の経済力の低下や、安価で十分な住宅政策の不備によって、親元に依存する「パラサイトシングル」(山田昌弘)の増加や、現在ではそれが嵩じて、息子や娘が親元に引きこもる「7040」「8050」問題まで発生させている。その意味では、現在の日本の「少子化=人口減少」は、どこか人間や社会の「病」と無関係ではなさそうである。その意味では、単純に開き直る訳には行かないのではなかろうか。
山田昌弘の主張したいこと
基本的には、これまでの日本の少子化対策が、どちらかと言えばフランス・スウェーデンなどをお手本として、「女性の労働と育児の両立」を掲げ、認可保育所の増設や待機児童の解消に力を注いできた。しかし、それは日本の現実を直視した上で、それに応じようとするものではなかった、と山田昌弘は批判する。
もっとも、その点では、2013年の松田茂樹『少子化論』(勁草書房)が、早くも「少子化論のパラダイム転換」を主張していたことと重なることではある。
松田茂樹は次のように述べていた。「若年層の雇用の劣化により結婚できない層が増えたこと、及びマスを占める典型的家族において出産・育児が難しくなっていることがわが国の少子化の主要因である。」(p.225)
以上の指摘に重ねて、山田昌弘は、少子化対策が結局は「欧米固有の価値意識を前提」とし、「落とし穴にはまってしまった」と、次の3点を挙げている。
(もっとも、①と③は子と親の立場が変わっているだけで、ともに「親と子の自立した関係」を言い表している。)
そして、山田昌弘は、「スルーしてしまった」「日本固有の価値意識」を重視すべきと述べる。①「リスク回避」傾向 ②「世間体重視」 ③子どもへの強い愛着(p.66)
確かに、冒頭に述べた通り、日本社会には根強い固有の価値意識や慣習が生き続けている事実には、目を塞ぐわけにはいかない。しかし、「結婚」とは男の生活力の見定め、「恋愛」はリスク、と思われている現実が、はたしてそのまま肯定されてよいのだろうか。それらの意識や慣習が依って来たる社会的な根拠を、しっかりと見定めることが必要なのではないだろうか。
戦後の「性別役割家族」の結果としての「少子化」
1「家」制度を残し続けた戦後の核家族
表向きには、確かに明治以来の「家」制度は廃止された。しかし、問題の多い「戦後民主主義」と同じく、戦後の家族には、さまざまな「家」制度の残滓がくっついている。
「男女平等」は掲げられはしたが、「家族」の中では「男=主人」が中心に据えられ、「女=妻」を扶養するものとされた。したがって、戦後家族に於いては、女の生活は、基本的には、自らの労働によってではなく、夫の経済力によって支えられる。
このような戦後家族を社会の核にしている限り、「世界経済フォーラム男女平等度ランキング」で、日本は153カ国中121位(2019年)というのは、恥ずかしくはあるが、ある意味では必然の結果なのだろう。
「男女雇用機会均等法」は、1970年代の二度に渡る「オイルショック」を切り抜けた1985年に制定された(施行は86年)。しかし、周知の通り、「総合職」と「一般職」の二つのコースが設定され、女性の多くが、無難な「一般職」に流れたのである。「家族」のあり様が変わらない限り、日本では、「女性の働き方」は「改革」されない。しかもご丁寧に、同じ1985年、家庭の妻は「第3号被保険者」と優遇され、86年には、「配偶者控除」(1961年)に加えて、さらに「配偶者特別控除」までが制定されている。
2 戦後家族の中の「母と子」の依存関係
家族を経済的に支えるとされた男たちは、責任上、懸命に「働き続けなければならない」。一方、夫の給料と、社会的なさまざまな主婦の優遇政策が与えられる妻には、同じくそれだけの「働き」が要求される。つまり妻は「母」として、「子どもを育てること」に集中しなければならなくなる。
問題の多い戦前の「家」制度下ではあっても、一面では、地域的・空間的に大人たちや子どもたちが大勢たむろしていたことは着目されていいだろう。子どもが関わる大人は、意外に広がりを持っていたのである。しかも、「子ども時代」は短くて、10代の半ばには、長男以外、大抵の子どもたちは親元を巣立っていた。
このように考えると、母親が、「必要以上に」子どもに関わり、成人してもなお「母親」としての責任を果たそうとする日本の「母子関係」は、明らかに制度によって強いられたものである、と言うしかないであろう。
3 不安定な「非正規労働」の拡大
1950年代半ばから始まる高度経済成長時代は、1973年、「オイルショック」で幕を閉じる。さらに「第二次オイルショック」(1979年)を通過した1980年代には、当然ながら「先行き不安」の影が過り始める。労働者の「年功序列」「終身雇用」の慣行も、このまま「行け行けドンドン」とは行かぬ気配が漂い始めるこの同じ1986年、何と「労働者派遣法」が制定されている。
初めは、専門的労働者に限定されていた「派遣労働」も、やがてバブル経済の崩壊(1992年)、アジア金融危機(1997年)、リーマンショック(2008年)などが続き、世界経済はもちろん、日本経済が停滞期に入って行くこの間、「派遣労働」は「非正規労働」として拡充し、若年層にまで浸透していくのである。
主婦たちが、生活は夫の給料で賄いながら、パート労働=非正規労働に従事していた構図とは逆方向ながら、非正規労働に従事せざるを得ない若者たちは止むを得ず、家庭=親元から離れるわけには行かなくなる。こうして、「パラサイトシングル」は、トータルな生活保障(住宅保障も含む)を無視する日本の経済政策の結果と言わざるをえない。「7040」「8050」問題も、この延長上であるのは言うまでもないだろう。
4「命の基本としての性」を直視しない戦後日本の文化―「性愛」の不在?
「性別役割」を期待する日本の結婚制度では、女は「男の経済力」を見定め、男は「女の姿形および家事力」を当てにする。お互いに現実的な「役割」を求めたのである。その意味では、戦後日本の「恋愛結婚」は「似非恋愛結婚」でしかなかったかもしれない。
いったん結婚した後は、互いに「お父さん、お母さん」「パパ、ママ」と呼び合い、親役割に徹してしまう。したがって、家庭内では「性」の話題はタブーとなる。学校でも性教育は余りにも形式的であるため、子どもたちは、折角の「性」を語ることも経験することもないままに大人になっていく。「性愛」の不在は、やはり居心地のいい「社会」を生み出さないのではないだろうか。(不十分ながら、とりあえず完)
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔eye4770:201001〕
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