ボルトン前米大統領補佐官の「遠攻近交」策を論ず
- 2020年 10月 24日
- 評論・紹介・意見
- 岩田昌征
前米大統領安全保障担当補佐官 John Bolton ジョン・ボルトンとのインタビューを『朝日新聞』(令和2年・2020年10月2日)の紙面で一読。
「――中東やアフガニスタンからの米軍撤退にもトランプ政権は前のめりです。」という聞き手の問に答えて、ジョン・ボルトンは語る。
「なぜ米国は世界の多くの場所に米軍を送っているのか。前方展開は米国の安全に欠かせない『保険』だからです。米本土の海岸線や隣国との国境に兵を置いて守るわけにはいかないのです。それを自国民にきちんと説明するのは政治リーダーの責任です。それを怠るから米国の世論がますます撤退論に傾くのです。」(強調は岩田)
これは、米国の軍事的世界戦略に関する正直な定式であろう。
日本市民社会が肯定し、日本常民社会が違和感を拭いきれない「日米同盟」なるものもかかる米国の前方展開戦略の必須の一環である。
前方展開が米国の安全にとって「保険」であるからには、日本国は、米軍基地の日本国内存在許容に対して保険料を支払ってもらう権利がある。仮にボルトン氏が米大統領になれば、基地使用料を日本国に支払い、「おもいやり予算」廃止を受け容れてくれるのであろう。
今日、米中対立の軍事的反映として、米国、豪州、印度、日本の軍事協力強化が進められている。米国の前方展開の最前線に日本とインドというアジア人の二大国が位置付けられている。印度は中国と陸上の国境問題を、日本は中国と海上の国境問題をかかえている。更にまた、日本はロシアとの間に北方領土問題をもかかえている。それ故、米国の対露前方展開戦略の最前線にも日本は位置付けられている。最前線とは、直接戦火の危険度が一番高い地帯である。そして、最前線から最も遠い米国が直接的戦火の危険度が最も低い地域となる。このような構図は、陸海空のほかに戦域Theater of Warとして宇宙とサイバー空間が加わろうとも基本的には不変であろう、より錯綜化するにしても。
かつて、外交軍事関係の古典的一般常識として遠交近攻策が語られていた。隣国同士の間には具体的にして深刻な諸利害の対立があるが、遠方諸国とはそれが少ない。それ故に、遠い国と親しくして近い国を攻め取ろうとする政策である。
甲、乙、丙、丁、戊、・・・と多くの国々があるとしよう。各国は、夫々有限の攻撃能力と交際能力を有する。甲にとって乙は近国であり、攻撃力の範囲にある。そして、丙は遠国であるが、甲の交際力の範囲に入る。丁と戊・・・は、攻撃力の外かつ交際力の外である。同様に乙にとって、甲と丙は攻撃力の内、丁は交際力の内、戊は攻撃力の外かつ交際力の外。地球は丸く有限だ。多くの国々は、夫々自国の近攻相手と遠交相手、そして無関係諸国を有する。そんな網の目にからみとられる。かかる網の目、ネットワークが平衡状態、バランスオブパワーに収斂すると主張された時代があった。
ところが、アメリカは、遠交近攻策を取らず、遠攻近交策を取る。「世界の多くの場所に米軍を送っている」し、「米本土の海岸線や隣国との国境に兵を置いて守るわけにはいかないのです。」とは、遠攻近交にほかならない。これは、アメリカの攻撃能力が無限大になったが、交際能力は有限のままである事を物語っている。
多くの国々が遠交近攻の能力しかなく、アメリカだけが遠攻近交の能力を有している世界状況において、アメリカの優位は完全に保証される。アメリカがある国を仮想敵国と想定すれば、その国の近攻諸国は、自動的にアメリカの同盟国になるからだ。その国の遠交諸国がその国を守る義務は、「交」の概念に不在である。アメリカの側に立ってその国を攻める事はないと言うだけである。
第二次世界大戦期の日本もドイツも遠交近攻であって、近隣諸国を攻める事はできたが、アメリカに攻め込む力はなかった。第二次大戦後のソ連は、アメリカを攻撃する能力はあったが、近隣諸国を「交」に引き込む交際能力に欠けていた。いわば遠攻近攻の不安定な状態にあった。米国との持久対抗力に不足していた。
現在の中米あるいは米中の敵対関係は、米国の遠攻近交と中国の遠交近攻の対抗と見るならば、上述の推論に従えば、中国に利あらずと言うことになろう。しかしながら、米国に利あると言うことは、米国の同盟諸国、特に日本や印度の利である事を意味しない。真逆だ。正反対だ。日中と日印の近攻が米国の遠攻と同時に実行されれば、最大最悪の被害国は、日印であって、中国ではなかろう。自由のために死すと覚悟を定めた日本市民や印度市民は存在するとしても、圧倒的多くの日本常民や印度常民は、中国によって二千年の日本文化と四千年の印度文化がおびやかされているわけでもないのに、現代的な余りに現代的な相互的近攻の渦中で犬死しようと思う訳がない。
日本常民の希望は、日本が真の自衛軍事力と平和外交力を涵養し、中印間の紛争解決の一助となることだ。また、印度常民も印度の実力が発揮されて、日中間の紛争解決の一助となれる事を望むはずだ。更にまた、中国常民も中国が超大国になった時に、遠交近交の姿を自国に見出したいはずだ。
令和2年10月22日(木)
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
〔opinion10230:201024〕
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