ヤンゴン在住のC子さんへの手紙
- 2020年 10月 21日
- 評論・紹介・意見
- 野上俊明
C子さんは東京外語大のビルマ語科を卒業するとすぐに発展途上国の某農業支援NGOに就職。その後その組織のミャンマー駐在員となり、軍政下のミャンマーに深くかかわるようになります。やがてミャンマー人男性と結婚し、いまは二人のお子様を育てつつ、ヤンゴンでミャンマー女性たちの自立支援事業に携わっています。筆者とははじめレストラン店主と顧客という関係でしたが、筆者帰国後文通するようになりました。
メールのご返事拝受いたしました。あなたにお送りした10/12付の朝日新聞の記事「中国へ消えていくバナナ 農園拡大、住民の体には異変が」に対して、あなたは責められるべきは地元のミャンマー人なのか、ミャンマー人に罪はあるのだろうかと自問なさっています。このことについて、うまくお答えできるかどうかわかりませんが、少し考えてみましょう。
まず、朝日新聞特派員による調査報道の記事ですが、大意を改めて記しておきましょう。
――今、中国と国境を接するミャンマー・カチン州で、急拡大するバナナ農園に対する地元農民から反対の声が高まっているという。農園を経営する会社は40社ほどもあるというが、農園の実質的な経営者はすべて中国企業であるにもかかわらず、ミャンマー人名義であるため必要な登録を免れている。(そのことにより外国企業であれば課されるはずの高い税金や役所からの監督監査を免れているのであろうー筆者)。
彼らの展開するプランテーションによって、いま土壌汚染や農業労働者・住民の健康被害が広がっており、地元では不安や反対の声が上がりつつあるという。農園での仕事は12時間の重労働で賃金は夫婦二人で月約1万7千円。バナナの栽培には強力な農薬や化学肥料が使用されるため、農業従事者は軒並み健康被害を訴えているという。池や川で魚が浮いたり牛が死んだりする事例もあり、井戸水を飲んで体調不良を訴える人も出てきている。農作業を指図する中国人たちは、農薬散布時期になると健康被害を恐れて中国へ帰ってしまうのだそうである。
住民と環境保護団体が協力して州政府に訴えるが、門前払いにあう。州政府はバナナ農園の環境・健康被害は誇張されたもので、農薬が原因だという明確なデータもないとにべもない。しかしカチン州は貧困地域なので、バナナ農園をなくしたらまたもとの極貧地域に戻ってしまう。政府軍と少数民族軍KIO(カチン独立機構)との内戦状態が集結し、中国やKIOに左右されないカチン州独自の産業が生み出されないかぎり問題は続くと、地元の若いジャーナリストの言で記事は結ばれている。
それであなたもヤンゴンでカチン州の映像をご覧になられたとか。
「最近、このバナナ園の別の話をチラーっと何かの映像でみました。運搬のためにか大きないくつかの水槽に薬を入れて3槽くらいにじゃぶじゃぶとバナナを漬け込んで行くのですが、その水槽に労働者が入って作業しているのです。そして川にはやはり魚の死骸が・・・」
おそらく殺虫剤や防腐剤による処置なのでしょうね。じつはバナナではないですが、私も住まいのあったヤンゴン・ツワナ区近くの水産加工場で似たような光景を目にしたことがあります。屋外の作業場で、多くの作業員が大量の淡水養殖魚を中国向けに加工出荷しているところでした。50センチほどの黒い魚を真っ赤な溶液に漬けて水揚げするのですが、空気に触れた途端黒い魚が真っ赤な魚に変身するのです。度肝を抜かれました。おそらく染料液にはがんを誘発するような有害な成分が混じっているに違いありません。赤い魚は黒い魚より高く売れるー劣悪な健康・衛生観念、目先の金のためならなんでもやる貪欲さには恐れ入りました。
ミャンマーの地を離れてから10年、現地の事情にはだんだん疎くなってきています。それで細かなファクトはさておき、この問題の背景にある歴史的社会的なある種の法則性について原理的な視点で考えてみようと思います。
いまミャンマーなどの発展途上国が共通に抱える深刻な問題は、いわゆるland grab(農地の強制収用)の問題です。役所がインフラ整備などの公共事業のために用地が必要になった場合、農地をただ同然で収用し、関係住民を無慈悲にほっぽり出すという事態が、ベトナムはじめ東南アジアではいぜん横行しているのです。もう20年ほど前になりますが、ベトナム戦争の英雄ボ―グエンザップ将軍は最晩年に共産党のこうしたやり方を憤り、何のために我々は解放戦争を戦ったのかと外国人記者に嘆いて見せました。―ミャンマーでは軍政時代は新自由主義に先駆けて(!)、土地に限らず公的資産の民営化ならぬ私物化が半ば公然と行われていました。
軍政時代はミャンマーでも、軍やクロ―ニ―企業が必要と考えれば、そこが住宅地であろうが農地であろうが農民たちに、「二週間以内に立ち退け、違反した場合は逮捕する」と告知すれば済みました。人権も生活権もあったものではありません。いえいえ大昔の話ではありません、7、8年前日本が官民一体で大々的に開発に参与している「ティラワ工業団地」の造成の際も、ヤンゴン政府は長くタンリン地区に暮らしている農民たちを紙切れ一枚で追い出そうとしました。このときもし日本の国際NGOである「メコン・ウオッチ」が介入しなければ、多くの農民たちは路頭に迷うことになったでしょう。「メコン・ウオッチ」は、「ティラワ」開発の主体であったJICAや日本企業コンソーシアムの責任を追及、ヤンゴン政府にも圧力を及ぼして、ついに移転補償や代替地など不十分ながら実現させたのです。国際市民社会のエージェントが一国内での内政問題に関与して、生活再建補償を勝ち取るという画期的な成果を上げたのです。首都圏での出来事であるにもかかわらず、このとき―まだテインセイン政府―この重大問題にスーチー女史もNLDもいっさい関わることはありませんでした。
そもそも問題の根源は、旧社会主義国では土地は国家のものであり、農民個人には所有権や耕作権がないことにありました。ミャンマーでもつい最近まで農民たちは米作を強制され、自由に作物を栽培することも販売することもできませんでした。その後スーチー政権になりましたが、土地収用をめぐる紛争は相変わらず続いており、現時点では新たに制定された土地に関する法律は、かえって零細農民から土地を奪い取る結果になっているのではないかとの話も聞きます。私が帰国する前後でもクロ―ニ―企業であるユザナ・グループらにより、キャッサバ、バナナ、パームオイル栽培のための土地収用がミャンマーの辺境地域で進んでいるという情報も目にしました。南部タネンターリ地域の熱帯雨林も伐採の憂き目にあうのではないかと危惧したことを憶えています。
こんにちグロバリゼーションの大波とともに広がっている、アグリビジネスと呼ばれる工業式大規模農法は、CO2の排出など地球環境悪化に拍車をかけているとされ、その面でも国際環境団体から強い批判を受けています。いずれにせよ、ミャンマーの農業問題の抜本的解決のためには、民主的な土地改革を進めることが不可欠なのですが、国軍との対決を避け融和路線を取るスーチー政権に抜本的解決を求めるのは無理でしょう。(ヤンゴン市内の広大な一等地が軍有地になっていることを、ほとんどの外国人は知らないでしょう)
私がスーチー女史の改革派政治家としての将来に見切りをつけたのは、もう7,8年前のこと。いろいろありますが、決定的だったのはレッパダウン銅鉱山開発の推進役に彼女がまわったときでした。中国の国営軍需企業「万宝」系の企業とミャンマー国軍系の企業「ウーパイ」の合弁事業として、十数か村の農民たちや僧侶たちの反対意思と実力闘争を押しつぶし、事業開始にゴーサインを出したのはスーチー女史でした。こんにちレッパダウン地区は露天掘りの銅採掘のため、月面よりも何十倍もひどい様相を呈する大規模な環境破壊が行われ、銅精錬のため環境汚染が進行しているといわれています。農民の死活的利益を踏みにじり中国と国軍に妥協したところから、ロヒンギャ問題を審理する国際司法裁判所で国軍を擁護するにいたるところまでは一瀉千里であったのです。墜ちた偶像という言葉がありますが、この言葉がこれほど見事に当てはまる事例はまれといってもいいでしょう。
Natural Resource Governance Institute より。2015年時点での採掘現場。硫酸を使った銅精錬の及ぼす破壊作用は、谷中村全域同様肥沃な大地を死の世界に変える。
ミャンマーの農業振興のためには、土地改革のほかの灌漑や農道整備はじめとする農業インフラへの資金投入、農民が利用しやすい農業金融の制度設計、品種改良や栽培技術の向上などをバックアップする強力な農場試験場の立ち上げ、農業大学はじめとする教育機関の設立などいろいろあるでしょうが、とくにここで強調したいのは農業協同組合(生産と消費含む総合的な)の組織化推進です。
協同組合といえば、ミャンマー人にとってネーウイン社会主義の官製組織であり、搾取と抑圧の機関でしかなかったことは百も承知しております。私がミャンマーに行った1998年にはまだヤンゴン各所に協同組合の販売所があり、商品は安かろう悪かろうの代名詞のようなもので、すでにミャンマー人からは見放されておりました。しかしあなたもNGOで苦労されたのでお分かりでしょうが、現状の零細な農民たちの多くはそのまま放置すれば、グローバル資本やクローニー企業の餌食になるほかありません。彼らの窮状を救い、農業の近代化を進めるためには現在の孤立し零細で無力な状態から脱すべく農民が農業協同組合を自ら組織していくことが重要です。相互扶助をうたう協同組合の本来の趣旨を取り戻し、様々な共同事業に組合員として能動的に参加してもらうことです。とかく農業の技術指導に偏りがちだった海外からの援助を見直し、農村生活と農業に必要な物資の共同購入、トラクターなど大型農機具の共同利用、農業金融の充実、農産物の販路開拓、農業情報や知識の集約と普及など、農村を活性化させる自主的な組織として育て上げるべく援助していくことをめざすべきです。
11月にはコロナ禍の中で総選挙が行われますね。5年前と違ってすでに多くの少数民族地域では反スーチー、反NLDで固まっていると聞きます。ビルマ族仏教徒が大半の農村部ではNLD支持は動かないとされますが、大都市部わけてもヤンゴンで88世代の流れを汲む「人民党」や「人民先駆者党」が議席獲得なるかが注目されますね。「人民先駆者党」はこの間までNLDの幹部だったテテカインという有名な起業家が、独裁的な決裁者だとしてスーチーNLDに公然と反旗を翻し結成されたもので、総選挙に大々的に打って出ることになっています。国際ニュースのトピックスになるような動きが起きるのかどうか、しずかに期待して待ちたいと思います。あわせてお隣のタイの青年学生の勇気ある行動にも注目しているところです。
長引く外出禁止令でなにかとご不自由でしょうが、くれぐれもご自愛のほどお願い申し上げます。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
〔opinion10220:201021〕
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