新聞メディアを通して沖縄の民度と東京中心の民度の落差を考える
- 2011年 6月 14日
- 時代をみる
- 伊藤 成彦
1.在日米軍属の飲酒轢き逃げ不起訴に対する沖縄あげての怒り
四月二〇日から二五日まで沖縄を訪ねた。沖縄はこの時期、復帰三九年目の5・15を前にしているが、県知事選は昨年十一月にあり、政治的に特に大きな動きはない。そういう沖縄で日刊新聞を見ると、東京で見る全国紙の「民度」との大きな落差に改めて目を引かれる。例えば、四月二一日の朝、『沖縄タイムス』と『琉球新報』の二紙を開くと、米上院軍事委員長の沖縄来訪に対する沖縄県議会の迎え方が報じられている。米国上院の軍事委員長が来日すれば、当然先ず東京に来て、首相や外相を訪問することであろうが、「全国紙」ではそのような報道は見ない。一方、沖縄では、仲井真弘多知事は四月二七日に会うことが決まっているが、県議会の高嶺善伸議長と玉城義和副議長がカール・レビン軍事委員長に会って、「普天間飛行場の国外・県外移設を求める意見書や日米共同発表の見直しを求める意見書などの英訳文を手渡し、いずれも全会一致で可決したことを説明。県内移設断念を求めて議会も一丸となっていることを直接伝える意向」と『琉球新報』は報じている。
また『沖縄タイムス』も、県議会代表者会での討論について、「米国には日本の外務・防衛官僚からの情報しか届いていないといわれている。こういう機会にしっかり沖縄の実情、思いを伝える機会をつくるべきだ、など、会談の実現を求める意見が相次いだ」と、普天間基地の国外・県外移設を求める沖縄県議会の一致した切実な思いを伝えている。
この記事と並んで、もう一つ米軍基地関係で目を引かれたのは、今年一月に沖縄市で基地内の「公的行事」で飲酒した米軍属が、基地外の自宅に車で帰る途中に日本人青年を轢いて死亡させたが、米側は「公務中」を理由に身柄を日本側に渡さず「不起訴」として帰国させた事件の記事だ。
『沖縄タイムス』によると、四月二〇日の衆議院外務委員会で松本剛明外相が、「米国の処分結果は遺族に報告させるように米側や関係省庁と調整したい」と答弁したことを報じている。この答弁から分かることは、外務省も外相個人も、米国政府がこの米軍属を帰国後にどのような処分したかについて全く調査をしなかったことだ。
『琉球新報』(四月二二日)は、すでに三年前に起きた全く同様な事件を取り上げ、「悔しさだけが残る/遺族、怒りあらわ」という見出しで、次のような遺族のインタビューを掲載している。
「2008年8月にうるま市でオートバイを運転していた那覇市の男性=当時(38)=が米海軍所属の女性=当時(23)=の乗用車にはねられて死亡した事故から3年が経過しようとする中で、外務省は米兵の処分内容の通報を受けておらず、また米側に照会もしていなかった。いまだ米兵に対する処分が明らかにされていない現状に男性の妻(43)=那覇市=は『何の処分もないと悔しさだけが残る。やりきれない』と怒りをあらわにした。米兵の『公務中』を理由に米側に第一次裁判権が移った後にも、米側からは遺族である妻に対しても何の連絡もない。(中略)米軍属の男性が『公務中』を理由に不起訴となった1月の死亡事故については『人ごととは思えない。夫の事故から3年もしないうちの同じような事故、考えられない』と怒りで声を震わせた」。
全く非道で、許しがたいことだ。そして、米軍基地のあるところ、このような非道で、許しがたい事件が絶えない。しかもこうしたことが、「抑止力」だの「防衛」だのという名目の陰に放置される。1月の「飲酒轢き逃げは公務だから不起訴」とした事件は菅内閣の下で起きた。菅首相をはじめ内閣の面々は、こうして失われた命をどう考えているのか。それでも在日米軍基地を市民に押しつけ続けるつもりなのか。
『琉球新報』と『沖縄タイムス』は、筆を揃えて県議会の「米軍属不起訴」に対する「抗議決議」を伝え、北谷町議会では二五日に臨時議会で「日米地位協定の抜本的改正を求める意見書と決議を提案、議決する見通しを伝え、同時にその両案に、「復帰から39年がたっても続く米軍の治外法権的な特権に強い怒りを覚える」との指摘があることも伝えている。沖縄議会の怒りは当然だ。なぜ、日本政府、議会は怒らないのか。
2.『集団自決』への『軍関与』を確定した最高裁判決報道の大きな相違
23日、土曜日の朝、『琉球新報』を手にして先ず目を引かれたのは,「軍関与認めた判決確定/『集団自決』めぐる岩波・大江訴訟」と第一面上段に最大活字で横一杯に広がる黒地白抜きの見出しだった。
『琉球新報』のこの記事のリードを引用すると、「沖縄戦で旧日本軍が『集団自決』(強制集団死)を命じたとする作家大江健三郎さんの著書『沖縄ノート』などの記述をめぐって、座間味島元戦隊長の梅澤裕氏や渡嘉敷島戦隊長の故赤松嘉次氏の弟、秀一氏が名誉を傷つけられたとして、大江さんや版元の岩波書店を相手に出版差し止めなどを求めた上告審で、最高裁判所第一小法廷(白木勇裁判長)は22日、一、二審に続き、上告を棄却した。これにより軍関与を認めた一、二審判決が確定した」という判決の記事だ。
この判決は、『沖縄タイムス』でも、「軍関与の判決確定/『集団自決』訴訟」という見出しが『琉球新報』同様に第一面上段に最大活字の黒地白抜きで横一杯に掲げられている。そして両紙とも、この判決の記事は一面だけでなく、その後ろの面でも様々な角度から取り上げられて最終社会面に至るが、両紙とも二五・二六面を二面ぶち抜きにして『沖縄タイムス』は、「史実守り抜いた/『強制』語り継ぐ」という最大活字の黒地白抜きの見出しを立て、『琉球新報』も同様な形で、「守った沖縄戦の真実/『軍命』記述に追い風」という見出しを掲げている。
両紙の二五・二六面を埋める記事の中見出しは、「沖縄戦の実相認める」「亡き肉親に決着報告」「身を削る出廷実を結ぶ」「体験者『全国に知れた』」「基地も転機に」「検定意見撤回へ動き加速」等々と、この判決が持つ意味の重さ、広さを伝えている。
沖縄の二紙がこれほど大きく、深く取り上げて伝えた最高裁判決を日本の「全国紙」はどのように取り上げたかと思って調べてみると、一面で報道した全国紙は一紙もなかった。朝日新聞は三九面の社会面で「集団自決『軍関与』確定/沖縄ノート訴訟最高裁が上告棄却」という三段見出しで報じ、毎日新聞は二七ページの文化面で、「『軍関与』認定判決が確定」と三段見出しで伝え、論評しているが、その他の全国紙にはない。地方紙では、私が日常的に見ている東京新聞と神奈川新聞はそれぞれ報じていた。
こうした沖縄の二紙と全国紙を比べて不思議に思うことは、報道した全国紙でも「集団自決への日本軍関与の真偽」が問われた裁判の最終審の判決をまるで沖縄だけのローカルな事件であるかのように扱っていることだ。しかし、沖縄「守備隊」の日本軍が島の住民を集団自決に追い込む形式は時と場所で異なるにせよ、軍隊は「国を守る」ので、住民の人権・生命を守るべきものと考えていなかったことは、古くは日本帝国軍隊を、近くは在日米軍を見ればよく分かる。
つまり、「集団自決への『軍関与』」裁判は、決して沖縄のローカルな問題ではなく、かつての「皇軍」から現在の自衛隊、米軍と、およそ「軍」という公的な武装集団の本質が問われた裁判なので、平和・人権・生命を大事と思うメディアは全て1面で取り上げるべき問題だ。だから、その面で、沖縄紙と全国紙の落差は、日本のメディアが現在、如何に衰弱し、形骸化しているかを如実に示すものに他ならない。
3.九万人集会から1年の沖縄メディア
4月25日は、昨年の4月25日に、普天間基地撤去と辺野古への基地新設に反対して九万人を越える沖縄市民が大集会を開いてから丸一年だった。それですでにその前日の二四日から、「県民大会1年」の見出しが掲げられ、『琉球新報』は一九日から二二日にかけて県内の四一市町村の首長全員に普天間基地の移転先について行ったアンケートの結果を一面トップに掲げた。その結果、菅内閣が米政府に今なお約束し続けている辺野古への移設賛成の首長はゼロ。昨年十一月の県知事選挙で辺野古への移設反対を公約に掲げて当選した仲井真知事への支持は四十人。そして41人の首長全員が、「県外国外」と答えている。
沖縄の41市町村の首長全員が「県外国外」と答えている「民意」を無視して、依然として辺野古への移設をオバマ政権に約束し続ける日本の首相をこのまま首相の座に座らせておくとすれば、日本人全体の民主主義観が問われることにならないか。沖縄の首長たちは、その問いにすでに答えを出している。菅直人首相を「評価しない」が38人と。
また米軍海兵隊に抑止力の機能を認めるか、という問いに対しては、「在沖海兵隊は必要」と答えた首長は二人で、海兵隊は不要と答えた首長が過半数を占めている。
『沖縄タイムス』は、25日の一面で、「4・25県民大会から1年/普天間の危険性放置」という見出しでこう書いている。「一九九六年の普天間返還合意後、県内移設に反対する初の超党派大会『米軍普天間飛行場の早期閉鎖・返還と、県内移設に反対し国外・県外移設を求める県民大会」から25日で1年になる。この間、県民が求める県外移設実現の見通しは立たない。民主党政権は同飛行場の危険性を放置し、県が事故防止策として求めている運用逓減すら行われていない」。「県民大会から1年」はまさにそういう状態にある。では、どうするか。『沖縄タイムス』は2面に昨年の大会組織で活躍した高嶺善伸沖縄県議会議長のインタビューを掲載している。
ー振り返って、大会の意義は。
「読谷村の会場を9万人余の人が埋め尽くし、超党派の県民の怒り、沖縄の過重な基地負担を訴えた意義は大きい。沖縄の怒りは政党、イデオロギー、立場を超えるんだ、というマグマの一つの象徴だ」
ー仲井真知事が<差別に近い>と発言したことで、全国に問題提起できた面がある。
「知事があのような発言をするとは思わなかったが、構造的に46(本土)対1(沖縄)、危険な基地は沖縄に置いておけ、という全国の意識に対するメッセージになった。沖縄の歴史は差別の連続で、再び差別をしてはならないという知事の必死な訴えだったのだろう。私も共感した」
ー大会直後に鳩山由紀夫首相が来県し、米軍普天間飛行場の県内移設を明言した。菅直人首相も方針を引き継いでいる。
「県民大会は政治主導の鳩山政権で一定の方向性を見いだす後押しになると思っていた。しかし、辺野古回帰となり、鳩山氏の『方便発言』となった。大会での訴えは政権にとって何だったのか、ということをこの1年間、考えさせられた」
「仙谷由人官房長官が『沖縄は基地を甘受すべきだ』と発言し、米国務省のケビン・メア日本部長が『日本政府は沖縄県にサインしろと迫り県内移設をすすめろ』と。双方に『とにかく日米合意を進めれば、沖縄は最後には言うことを聞くんだ』という意識が透けて見える。沖縄の自治、地域主権をどう考えているのか」
ー今後の県民運動の方向性は。
「新たな沖縄振興の基本計画を策定する際、基地の返還跡地は主要なプロジェクト。普天間飛行場をどうするかが最初の鍵を握る。政府は新振計(振興計画)を支援するとともに、県内移設ではない閉鎖・返還の方法を責任を持って日米で協議するべきだ」
私の沖縄滞在は5日間だった。しかも沖縄で特別な動きがあった訳ではない。沖縄の日々は落ちついた日常だった。その落ちついた日常に立って編集・発行される沖縄の新聞と日本全国に向けて編集・発行される「全国紙」との間に、これほどの「落差」(差違ではない)があることは、「全国紙」とそれを支える読者の怠惰と知的・内的な頽廃を示すもので、現在の菅政権の知的・内的頽廃と同根のものだと言うほかはない。
*「マスコミ市民」6月号より転載
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔eye1460:110614〕
「ちきゅう座」に掲載された記事を転載される場合は、「ちきゅう座」からの転載であること、および著者名を必ず明記して下さい。